「パワーブローカー」小沢一郎氏の強制起訴について英語メディアは(gooニュース・JAPANなニュース) - goo ニュース
小沢氏の強制起訴、しつこい検察が2度までも起訴を断念した事項について、これは公判を維持して有罪足り得る事実があると審査会の素人の人達は判断するに十分な証拠があったということでしょうか。私は訳者の加藤さんと同様「推定無罪」の大原則を大事にしたいと思いますし、政治的な思惑や、まして「アメリカ様の都合による小沢つぶしなどでは絶対にない」ことを祈るばかりです。
最近少し下火になりましたが、満員電車で痴漢に間違われて一度逮捕されたら最期「嘘でも罪を認めない限り延々と身柄を拘束され、裁判にかけられ、会社はクビになり、一家離散・・」といった悲劇が問題になりました。嘘でも痴漢を認めて罰金を払えばすぐに釈放されて微罪で済み、時間が経てば前科も消滅することに比べて、真実を通そうとすると大きな損失を被るという「社会的非正義」がそこにあります。特に会社を解雇されたりする社会的制裁は、本来無罪である人には行なってはならない(正式に裁判になれば当然不当解雇でありそのような判例も出ています)ものです。電車で痴漢に間違われたら、駅員室には行かず(行くとその後エスカレーター式に痴漢の犯人として扱われるため)、その場で(携帯で)警察に電話をして「痴漢をしていないにもかかわらず不当に罪を言い立てる人間がいて、名誉棄損でもあり困っている」とこちらから警察に訴え出る方が良い、と言われています(逃げるという手もありますが、痴漢を認めるのと同じような悔しさが残るのでは?)。
私が電車通勤をしていた時は、朝は6時前後の空いている電車に乗っていましたし、夜も座席に向かって片手はつり革、片手は本を必ず持って物理的に痴漢と間違われない状態を保つようにしていました。往復で2時間以上かかったので随分本を読んで本代がかさみましたが、教養はついたように感じています。
犯罪を疑われて起訴された場合、事業所はその被雇用者を「必要に応じて休職扱いする」ことは合法と認められています。また有罪となった場合には状況によって解雇されることもあるでしょう。しかし起訴されただけ、或いは被疑者となっただけで「解雇」というのは違法な措置です。しかし日本社会には「組織を守るため」と称したり、法を拡大解釈して厳しく処断することを「コンプライアンスの重視」と勘違いしている人がかなりいて、「推定無罪」の原則を無視して社会的制裁を加えてしまう傾向があります。それは「秩序を守る」ことが最も大切とされた江戸時代からのDNAによるものと推測されますが、個人は悪くないけど責任とって「切腹」とか、「藩お取りつぶし」とかの概念と同一のものに見えます。しっかりした考えを持っていないと我々はこのような「世間が許さない」とか「組織を守るため」といった何の根拠もない論理を違和感なく受け入れてしまいがちなものです。本来速度違反や脱税などに使う行政罰を意味する「秩序罰」という言葉を「秩序を守る」ための罰と勘違いして使っている人もいるくらいです。
小沢氏の事例は「推定無罪」の原則から言えば現在は「無罪」です。しかしマスコミも政治家も小沢氏を「無罪」として事にあたってはいません。社会の模範になるべき政治家やマスコミが基本的人権に反する「推定有罪」を平気で言い立てて、それに対して厳しく糾弾する勢力が皆無な状態では、一般社会で「推定有罪」の概念が日常的に使われるでしょう。私はこのような状況を見るにつけ、日本の文系が理系(一応私は理系のつもり)の人達から信頼され、尊敬される日はこないのだろうなあ、としみじみ思います。
法律や裁判について言うなれば、「医療ミス」や「医療過誤」があるように(これは当事者としてあると認めざるを得ません)、「司法ミス」「司法過誤」が日本にはごろごろ転がっていると言えます。法律家(行政官も含めて)達が自分たちもミスを冒すであろうことを自ら認めて、その実例を国民の前に明らかにし、ミスがなくなるようシステムを改善することに勤めない限り、少なくとも私は法律家を尊敬することはないです。