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HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

お気に入り音楽の紹介と戯言

OH BABY I 'M BORN TO LOSE

2013-02-05 05:04:14 | THIS SONG

       

完璧なカップリングの7インチというものがある。
ビートルズの『STRAWBERRY FIELDS FOREVER c/w PENNY LANE』、キンクスの
『SITING IN THE MIDDAY SUN c/w SWEET LADY GENEVIEVE』、C.C.R.の
『TRAVELLIN BAND c/w WHO'LL STOP THE RAIN』、テレビションの『VENUS c/w
FRICTION』etc, etc . . . 。

ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズの『CHINESE ROCK c/w BORN TO
LOSE』もそんな1枚じゃないだろうか。

『BORN TO LOSE』という曲を初めて聴いたのは19歳の時で、それはラジオでもレコード
でもなく、アマチュア・バンドが演奏するバージョンであった。私が通った大学では当時6月頃に
「音楽祭典」というのがあって、それは確か2日間くらいを費やして様々なバンドがエントリーして
演奏を披露するというものであった。

午後の授業もなく(サボったのかもしれない)何の予定もなかった、とある日に私は会場を
のぞき、次々と登場するバンドの演奏を聴いていた。もちろん、格好いいバンドを探すためなんかでは
ない。自分たちのバンドが一番格好いいことを再確認するため(笑)と、くだらない軽音とかに
所属するバンドを嗤うためであった。いくら若いとは言え、何と傲慢で間抜けなのだろう。
こういう考え方が、私の日常に反映されてしまって不愉快な思いをしたであろう友人たちには
今思えば「悪かった」としか言いようがないが。

で、登場したバンドの一つが、件の曲を演奏し始めた。実のところ当時の私はジョニー・サンダースには
全く興味が無かったのだが、曲調と歌詞から「何かジョニー・サンダースっぽいな。」なんて
的外れでないにしろ、阿呆なことを考えながら演奏を聴いていた。この曲をレコードで聴いたのは
その2年後くらいで、後輩がアルバム1枚ではなく、この1曲だけを聴かせてくれたように記憶する。

よく見るとドラマーは同じアパートの同じ階に住むヤツじゃないか。お互い愛想なく
4年間同じ処に住んでいながら、挨拶の一つも交わさなかったのだが、妙なライバル心が湧いてきて
「けっ、つまんねえ曲を演奏してらぁ。」なんて思いが増幅し、ますますジョニー・サンダースとは
縁遠くなってしまった。

デヴィッド・ヨハンセンのアルバムは、ほとんど全て所持しているが、何故ジョニー・サンダースを
遠ざけていたのか、これまた間抜けな話だが、その全うな理由が思い出せない。
やたらと出されるライブ盤の山を前にして、「どれから聴けばいいのか。」と思ったのは事実だが。

ある日ジャケットの格好良さに釣られて(笑)手にした「L.A.M.F.」を聴いて、全てのモヤモヤが
吹き飛んだ。こんな格好イイ盤はそうは無いだろうと思ったものだ。事実、他のジョニーの盤で
コレに匹敵する盤は無いと思う。

「L.A.M.F.」35周年の4枚組ボックスは当然、入手した。35周年の祭りはまだ続いていて
掲載写真の7インチがリリースされた。300枚限定のホワイト・ビニール。
どっちの曲がA面であってもおかしくない、最強の7インチ。

       

同時発売された2枚もカラー・ヴィニールで左は赤盤、右は青盤。右の盤は発売中止スリーブだったと
何かで見た記憶があるが、果て何だったっけ。

話戻って、先の「音楽祭典」。クリムズンの曲を演奏するバンドがあって「おおっ」と思ったが
その次に演奏したのがM.○.G.の曲だったので、いきなり萎えたのを思い出した。
私が見た中で一番凄かったのは、つまり私達のバンドが太刀打ち出来ないと思った唯一の
出演者は・・・。

ラジカセでカラオケテープを流しながら、一人で浜○省吾を2曲熱唱したあいつ、
あいつには勝てない。本気のあいつには敵わない。恐ろしく場違いながらも、恐ろしく自己憐憫に
満ちた歌唱を耳にしながら私はその場を去ったのであった。

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OLDER GUYS c/w THAT'S HOW STRONG MY LOVE IS

2012-12-17 21:49:23 | THIS SONG

今朝の職場は一部のサッカー好き連中との雑談で始まった。
「俺がTV見ながら『アザールでゴザール』とか『家政婦のマタ』とか阿呆なこと
言っていたら、負けちゃたよ。」
「俺もチェルシー応援していたんですけど。ドログバがいたらなぁ。」
「タラレバは言っても仕方ないだろう。」

そして、私の頭の中はなかなか仕事モードに切り替わらず、くだらない想いが渦を巻く。
そういえば、08年のチャンピオンズ・リーグもチェルシーを応援したんだけど、
マンUに負けたんだよなぁ。マンUで好きな選手ってギグスくらいなもんだよ。
映画「リトル・ストライカー」の頃にはシティーがあんなに強くなるなんて、想像もしなかったよな。
「エリックを探して」は面白かったな・・・・。

もちろん昨日は選挙に行きました。ネットで何気に「選挙に行かない男と付き合ってはいけない」という
記事を見つけて、半ばこじつけもある内容だったが、ほぼ当たっていると思って笑ってしまった。
選挙に行く男が「マメ」だとは限らないけどね。(笑)
そういえば、予想通りサッカーのTV中継の画面下には選挙の当落情報が出たのだが、
間違って全世界にアレが流れたら面白かったのに。「日本は何やってんだ?。」って
注目されて、選挙に行かなかった人は笑いに乗れなかったことを悔いただろうに。

さて。掲載写真は、「太陽と戦慄」、ではない。
今年、2枚のアルバムをリリースしたクリス・ロビンスン・ブラザーフッドであるが、
何故か唐突に2枚のアルバムに未収録の曲をシングルでリリースした。
しかもA面がフライング・ブリトー・ブラザーズの『OLDER GUYS』、B面がO.V.ライトの
『THAT'S HOW STRONG MY LOVE IS』のカバー。これはたまらん。(笑)
7インチ好きでカバー好きの私の琴線を擽る。

