HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

お気に入り音楽の紹介と戯言

WHAT IS THIS SHIT ?

2013-08-26 01:10:06 | ROCK

ボブ・ディラン自身のこと、或いはディランのアルバムについて日本の
年期の入った音楽評論家の方々は、時折グリール・マーカスの言葉を引用する。
それは彼が文化や音楽の評論家として一定のステータスを持っているが故に
彼の言葉をなぞれば、大勢から外れることは無いという安心感があるからかもしれない。
そんな彼が「WHAT IS THIS SHIT?」と記した盤が「SELF PORTRAIT」である。

さて、今回のディランのブートレグ・シリーズ第10集は「ANOTHER SELF PORTRAIT」
と題されて69年から71年にかけての未発表曲や未発表テイク、ライブ音源が
集められているのだが、決して評判の良くないアルバム「SELF PORTRAIT」を軸にした
この4枚組をどんなふうに彼らが評論してくれるか私は楽しみである。

私が音楽を聴きだして初めて意識したディランのアルバムは「SHOT OF LOVE」だった。
著しく購買意欲を削ぐジャケットだったが、それほど嫌いな盤ではない。
後追いで聴いた部分を含めて私が最も苦手なのが「NASHVILLE SKYLINE」から
「NEW MORNING」にかけての時期である。もちろん「SELF PORTRAIT」もこの時代だ。

今でも「ロック激動の69年から70年だったというのに、ディランは何をチンタラやってたんだ。」
と思うことがあるのだが、まあ、こんな考えは後追い故に或いはそれほど熱心?じゃない聴き手
故の発想だと一蹴されそうだけど。

今回の4枚組の購入は第一に義務感、第二にディスク3のワイト島でのライブ目当てというのが
真相である。もともと好きでもない「SELF PORTRAIT」のアウトテイクを探って、より深く
アルバムの核に辿り着きたいなんて露程も思ってはいないのだ。

ヴォーカリストとしての新たな境地なんてのは、私には特に大した重要項目ではない。
「ナッシュビル・スカイライン」以降の歌い方がずっと続けば良かったというなら、それは
私の考えとは違うし、事実そうではなかったのは歴史が証明している。
ただ、ディランの迷走というには余りにも野心的であった?この時期を振り返るとともに
ディランの歴史を俯瞰すれば、一つ所に留まることを良しとしないディランの在り方が
浮かび上がってくるわけである。

アコースティック・ギターをエレキに持ち替えたことを手始めに、宗教色の強い盤を立て続けに
リリースしたり、数あるライブ盤で聴き取れる通り大幅にアレンジを変えて演奏したり
ディランの変化は現在進行形である。同じく迷走というか多彩な活動をするニール・ヤングほど
暖かい目で見られないのは、男として母性本能をくすぐるかどうかの違い、なんて書けば
また「阿呆か」と言われそうだが。

それでも、私はこの4枚組を楽しんだ。レア・トラック集である2枚に収録されたワイト島ライブ
での曲が、「SELF PORTRAIT」と同じ8月31日のもので、ディスク3のワイト島ライブが
8月30日の収録というだけで気が利いているというものだ。

「SELF PORTRAIT」収録の『ALL THE TIRED HORSES』や『WIGWAM』のオーバー・
ダブ無しバージョンを聴くと、嫌いな盤であるものの前者に対しては「あれ、ディランは
歌わないの」と初めてこれを聴いた時に思ったことや、「何で後者がシングルになったの
だろう」と思ったことが記憶に蘇る。

『BOXER』のカバーに驚き、マンフレッド・マンのバージョンで先に知っていた『THE
MIGHTY QUEEN(QUINN,THE ESKIMO)』のディラン・バージョンを聴くことができて
喜び、「おお、これぞディラン。」と思った『DAYS OF '49』のクレジットを見てブっ飛んだ
ことまで思い出した。

確かに「クソ」かもしれない。
でも、それが恐竜のクソなら、今だと歴史や生物を研究する上での立派な「お宝」である。
クソが宝に変わるかどうかは、聴き手次第ということだ。

お宝まで、あと一歩・・・・。いや、天国まであと三歩・・・。


コメント (6)
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