昨日からの流れで、改めて「NO NEW YORK」を聴いてみたのだが、そこで感じた
余計なこと(笑)を書くとする。
フリクションの「軋轢」を初めて聴いたとき、なんて痩せた音なんだと思ったものだが、
その後に「NO NEW YORK」を聴いて、あの時代(78年頃)のニューヨークの地下の
音を上手く再現していたのだなと気付く。
低音が効いていないが故にスネアの音とギターの音がバンドの尖り具合を上手く
演出しているというのは、後付け上等の捻くれた見解なのだろうけど。
坂本龍一がプロデューサーだったというのも今思えば出来過ぎた話だ。
世界から視線を集めていたY.M.O.の坂本を起用したバンド側からすれば「あいつは
何にもしなかったぜ。」とか「名前だけ使いたかった。」と突っ張ることが可能だし
坂本からすれば、商業的に成功をおさめつつあるグループに身を置きながら、
こういった世界の裏から流れてきて派生した日本のバンドに目配りできているのです
という懐の大きさを示すことができるので、フリクションが成功しようがしまいが
損することはないという計算があっても不思議でも何でもない。
ああ、大人になってろくなことを考えない癖が抜けきれないと、こんな夢のない
ことを想像しては、事実に合致していようが反していようが自分を納得させている。(笑)
もちろん「軋轢」も聴き返したのだけど、この格好良さは今も十分に通用する。
それだけで素晴らしい。
私がフリクションで一番好きな盤が
「ゾーン・トリッパー」なのは変わらないけど。