クリス・ロビンスンはブラック・クロウズ時代にブリトーズの『HOT BURRITO #1』、
『HOT BURRITO #2』をライブで演奏していたので、またしてものブリトーズ・カバーに
「ああ、きっと大好きなんだな。俺もブリトーズ、好きだよ。ブリトニーも好きだけど。(嘘)」なんて、
勝手に連帯意識を抱いて意味も無く頷いてしまう。(笑)
私が『OLDER GUYS』という曲を知ったのは、その昔「カリフォルニア・ロックの奇跡」と題された
LDに収録された同曲のPVを見た時で、一目見て映像も曲も気に入ったものだ。
そこで見たPVは白黒だったが、後にDVD「グラム・パースンズの生涯〜フォーリン・エンジェル」を
見た時に完全収録ではないもののカラーで、そのPVを見ることができた時は驚いたものだ。
このPVをカラーで完全版で見ることができる日は来るのか・・・・。

『THAT'S  HOW STRONG ・・・・』はきっとクリス達もストーンズやオーティスのバージョンで
知って、O.V.ライトを聴いたんだろうな、なんて想像しながら聴いてしまうのだが、多分
外れてはいないだろう。日本でO.V.ライトの同曲を簡単に聴くことができるようになったのは
ついこの間の話で、Pヴァインが07年に出した5枚組CD、その名も「O.V.BOX」の中の1枚である
「TREASURED MOMENTS」に収録されたおかげである。

それにしても、両面共カバーで7インチを出すというのも凄いことだ。
去年のウィルコの『I LOVE MY LABEL』の時もそうだったが、こういうのを聴くと
また、勝手にコンピレーションをつくりたくなってしまう。やらないけど。(笑)
そして、これだから7インチ好きはやめられないのである。

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サニー ~ 最強のカバー・ソング

2011-06-18 12:44:30 | THIS SONG

     

今回のカバー・ソング100選に選ぶことは出来なかったが、個人的に最強のカバー・ソングだと
思っているのが、勝新太郎が歌う『サニー』だ。これは正しく『SUNNY』ではなく『サニー』と
表記するのが正しい。

つまり、歌詞を英語で歌っているのではなく和訳で歌っているのだが、この訳詞が勝新に
よって歌われた時、原曲の思惑を遥かに超越した、勝新のオリジナル以外の何物でもない
曲に生まれ変わったのだとさえ思える。申し訳ないがボビー・ヘブのオリジナルだけでなく、
「俺のサニーを聞いてくれ」とばかりに束になってかかってきた数々のカバー曲も
私にはお呼びでない。そういう意味ではブライアン・フェリーの『A HARD RAIN'S A-GONNA FALL』と
同じだ。

掲載写真右は97年に出たCD「歌いまくる勝新太郎」。これで初めて勝新の歌う『サニー』を
知った。このCDは映画「座頭市」のファンにも喜ばれた編集盤だったのだが、私が『サニー』を更に
強烈に意識することになったのが、03年にCD化された掲載写真左の「勝新太郎 夜を歌う」だった。

酒や女がまとわりつく夜、勝新太郎の夜。幾つになっても私なんかが真似のできない、
夜の男の世界。そんな夜の世界を表現すべく収録された数々の曲に混じって、殊更妖しい光を
放つのが『サニー』だ。ほぼ全編がスローかミディアム・ナンバーの楽曲で構成された盤だが
たまに予想外な姿も見せると女性の気を惹くのさと言わんばかりの、ノリの良い曲もある。
しかし、それらも『サニー』の前では、露払いに過ぎない。

アルバムの構成上、『サニー』は2曲目に配されているが、録音は全楽曲中、最後だったことが
ライナーに書かれてある。さもありなん、これほど濃厚な1発をキメれば、後が大変なのだから。

辰兄ィは、『シンボル・ロック/夜は俺のもの』という最強のシングルをリリースしたが、酒の匂いが
幾分強いように思えた。これだと飲み過ぎてそのまま寝てしまう惧れがある。
『サニー』は少々趣が違う。

夜はどこまでも深く、やがて真珠色の白濁とした朝を向かえる。
勝新の『サニー』とは、そういう歌なのだ。

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I PUT A SPELL ON YOU ~カバー・ソング100選への道・その21

2011-06-14 18:32:50 | THIS SONG

          

以前、カバー・ソング100選を選定するにあたっての「縛り」の一つとして、ブルーズのカバーは選ばないと書いた。
その理由の一つとして、ロックから遡ってブルーズを知ったので何となくカバーと言われてもピンとこなかった
というのがある。レッド・ツェッペリンやクリーム、ジョン・メイオールに勿論ストーンズといった連中の演奏を聴いて
その元歌を探したので、「どちらを先に聴いたか、どちらに先に親しんだか」という微妙な感覚が、先の
「縛り」に結びついたのだ。もっと正直に言えば、今更クリームやジョニー・ウィンターのブルーズ・カバーを
わざわざ100曲の中に入れたくなかった、というのもあった。ブルーズのみの名演・名カバーを集めた
CDRを編むなら、話は別だが。

ところが。自身のルーツの一つにブルーズというのは間違いなくある。レゲエやジャズのカバーは選んで
ブルーズのカバーを選ばないのも何となく片手落ちのような気がして、少々モヤモヤしていた。
そんな時、何気に聴いたグルーヴァーズの『GROOVAHOLIC』の中のワン・フレーズが耳に突き刺さった。

蘇るスクリーミンJay・・・・

R&Bだろうとブルーズだろうと、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスは、どちらのジャンルからも正統派として
扱われることは余り無い。それでは当ブログではブルーズの代表として登場願おうではないか、という訳である。

