カントリーやブルーズを歌う女性歌手は先人にいたであろうが、ロックを歌う女性の最初の
一人であるのがワンダ・ジャクスンであるのは間違いないだろう。美人が迫力のある声で
ロックを歌う、というのは50年代のシーンに於いて衝撃だったのではないだろうか。
ワンダの持ち歌で真っ先に思い浮かぶのが『FUJIYAMA MAMA』である。この
歌を最初に聴いた(いや見たといったほうが正確だろう)のは、クラッシュの
来日公演に同行していたパール・ハーバーの歌唱である。テレビ放送された来日公演の
後半に出てきて同曲を披露するのだが、ロック3年生(笑)くらいの当時の私には
何だか奇異な光景にしか見えなかった。
こんなの放送するくらいなら、もっとクラッシュの曲を流してくれよと当時は思った
ものだが、冷静に考えるとその次の『POLICE ON MY BACK』でもパール・ハーバーは
ステージに残って踊り続けていたので、「流れ」というものを重視すれば『FUJIYAMA
MAMA』はカットできなかったのだろうな、なんて思ったり。(笑)
つまらない物言いである。
それにしても、この曲の歌詞はとんでもないのだが、ワンダが歌うバージョンは日本でも
それなりにヒットしたというか馴染みがある曲として認識されているのだから不思議な
気分ではある。広島や長崎で果たしてヒットしたのだろうか、いや、文字通り「ヒット」
されてはいるのだけど。
元々はカントリー歌手であったのが、エルヴィス・プレスリーの助言を受けたスタッフの
戦略でロック寄りの録音をするようになるというのが、何とも素敵なエピソードである。
今をときめくテイラー・スイフトの転機はどこだったのか、何てことも同時に考える
わけで、ロックの歴史を紐解くのは、私の脳内にロックンロール連鎖を呼び起こすという
意味で面白くてやめられない。
御年77歳のロカビリー・クイーンは、ポール・マッカートニーのトリビュート盤
「ART OF MCCARTNEY」で『RUN DEVIL RUN』を歌い、その健在ぶりを示して
くれた。ジャック・ホワイトと制作した11年の「THE PARTY AIN'T OVER」も
衝撃だった。
掲載写真は『FUJIYAMA MAMA』を収録した62年のアルバム「ROCKIN' WITH
WONDA」。パーティーは終わらない。