電事連会長、自民大勝で「原発ゼロ政策の見直しを」(産経新聞) - goo ニュース
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世の中には脱原発と言っても「現実的ではない」とか「夢想的」といった反応があり、「電力を確保するためには原発が必要なのであり、現実的な大人の対応としては、今ある原発は再稼働して少しずつ原発の比率をなくしてゆくのが良いだろう」というのが大勢の意見のように感じます。私も今から即廃炉というのは少し無理があるようにも感じているのですが(いずれにしても後始末の施設は必要)、一方で各電力会社が営利企業のまま原発を存続させ続ける現在の体勢で今後もゆくのならば止めてしまった方が安全だとも考えています。
福島の事故後の東電および他の原発に対する各電力会社の対応を見ている限り、運営主体である電力会社が「事故が起きないよう、また起きてしまったら全ての情報を開示する」ことはないし、事故あるいは稼働に対して100%の責任を取る能力も覚悟もない事が明らかです。「事故が起きたら後始末は国民の責任、稼働はこちらの都合でさせなさい。」と言っているのならば、「稼働はさせない」と言う意見に私は賛成です。現状で稼働を容認している人は「もう一度福島と同様の事故が起きてもやはり原発が必要」と言い続けるだけの信念を持って言っているでしょうか。「もう事故は起きないだろう。」「稼働させないと電力料金が上がってしまい経済的にかなわん。」という甘い期待で結論を出しているならば、同じ事故は必ず起きると考えた方が良いです。なぜなら福島後原発に関しては政府、電力会社の体勢は何一つ変わっていないからです。
福島における大切な日本国領土の実質的喪失は尖閣や竹島の比ではありません。あの国土喪失に対して国防上何の批難もされていないことには驚きです。奪った相手が中国人や韓国人ならば怒るけれど、日本人のミスで放射能によって国土が奪われた事には怒らないし国防上の危機を感じないとしたらその人の国防意識は似非といって良いです。何故「石原閣下」はカンカンになって怒りをあらわにしないのか。あの人の国防意識などその程度のものなのでしょう。私は電力料金が上がってもそれは将来の我々の子孫達の分も含めた国防費と考えても良いくらいだと思っています。
米国内の天然ガスはシェールガスが安価に産出されるようになったために百万Btu(英国熱量単位)あたり1.8ドル(2012年4月)と21世紀初頭の15ドルからは信じられない安価に転じています。日本の天然ガスは液化する手間や運送費用がかかるとしても現在単位あたり17ドルであり、アメリカの5から10倍の値段で買わされています。いくらなんでも同じ物を5倍の値段で買わされている現実があって、我々が電力料金を値上げさせられるという事は「おかしい」と普通思わないでしょうか。本当に原発動かさないと日本から電気がなくなると言えるか、騙されないように良く考える必要があります。天然ガスにもメタンの含量によって質の違いがあって、日本が買っているのは純度の良いものという反論はあります。しかし燃える物なら何でも上手に使うのが日本の技術力の高さであり、もともと日本の自動車は外車が質が悪いと言って性能が出せないガソリンを「レギュラー」として使い十分良い性能を出しているではないですか(欧州ではレギュラーが日本のハイオク)。
日本はLNG輸入を一括長期にして中国や韓国のようにスケールメリットを活かせる体勢にすること(彼らはちゃんとそのようにしている)、原発稼働を当てにしてLNG輸入を小出し場当たり的にしている現状を改める事、でもっと安く原料を輸入して電力値上げを防ぐ事が可能なのですから、そのような情報開示を十分に行い一般の人に「電力確保には原発再稼働が大人の選択」などという戯言をいわせなくても良いようにするべきだと私は思うのですが。
もう一度原発事故が起きれば、さすがに「もう原発は止めよう」という結論を日本人は出すでしょう。原発を再稼働するという決断は「もう一度起きる事はないのでは」という日本人特有の自分に都合の良い甘い期待のもとに成立している決断であって、世界の人達は「あれだけの事故が起きてまだ収拾すらついていないのにまだ原発やるんだ。」と呆れ、馬鹿にする事はあっても「さすが日本人の決断は素晴らしい」などと誰も思っていない。日本人や欧州の人がアメリカの銃犯罪で年間3万人が死んでいるのに銃規制をしないアメリカを呆れる事はあっても素晴らしいと思わないのと一緒で「客観的な判断」から見れば、我々は誤った決断をしていると言えるのです。
もう一度事故が起きても「原発は必要」と言い続ける確信がないならば止めた方が良い、というのが私の意見です。