ジェイと言えば何は無くとも『I PUT A SPELL ON YOU』である。掲載写真左の「FRENZY」は82年に出た
コンピレーションで56/57年のオーケーでの録音を収録している。右の盤「PORTRAIT OF A MAN」は95年に
出たコンピレーションで、こちらはオーケー時代から90年代半ばまでの曲まで広く集めていて、
どちらの盤でも『I PUT A SPELL ON YOU』のオリジナル録音を聴くことができる。

 この曲のカバーは多くあるが、おそらく最も有名なのがC.C.R.の
バージョンだろう。この混沌とした感覚はオリジナルのバージョンが持つ不気味さに、オリジナルには無い当時の
アメリカの若者が抱えていた苛立った気分を加えて出来あがったような気がする。アーサー・ブラウンや
C.A.クインテットといったところのカバーも面白いのだが、やはりここはC.C.R.のバージョンを選出したい。

 ジェイは人を驚かせ楽しませることを、何より自身が楽しんで
ライブ活動をしていた。ライブの冒頭に棺桶の中から登場するなんて、この人くらいのものだろう。
上の画像は、相方がジェイ・ホーキンスに書いてもらったサインである。字が丁寧なので笑ってしまった。
きっと、真面目な人だったのだろうなぁ。

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TAJ MAHAL & JORGE BEN~カバー・ソング100選への道・その20

2011-06-13 18:28:31 | THIS SONG

                

ブラジリアン・ミュージックの楽曲で、ロックやポップス・フィールドのアーティストにカバーされた曲と言われて
即座に思い浮かぶのがジョルジュ・ベンの『TAJ MAHAL』だ。
ジョルジュ・ベンがこの曲を最初にリリースしたのは72年。その後75年にはジルベルト・ジルと共に吹き込んだ盤を
リリース。現状で一番入手が簡単なのは掲載写真右の76年にリリースされた「AFRICA BRASIL」だ。

1632年から20年の歳月をかけて建てられた霊廟タジ・マハール。『TAJ MAHAL』は、そのタジ・マハール
建設の元となった当時のインドの王と王妃を歌ったものだが、TAJ MAHALはミュージシャンの名前でもある。

タジの音楽を何かのジャンルで括るのは難しい。手っとり早くブルーズの枠に放り込めばいいのかもしれないが
レゲエやアフリカの音楽を取り込んだ音楽性は、そんな安易なジャンル分けを拒絶する。
そんなタジがジョルジュ・ベンの『TAJ MAHAL』をカバーしたのが、掲載写真左のライブ盤「LIVE AND DIRECT」。
ここで面白いのはタジが曲名を『JORGE BEN』と変更しているところだ。自分の名前の歌を歌ってくれたのだから、
それをカバーする時はオリジネイターの名前を冠して歌うというユーモアに痺れた。

さて楽曲『TAJ MAHAL』のメロディー・ラインを大胆に頂いちゃった(笑)のがロッド・スチュワートで78年に『DA YA
THINK I'M SEXY』を発表して大ヒットしたものの、その後の盗作裁判でロッドは負けてしまう。
タジ・マハールの「LIVE AND DIRECT」は79年5月のライブを収録してある。「今をときめくロッドの件の曲は
やっちゃってますよ。」的な意図があって収録したのかどうかは解からないが、素敵な楽しいカバーである。

で、私はロッドの『DA YA THINK I'M SEXY』も好きだ。ディスコと言われた四つ打ち、ストリングスにサックス、
そしてギターの細かいフレーズに至るまで、よく練られたアレンジだと思う。盗作騒動はブルーズの時代と違って
「音楽の伝承」というには70年代はタフな時代だったということになるが、オリジナル・アーティストである
ジョルジュ・ベンにしても何回も吹き込みなおしていることから、ロッドの曲もバリエーションとして大らかに
楽しむのが今となっては正解なのだろう。

つまり。

HE'S SO NERVOUS, AVOIDING ALL HER QUESTIONS....ということなので。

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THE HARDER THEY COME~カバー・ソング100選への道・その19

2011-06-12 08:46:44 | THIS SONG

2008年7月の当ブログで、私自身が音楽を聴く上でのルーツになっている盤が何なのかを振りかえって
みた。あれから約3年が経ち、のんびりと続いているカバー・ソング100選の「お題」も、再び様々な
ジャンルの音楽を聴く上での自身の根底にあるものへ立ち返るべきだろうという思いに至った。
まずはレゲエだ。

今回はカバー・ソング、つまり楽曲単位なので、それならもうこの曲しかない。
映画『THE HARDER THEY COME』も当ブログで取り上げたし、ジミー・クリフも取り上げた。
ジミー・クリフは『THE HARDER THEY COME』以外にも、そのスムースな歌唱で名曲を多く残して
いるが、それでもかつてロックが持っていた世間や時代への反抗、主張というものを
数多あるロックの楽曲以上に明確に態度で示した『THE HARDER THEY COME』の魅力は何よりも
優先する。そして、それをカバーしたのがキース・リチャーズなのだから、出来過ぎな話である。

もともと、米国や欧州では78年12月にA面にチャック・ベリーの『RUN RUDOLPH RUN』、B面に
『THE HARDER THEY COME』というカップリングで、シングル盤が世に出た。
トロントでのドラッグに関連する裁判がストーンズとキースに対して、温情のある判決が出たことを
皆で喜びたいという思いも多分にあったであろう、クリスマス・シングルである。

ところが、日本ではB面の『THE HARDER THEY COME』がA面になった。これではクリスマス・
シングルの意味合いが薄れるのだが、クリスマスは一時の戯れに過ぎないのに対し、自身が
世の中を生き抜くための姿勢というのは永遠であるということを思えば、このA面が入れ替わった
日本盤の意味は大きい。サイドを入れ替えてリリースすることを決断した当時のディレクター氏は、
何を思ってそうしたのだろう。何れにしろ大英断である。

      

右はオリジナル・サウンド・トラック、左はそのジャケットを模したジョー・ストラマーの7インチ・ブートレグ。
ジョーのシングルはスタジオ録音とライブ・バージョンで『THE HARDER THEY COME』を楽しむことが
できる。

