オフレコ取材、記者には道義的責任 新聞協会(産経新聞) - goo ニュース
オフレコで飲み会などの席で官僚から取材をするのは、公の席での公表が既定路線として決まってしまった事項であるのに対して、決定までの進捗状況や裏の状況を聞き出すために重要な場であろうと思います。このような取材内容は市民がインターネットで知る事ができない既存のメディアにのみ許される特権です。
少々人格的に気にくわない相手であってもオフレコの情報が聞けるというのが何よりも大事であって、「気にくわない奴だから飲み会の席での失言を公にしてその人の公職を奪う」というのは決してやってはいけないことです。(職務上の失敗を公の場でメディアが責めることで責任を取らせる事は正義にかないます)オフレコの失言をあげつらって公職を奪うことで国民が幸福になると記者、デスクが本気で信じているとすれば「正真正銘のおおばかやろう」でしかありません。こいつら本当にどこか大学を出る学力があったのだろうか?自分で何か考える力があるのだろうか?
若造の記者が「こいつこんなこと言いやがった」といって記事を持ってくることはまああるかも知れませんが、普通編集長や主幹にあたる少しはジャーナリズムが解っている人間が「止めとけ」と止めるものだと思いますが、その程度の人間も新聞社にいなくなっているということでしょうか。私の30年前に急逝した父はへっぽこですが一応記者証も持った新聞屋でした。ここまで一般紙のブンヤのレベルが落ちてしまっては嘆かわしいと思っているでしょうな。
いやこれは防衛施設庁との因縁の対決で官僚の計画的な冒涜に対して沖縄のメディアが敢然と立ち向かって勝利したのだといった北朝鮮あたりのの提灯記事を思わせる論評もあるようですが官僚なんてもっと事務的に物事を運ぶものであって感情的になるのは沖縄の反基地に燃える人達の常であって「何か論評がちいさいなあ」と感じますね。この程度の小役人を辞めさせて沖縄の問題が解決すると本気で思っているのだろうか。
官僚や政治家としてはオフレコで揚げ足を取られてはかなわないので今後はますますガードが硬くなり、情報も外に出さなくなるでしょう。我々国民が知るときには既定路線として決まってしまった後、昨日も書きましたが「目に見えない独裁、顔の見えない独裁」がいよいよ促進されることになります。メディアは選挙で社会は変って欲しくない、目に見えない独裁万歳と本当は思っているのですかねえ。