まずは先日のソウル/ファンク100選を選んだときに思ったことを少々。
「ソウル/ファンク」の選盤をする際の線引きって何だ?
ということである。楽しい遊びで終わらせるのが一番なのだが、
ジミ・ヘンドリックスや、マイルス・デイヴィスを選ぶということ
或いは外すということを考えると、色々なことが思い浮かんできた。
ロック・フィールドでも認められているプリンスは何故入ったのかとか
じゃあ、先の二人を選んで一般的に言う「ロック」や「ジャズ」まで
範囲を拡げたのなら、ブラジルやジャマイカまでは飛ばないのかとか。
私の選盤には入ってないが、アラン・トゥーサンやリー・ドーシーを
入れてドクター・ジョンは何故入らないのか?。
基本のリズムの考え方はそれほど変わらないと思うのだが。
「黒人の音楽」ならジミとマイルスは○、ドクター・ジョンは×、
「英語圏」ならジャマイカは○、ブラジルは×。
ギターが裏のリズムをを刻めば「レゲエ」というほど単純ではないが
都合のいい言葉で言えば「ソウル・マナー」「ファンク・マナー」という
曖昧な言葉が全てをうまくまとめてしまう。
アメリカ産の黒人音楽という括りでいけば、整合性があるのだろうか?。
なら、ジミとマイルスが○でドクター・ジョンや他の国が×なのは
条件に合致する。
こんなつまらないことをダラダラ考えるきっかけになったのが75年に
発表された掲載写真のアルバム。
ボリス・ガーディナーは一時期、リー・ペリーの重要なセッションで
ベースを弾いていた人である。
ペリーの「スーパー・エイプ」、ジュニア・マーヴィンの「ポリスと
こそ泥」といえば、ロック者にも「ああ、あれか」と思い浮かぶだろう。
そんなボリスさん、よくよく写真を見ればドレッド・ヘアでなく
アフロである。(笑)
スカのアプローチとは全く違う、ソウル寄りのホーンの使い方がレゲエの
アルバムでは珍しいし、まして歌い方がスイート・ソウルのそれである。
「俺はレゲエ・シンガーではない。ソウル・マンでバラディアーだ。」と
言い切る彼をレゲエの枠に縛るのは、あくまでホーンとコーラスを含む
ボーカル以外のバック・トラックが「レゲエ・マナー」であるからに過ぎない。
彼がハンマーで砕こうとしているのは、自身を縛るレゲエという枠に
他ならないのではないだろうか。
このブログが続いていれば、いつかスカ/レゲエ100選をやろうと思う。
「ソウル/ファンク」の選盤をする際の線引きって何だ?
ということである。楽しい遊びで終わらせるのが一番なのだが、
ジミ・ヘンドリックスや、マイルス・デイヴィスを選ぶということ
或いは外すということを考えると、色々なことが思い浮かんできた。
ロック・フィールドでも認められているプリンスは何故入ったのかとか
じゃあ、先の二人を選んで一般的に言う「ロック」や「ジャズ」まで
範囲を拡げたのなら、ブラジルやジャマイカまでは飛ばないのかとか。
私の選盤には入ってないが、アラン・トゥーサンやリー・ドーシーを
入れてドクター・ジョンは何故入らないのか?。
基本のリズムの考え方はそれほど変わらないと思うのだが。
「黒人の音楽」ならジミとマイルスは○、ドクター・ジョンは×、
「英語圏」ならジャマイカは○、ブラジルは×。
ギターが裏のリズムをを刻めば「レゲエ」というほど単純ではないが
都合のいい言葉で言えば「ソウル・マナー」「ファンク・マナー」という
曖昧な言葉が全てをうまくまとめてしまう。
アメリカ産の黒人音楽という括りでいけば、整合性があるのだろうか?。
なら、ジミとマイルスが○でドクター・ジョンや他の国が×なのは
条件に合致する。
こんなつまらないことをダラダラ考えるきっかけになったのが75年に
発表された掲載写真のアルバム。
ボリス・ガーディナーは一時期、リー・ペリーの重要なセッションで
ベースを弾いていた人である。
ペリーの「スーパー・エイプ」、ジュニア・マーヴィンの「ポリスと
こそ泥」といえば、ロック者にも「ああ、あれか」と思い浮かぶだろう。
そんなボリスさん、よくよく写真を見ればドレッド・ヘアでなく
アフロである。(笑)
スカのアプローチとは全く違う、ソウル寄りのホーンの使い方がレゲエの
アルバムでは珍しいし、まして歌い方がスイート・ソウルのそれである。
「俺はレゲエ・シンガーではない。ソウル・マンでバラディアーだ。」と
言い切る彼をレゲエの枠に縛るのは、あくまでホーンとコーラスを含む
ボーカル以外のバック・トラックが「レゲエ・マナー」であるからに過ぎない。
彼がハンマーで砕こうとしているのは、自身を縛るレゲエという枠に
他ならないのではないだろうか。
このブログが続いていれば、いつかスカ/レゲエ100選をやろうと思う。