死んだらそれまでと解かっているが、欲しい物を得るために闘い続ける。
操り人形や奴隷のように生きるくらいなら、墓場で自由を得る方がましさ。

走らされる前に自分から歩きだすさ、と歌ったキースにはこの曲がよく似合う。

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HEY BO DIDDLEY~カバー・ソング100選への道・その16

2011-05-28 07:29:40 | THIS SONG

       

HIP-Oから出たボ・ディドリーの「THE CHESS MASTERS」シリーズは、1種類も買わなかった。理由は簡単で
「VOL.1」を買い逃したら、あっというまに高額物件になってしまい、「VOL.1」が無いのに「VOL.2」と
「VOL.3」があっても収まりが悪いだろう、と言うわけである。だからといってチャック・ベリーは3種とも買ったかと
言うと、実は「VOL.3」は買っていない。とりあえず最初の2つで事足りそうだからなのだが、きっとそのうち
全部揃えてしまうのだろう。(笑)

掲載写真はボ・ディドリーのオリジナル・アルバムの中で、私が好きな男前ジャケット2種。左は60年発表の
「BO DIDDLEY IS A GUNSLINGER」。ギターを地べたに置くんじゃないの。(笑)早射ちが得意そうには見えないが
足元のギターに気を奪われているうちに、銃を抜くという算段か。(笑)この盤には後にキンクスがカバーする
『CADILLAC』が収録されている。

掲載写真右は74年発表の「BIG BAD BO」。ボ・ディドリーは59年の「HAVE GUITAR WILL TRAVEL」では
スクーターに跨っていたが、やはりこっちの方が格好良い。本当はリア・ジャケットの方がもっと格好良いのだけど。
正直な処、レーベル・メイトのチャック・ベリーのオリジナル・アルバムのジャケットが幾分、婦女子や白人の
若者受けを狙った感があるのに対し、ボは徹底して「イイ男」である自分を演出しているのがいい。
この盤は時代を反映して徹底的にファンキー。ボビー・チャールズやヴァン・モリスンのカバーも収録。
そういえば、ボ・ディドリーにはザ・バンドのカバーもあるのだが、今回は何れも100選には選ばなかった。

ところで私の中ではボ・ディドリーと言えば、何はなくとも?『MONA』である。

 『MONA』のカバーと言えば、即座に浮かぶのがこのアルバム。
ミック・ファレンが69年に出した1STアルバムは、タイトルもずばり「MONA : THE CANIVOROUS CIRCUS」。
デヴィアンツの流れを汲む混沌としたアルバムで、喋りや短い曲の断片のようなものと長尺のジャムを
組み合わせて組曲にしたかと思うと、出来の大して良くない『SUMMERTIME BLUES』があったり。
それでも、トゥインクやスティーヴ・クック(SHAGRAT THE VAGRANTという変名で参加)といった
ミック周辺の仲良しグループの参加は興味深く、未聴の方には二人のパーカッショニストの参加がもたらした
効果のほどを是非とも確認していただきたい。

『MONA』はアルバムの最初と最後に収められ、最初のは「断片」とサブ・タイトルが付いた3分ほどのバージョンで
最後のは7分を超える長尺バージョン。ボのオリジナルもそうだが、単純なコードの循環の繰り返しは
それ自体が「リズム」に成り得る。つまりメロディーを伴う「リズム」というわけで、これが強力で無いわけがない。
初期のストーンズが惹かれたのは、まさにこのリズムの力強さだと思う。
今回のカバー・ソング100選では3分強のバージョンを選出した。
 
 2004年にミック・ファレンが来日した時、某氏から「東京公演に招待で入れてやるから
来い」という有り難いメールをもらったのだが、残念ながら日程を都合出来なかった。
2004年の名古屋DAY TRIPでのライブは破格の580円という値段で販売され、当時のライブがどんなもので
あったかは、それで伺い知ることができる。あれから7年。東京公演を行ったハコは不測の事態で活動を停止し、
このビデオを撮影した名古屋のハコも今はもう無い・・・。

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IF HE WAS ONLY A SONGWRITER~カバー・ソング100選への道・その14

2011-05-23 19:12:23 | THIS SONG

バッドフィンガー、いやピート・ハムの悲劇について想いを巡らすと、いつも到達するところは
同じだ。それはピートがバンドの一員でなく、職業作家だったら・・・ということである。
勿論、バッドフィンガーは素晴らしいバンドで、私もバッドフィンガー名義のアルバムは
「HEAD FIRST」は勿論、ピートのいない「AIR WAVES」や「SAY NO MORE」も所持している。
だが、バンドの一員であったことがピートの悲劇に大きく影を落としていると思うのだ。

バッドフィンガーの悲劇はアップル在籍中に、新しいマネージャーであるスタン・ポリーと契約したことから始まる。
財政困難なアップルを見捨て、新たな会社との契約を模索したスタンについていかざるを得ないバンドは
アルバムを作っても、あのアラン・クラインの妨害で新契約先のワーナーからは出せず、結局アップルから出した
ものの適当な扱いをうける。スタンはバンドに不利な支払条件ををメンバーの承諾なしに契約事項に織り込み
(こういうことには、当時のバンドマンは疎かったのだろう)、尚且つ勝手にワーナーの金を使い込む。
メンバー間の摩擦が大きくなる中で、それでも他のメンバーの誰よりもスタンを信じていたのはピートであったが
ワーナーとスタンの関係が破綻し、レコードは出せなくなりバンドへの支払いも履行されなくなる中、
悲劇が起ったというわけだ。

バンドというものは、自作の曲を採用されるかどうかでメンバー間で問題が起こり、マネージメント会社とは
バンド単位で契約している関係で、個人の身動きはとりにくい。そういう意味で、先に書いたようなことを
想ってしまうのだ。もし、ピート・ハムがバンドの一員でなくソングライターなら、もう少し身軽に動けたのでは
ないだろうか、と。

掲載写真は70年のアルバム「NO DICE」。ここに収録された『WITHOUT YOU』はニルスンにカバーされ
一躍有名な曲になった。
 その後も様々な歌手にカバーされ、最早スタンダードと言っても
いいだろう。しかし、そんな『WITHOUT YOU』も永遠の印税をもたらすであろう曲であるからこそ、後に
トム・エヴァンスとジョーイ・モーランドの間で揉め事が起こる。この曲の作者はピートとトムだが、曲が完成する
までの何らかの過程での貢献を理由にクレジットを要求すれば、バンドの人間関係が上手くいくはずもない。

 バッドフィンガーのアルバム「NO DICE」収録曲『MIDNIGHT
CALLER』はティム・ハーディンによって取り上げられ、72年のアルバム「PAINTED HEAD」に収録された。
ティムのこのアルバムは、自身がソングライターであるにも関わらず歌手としての自分を前面に出し、他人の曲ばかり
取り上げた盤である。バッドフィンガー・カバーはもう1曲『PERFECTION』をとりあげていることから、ティムは
ピートのことを高く評価していたことが伺える。他にもジェシ・ウィンチェスターの『YANKEE LADY』のカバーや、自身の
ルーツであるブルーズのカバーも聴きごたえがある。

ニルスンにしてもティム・ハーディンにしても、自身が作家として優れた曲を書くことが出来るにも関わらず
ピート・ハムの曲を取り上げた、ということが更に私の中でこの記事の冒頭で書いた想いを強くさせる。

『MIDNIGHT CALLER』の最後のバースでは「NOBODY THERE , NOBODY」と歌われる。
思えばティム・ハーディンの人生も悲劇の連続だった。
それでも、心あるロック者にとってピート・ハムのこともティム・ハーディンのことも「誰も知らない、誰も知らない」
なんてことは無いのだから。
カバー・ロック100選にはティム・ハーディンの歌う『MIDNIGHT CALLER』を選ぶことにしよう。

さあ、そろそろ私も家に帰る時間だ。

I'LL BE HOME・・・・

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GROUPIE~カバー・ソング100選への道・その13

2011-05-22 10:37:07 | THIS SONG

掲載したのは、アバの「GOLD」のジャケットによく似たジャケットのカーペンターズの「GOLD」。
アバの「GOLD」が最初にリリースされたのは92年でカーペンターズの「GOLD」は00年の発売。
どちらも最初は1枚物のCDだったが、後にDVDが添付されたりして何度も再発されるヒット商品となった。

私が所持するカーペンターズの「GOLD」は2005年に出た日本盤で、ユニバーサル・ミュージックが
年末商戦を見越して、オリジナルの「GOLD」に同名のDVD、更に季節柄か「CHRISTMAS PORTRAIT」を
抱き合わせた都合3枚組仕様。豪華なのか便利なのか私には判り兼ねたが、値段が安かったのは確かだ。

カーペンターズもアバと同じく、一本気なロック者の私には遠い存在だったが、カーペンターズの場合は
カーティス・メイフィールドのライブ盤に収録された「WE'VE ONLY JUST BEGUN」、更には作者の
ロジャー・ニコルス&ポール・ウイリアムスのデモを収録したCDを聴いて、そのうち聴いてみようかなとなったわけだ。
 
カーペンターズの曲で一番好きなのは『SUPERSTAR』だ。レオン・ラッセルとボニー・ブラムレットの二人によって
書かれた曲でオリジナルはデラニー&ボニーの69年のシングル『COMIN' HOME』のB面に収録され、その時のタイトルは『GROUPIE(SUPERSTAR)』だった。曲のタイトルが正式に『SUPERSTAR』になったのは翌70年で、
ジョー・コッカーのライブ盤「MAD DOGS & ENDLISH MEN』に、リタ・クーリッジの歌唱で収録された。

カーペンターズがこの曲をヒットさせたのは71年。このヒットがあったから、というのは穿った見方かも知れないが
翌72年にデラニー&ボニーは二人の共同名義では最後のアルバムになる「D&B TOGETHER」にこの曲を収録した。
つまり、カーペンターズの『SUPERSTAR』は厳密にはデラニー&ボニーのカバー・ソングということになる。
しかし。『SUPERSTAR』というタイトルになってレコード化されたのはリタの歌唱のバージョンで、しかもそれは
ジョー・コッカー一座のライブでのワン・コーナーで歌ったもので、やはり私にはカーペンターズの印象が強い。

 とどめが、コレだ。94年に出たトリビュート・アルバム「IF I WERE A
CARPENTER」の中で、ソニック・ユースがカバーした『SUPERSTAR』を聴いてそれをとても気に入ってしまったのだ。
ソニック・ユースのプロモ・ヴィデオはカーペンターズのプロモを意識したもので、メンバー全員が正装して演奏し、
紗がかかった映像処理やマイクに反射する光の一つ一つに至るまで雰囲気を似せ、尚且つそれがジョークでなく
尊敬の念に溢れているように見る者に思わせるところが素晴らしい出来であった。

そんなこんなを合わせて、ソニック・ユースの『SUPERSTAR』をカバー・ソング100選に、カーペンターズの
カバー・ソングとして選出することにした。
掲載写真は7インチで、ソニック・ユースはB面の収録であった。赤いカラー・ヴィニールというのが嬉しい1枚。

因みに日本最強のロックンロール・バンド、ザ・グルーヴァーズは09年のアルバム「ROUTE 09」で
『YESTERDAY ONCE MORE』をカバーした。もう、カーペンターズを聴かない理由は無いね。(笑)


IF I WERE A CARPENTER・・・・。

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ABBA - ZABA ~カバ・ソング100選への道・その12

2011-05-21 11:15:59 | THIS SONG

私が京都で大学生活をしていた頃は、頻繁に中古レコード屋に通った。大阪遠征も当たり前だったが
今は、たった三駅先のレコ屋に行くのも億劫になってしまった。足で稼ぐという基本を怠っているから
最近は心ときめく出会い(笑)もなかなか無い。

品揃えの悪い店には、当然足を運ばなくなる。今もあるのかどうか知らないが、京都の宝盤堂という
レコ屋は不気味だった。照明がなんだか薄暗かったような気がするし、レジではバイトの女が、その彼氏か友達か
わからない黒人といちゃついていたし。まあ、大概は愛想のない親爺がいたような気もする。(笑)
何度か行ったものの、買い物が全く無い日が続き、「これで外れなら二度と行かない。」という決意の下(笑)、
出掛けたある日のこと。

以前から私の嗜好からすれば大した品揃えで無いと思っていたが、レコードの「A」のコーナーを探すと、
出て来るのはアバばかり。「A」で始まるアーティストはアバしかいないのか、というくらいアバだらけ。
ミック・ジャガーが主演の映画「RUNNING OUT OF LUCK」の中で、迷い込んだ土地のレコード屋で自身が
ストーンズのミックであることを証明するためにレコードを探すのだが、出て来るのはフリオ・イグレシアスばかりと
いうシーンがある。それを見た時、薄暗い宝盤堂でレコードを繰った数年前の自分を思い出して笑ってしまった。
勿論、それから宝盤堂に行くことは二度と無かった。

中学生の頃から好むと好まざるとに関わらず、アバのヒット曲は知っていた。それだけラジオでのオン・エア回数が
多かったということだが、その後続々と登場するディスコを意識したキャンディー・ポップの連中を
どれ一つも好きになることなく、ストーンズ者となってしまったのでアバのレコードなんて買ったこともなかった。

それから30年近く経ち、なんとアバのCDを買ってしまった。(笑)掲載写真の「ABBA GOLD」は19曲の
ヒット曲を集めたベスト盤で、添付されたDVDには、その19曲全てのプロモビデオが(幾分、後付けの映像も
あるが)収録されている。なんで今更こんなものを買ったかというと、『DANCING QUEEN』が聴きたくなったから。

 ダン・ベアード率いる、ヤイフーズの01年のアルバム
「FEAR NOT THE OBVIOUS」にはアバの『DANCING QUEEN』のカバーが収録されている。
それが、なんだか場違いの選曲のようでありながら格好良くて、それは2011年の今聴いても、やはり格好良い。
女性ボーカルの曲を男が歌うのもいいなあと思ったのは初めてではないが、ジョージア・サテライツとアバの
どこにも共通項が見当たらないという、新鮮さがよかった。
あと正直に言えば、いつぞや見たテレビ番組「弾丸トラベラー」で菅野美穂がスウェーデンに行った際に宿泊先の
アイスホテルで『DANCING QUEEN』が流れてくると、バーで飲んでいた客が皆踊りだしたというシーンが
印象深かったというのもある。(笑)

10代の頃は「絵的にキツいなあ」と思っていたアバのお姉様達も、今の私からすれば、そんなことはない。
それだけ私が歳をとったというだけの話だが、CDやDVDから流れて来るアバのヒット曲は懐かしさを誘うと
同時に曲本来の良さを改めて気付かせてくれる。やっぱりこれも私が歳をとったからか?。(笑)

というわけで、カバー・ソング100選にはヤイフーズの『DANCING QUEEN』を選ぶことにした。

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BACK TO THE SOUL~カバー・ソング100選への道・その11

2011-05-20 22:36:03 | THIS SONG

トッド・ラングレンの新作はロバート・ジョンスンのカバー集である。近年のトッドのアルバムは
購入するものの、一度聴いたらそのまま押入れ行きみたいな感じで、なかなか愛着のある盤に
出会えない。ギター弾きまくりなんだろうけど、今回のカバー集もなんだか買うのに腰が引けてしまう。
2010年にUSBスティックで発売されたライブは、「魔法使いは真実のスター」の再現と
ロバート・ジョンスンのカバー大会で構成されていたので、大体どんな感じかは想像がつくが、
正直な処、そのライブを聴く限りでは私自身はあまり良い印象を持たなかった。
というよりも、「魔法使いは真実のスター」全曲演奏の快挙に持っていかれてしまったという感が
強かったもので。まあ、今回のカバー集もそのうち買うのだろうけど。(笑)

おっと、ここで『カバー・ソング100選』を選出するにあたっての、「縛り」の一つについて
触れておかねばなるまい。それは、所謂ブルーズのカバーは選出しないということだ。
『200選』くらいなら問題ないのだが、100曲しか選べないとなるとブルーズのカバーは居所が無い
というか、配置に困るというか、キリが無いというか・・・。今更感も強いので今回は「縛り」の一つに
したというわけである。

掲載写真は10年に出たトッド・ラングレンの2枚組ベスト盤「HELLO IT'S ME」。往年のトッド・ファンには
たまらないジャケットであろう、この写真は74年に出た日本編集のアルバム「HELLO IT'S ME」の
ジャケット写真で、それを10年にそのまま流用したというわけだ。髪を七色に染め、バッチリとメイクした
トッドのこの写真は強烈で、まさに全盛期のトッドが出した一連のアルバムで感じることが出来る
おもちゃ箱のような楽しさを写真化したようなものだ。
この2枚組はトッドのソロだけでなく、ユートピアの曲も収録していて70年代から80年代前半にかけての
トッドの歴史を簡単に辿れるところが便利だ。時系列に並べられているわけではないが、どの曲も
ファンにはお馴染みの曲ばかりで、気楽に楽しむのが正しい接し方だろう。

正直なところ、ユートピアは(特に初期)得意ではない。「2ND WIND」を出した後のトッドの来日公演を
長岡京市で見たのだが小雨が降る中、開場を待って並んでいると京都の某レコ屋の店長が私に話しかけてきた。
「なんだ、来てたんや。久しぶりのトッドやけどユートピアだったらもっと良かったのになあ。」と。
「いやいや、ユートピアでなくて良かったですよ。」とは言えず、笑って「御無沙汰してます。」なんて
お茶を濁したことを思い出した。昔は話を振っても大して興味無さげだったのに、今はラ○ーズのブートを
大量に販売しているのが不思議な、この店長にはブードゥー・ラウンジ・ツアーのストーンズの東京ドーム公演
でも顔を合わせた。何万人もいる中で唯一知った顔に遭ったのが、この店長だったというのも
今思えば笑える。あの時も小雨が降っていたなぁ。

話が大きく逸れた。(笑)

トッド・ラングレンがカバーした曲と言えば、すぐさま思い浮かぶのが「A WIZARD A TRUE STAR」収録の
ソウル・メドレーだ。

      
      

I'M SO PROUD (THE IMPRESSIONS)~OOH BABY BABY (SMOKEY ROBINSON & THE
MIRACLES)~LA LA MEANS I LOVE YOU (THE DELFONICS)~COOL JERK (THE CAPITOLS)
という4曲のメドレーがそれだ。このメドレーについては、以前キャピトルズのアルバムを取り上げた際に
書いたことがあるが、今でもこの並びは素晴らしいと思っているし、最後に「COOL JERK」を配したことは
それこそ、トッドの頭の中で飛び交う無限の遊び心を具現化したものだとすら思っている。

ライブで見たトッドは、素晴らしいマーヴィン・ゲイ・メドレーを聞かせてくれた。ブルーズ・カバーもいいけど
次はソウルの名曲をとりあげたカバー集を創っていただきたいと、切に願うのであった。

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I LOVE ROCK AND ROLL~カバー・ソング100選への道・その10

2011-05-18 22:24:40 | THIS SONG

ジョーン・ジェット&ザ・ブラック・ハーツの『I LOVE ROCK AND ROLL』がラジオから流れてきた
時のことは今でも覚えている。深夜のAMラジオだったのだが、まんまのタイトルといい、判り易いギター・リフといい
一聴して好きな曲になった。その後何度もFMでも聴き、テレビでプロモ・ビデオも見た。その際、
曲の前後で「ジョーン・ジェットは元ランナウェイズで・・・」という紹介は何度も聞いた。この曲がカバーで
あるという説明もあったかもしれないが、オリジナルはアロウズで、作者がアラン・メリルなんていう
話には一度も出くわさなかったのは何でだろう?。

私は譜面が読めない。小節や音符のこともわからないのだが、この曲が単純なようで歪んだ構造を持つ
ことには、すぐ気付いた。ロック初心者の頃から何故か聴いていたT.レックスっぽい感じもしたし、
とにもかくにも、巷に溢れる所謂洋楽ヒット曲の構造と微妙に違う処に惹かれたのだ。

今思えば、ランナウェイズの中でジョーン・ジェットは比較的地味なポジションだったのではないだろうか。
下着姿でステージをやったなんて言っても、そのイメージはボーカルのシェリー・カーリーのものだし、
ギタリストとしても、派手なリードを担当したリタ・フォードの方が印象が強かっただろう。シェリー以外にも
他のメンバーがそれなりに肌を露出したりセクシーな衣装をつけてライブをしたり写真に収まっても、
ジョーン・ジェットは革の上下とかを着て割と硬派?な感じだったのが、逆に浮いているようにも見える。

プロダクションやマネージメント・サイドの意向が、どれくらいあったかは知らないが、10代の女の子が
大人の入れ知恵で翻弄される中、自分の中で譲れない部分を貫き通したということが、今の時代も
ジョーンが生き残っている最大の要因なのは間違いないだろう。

 で、私がアロウズに到達するのはそれから約10年後くらい(笑)
であった。その前にウォッカ・コリンズを好きになり、そこでアラン・メリルの存在を知り、アランこそが
『I LOVE ROCK AND ROLL』の作者で在ることを知る。オリジナルはアランが在籍したアロウズの曲という
ことも程なく判ったのだが、アロウズのアルバム「FIRST HIT」には収録されていなかった。
アロウズに到達したものの、この曲のアロウズ・バージョンを初めて聴いたのは00年で、「FIRST HIT」が
CD化された際にボーナス・トラックとして収録されたおかげであった。

アロウズというバンドもプロダクションや契約のしがらみに翻弄されたバンドで、シングルのA面はメンバー
以外の第三者が書いた曲をレコーディングさせられ、B面に自身のオリジナルを録音するという
なんともフラストレーションの溜まるレコーディングを余儀なくされていた。『I LOVE ROCK AND ROLL』も
元々はシングルのB面曲だったのだから。

オリジナルのバージョンはテンポが遅く、曲の最後はフェイドアウトする。曲の大筋はオリジナルに
忠実であるものの、テンポ・アップしエンディングもフェイドアウトせずビシっと終わるジョーン達のアレンジは
曲に新たな生命を吹き込んだようなもので、事実、ジョーン・ジェットのバージョンがヒットして以降、
アランがライブで演奏したり再吹き込みしたバージョンは、テンポ・アップした演奏を聞かせる。

アロウズはビル・ワイマンとの関係が深く、後年リリースされたレア・トラック集にはビルがプロデュースした
数曲が収録されていた。ストーンズ者は探して聴く価値あり。

 ウォッカ・コリンズが演奏する『I LOVE ROCK AND ROLL』は
ベスト盤「BOYS IN THE BAND」で、ライブ録音されたバージョンで聴くことができる。
まあ、これが格好良いの何のって(笑)こういうのは、聴いた者勝ちなのだ。

そして、俺は”ジューク・ボックスにコインを入れ”、もう1曲楽しむ。
アランが意図したかどうかは知らぬが、このフレーズをダブル・ミーニングで楽しむ俺。
コインはスムースに入り、ジューク・ボックスはよく鳴るのさ。
もう1曲お願いと言われれば、意のままに。

I LOVE ROCK AND ROLL.

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I SAW THE LIGHT 再び~カバー・ソング100選への道・その8

2011-05-15 14:15:38 | THIS SONG

自分でも理由がわからないのだが、テリー・ホールのことが好きだ。
スペシャルズ以降のファン・ボーイ・スリーやカラーフィールド、そしてソロも追いかけているのだから
多分ファンなのかもしれない。(笑)

勝手な思いこみだが、キンクスのファンは90年代にオアシスは無視しても、ブラーやパルプは
受け入れる余地があったのではないだろうか。私の中ではテリー・ホールも、そんな感じで繋がっている。

掲載写真はテリーが97年に発表した2枚目のソロ・アルバム「LAUGH」。当時のテリーは父親の死や
自身の離婚といった問題を抱えていたのに、アルバムのタイトルは「LAUGH」である。
アルバムのトーンも、それほど明るい物ではないが、このジャケットである。
私はこういう人が大好きなのだ。
このアルバムの最後に収録されたのがトッド・ラングレンの『I SAW THE LIGHT』のカバー。
ぼんやりとMTVを見ていたら、この曲のプロモが流れて慌ててアルバムを買いに行ったのが懐かしい。

この曲のプロモ・ビデオは今でも大好きだ。
レストランのような場所でテーブルに座るテリー。周りは夫婦や若いカップルばかり。テリーの前にも誰か
いるのだろうが姿は一切映らない。テリーは目の前にいる、おそらくは女性に歌いかけるのだが
本当に目の前には人間がいるのだろうか。料理は平らげられているが、それは目の前の女性が
食べたのだろうか。愛の告白をしているにも関わらず、なんだか孤独な感じがする映像だ。
テリーは出されたスパゲッティーを残しているし。

ビデオの最後に突然ケーキが運ばれてきて、レストランの客たちから「ハッピー・バースデー、
テリー・ホール」と歌われ、テリーの前に座っている人が蝋燭を吹き消す。最後まで姿は見えないけれど
これでなんとなくテリーの前に座っているのは女性だなと思う事が出来る。
つまり、瞳に映る炎を消したのは女性なのだ。なんとなく、この恋愛がうまくいきそうにないのではと
不安を煽るのがテリーらしくて、私はこの映像が大好きなのだ。

オリジナルのトッド・ラングレンのバージョンは、自身が全てのパートをダビングして作製したせいもあろうが、
曲中でリズムが揺れるのを感じることが出来る。昔は何故それを手直ししなかったのが不思議だったのだが、
もし「XX周年記念盤」とかが出ても最新技術とやらで、修正はしてほしくないな。
私はその「揺れ」をテリーの「笑顔」と同じように、愛おしく思っているのだから。

そして・・・。たぶん私は、自身が絶体絶命の時にも「HELP!」と言えずに、くたばっていく「ヘタレ」に違いない。
笑っているかどうかは、わからないが・・・。

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FAB4~カバー・ソング100選への道・その7

2011-05-10 22:51:52 | THIS SONG



ビートルズの人気がどれくらい凄かったか、もしくは各メンバーの音楽のクオリティーが
どれくらい高かったか。当然ながら運も味方につけての話になろうが、バンド解散後(存命中でもいいが)の
メンバーがソロで出したシングルが、時期は違えど全員チャートの1位になった、というのは
後にも先にもビートルズくらいしかいないのではないだろうかと思うと、最初に書いたようなことを
思わずにいられない。そんなことから所謂FAB4のカバーを1曲ずつ選ぼうと思った。

4枚の掲載写真は、FAB4のカバーを収録したアルバムもしくはシングルを「LET IT BE」のジャケットに写る
メンバーが配された位置と同じように並べてある。

ジョン・レノンの『HOW』をカバーしたのはジュリー・コヴィントン。自身の名前を冠して78年に発表した
アルバムで、フェアポート人脈がこぞって参加した他、ジョン・ケイルやクリス・スペディング、スティーヴ・
ウインウッドら豪華な面子がバックを担当したことでもしられる盤だ。ジュリーの歌唱は実に味わい深く
ジョー・ボイドの仕事としては地味な部類に入るかもしれないが、私は好きなアルバムだ。
日本盤現行CDには77年のシングルが追加されていて、それがアリス・クーパー(!)とリトル・フィートの
カバーというのが、また嬉しい。

ポール・マッカートニー&ウイングスの『BAND ON THE RUN』をカバーしたのはフー・ファイターズ。
私は未聴なのだが、今年のレコード・ストア・デイにフー・ファイターズはLPオンリーのカバー・アルバム
「MEDIUM RARE」をリリースした。それに『BAND ON THE RUN』は収録されているのだが、初出は
07年にリリースされたコンピレーション・アルバム「RADIO1 ESTABLISHED 1967」。
とにもかくにも、このカバーの勢いに圧倒されたのであった。

リンゴ・スターの『IT DON'T COME EASY』は、リンゴの曲の中で私が一番好きな曲。これは
スミザリーンズの92年のシングル「TOO MUCH PASSION」のカップリング曲として収録された。
他にもキンクス・カバーを同時収録していて、私のようなカバー好きにはたまらないシングルだった。
後から知ったのだが、発売日が92年の私の誕生日だったというのも個人的にポイントが高いところ。(笑)

ジョージ・ハリスンの『BEWARE OF DARKNESS』は09年にマシュー・スイート&スザンナ・ホフスが
発表した「UNDER THE COVER VOL.2」収録。ジョージのこの曲はレオン・ラッセルによるカバーがあり
そちらはシタールが鳴り響く捻ったアレンジが印象的でどちらを選ぶか迷ったが、ストレートでちょっと
可愛らしい感じもする、こちらを選んだ。ここのところドミノスをよく聴いていたので『BELL BOTTOM
BLUES』に傾きかけたが、初志貫徹。

ジェリー・コヴィントン以外の3枚は、過去に何らかの形で当ブログで取り上げた盤なのだが、
継続して聴き続けていることこそ、好きである証という意味もあり一点の曇りもなく「カバー・ソング100選」に
使用することにした。

実はジョン・レノン・カバーは当初は違う曲を考えていた。ボンゾ・ドック・バンドの「GIVE BOOZE A
CHANCE」がそれだったのだが、BBCで収録された演奏自体は2分にも満たない余りにあんまりな替え歌を
使うのもどうかと思い・・・。
まあ、ジョンなら、それくらいのユーモアは笑い飛ばすのだろうが。(笑)

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I SAW THE LIGHT ~カバー・ソング100選への道・その6

2011-05-08 06:50:29 | THIS SONG

カントリー・ミュージックというジャンルには疎い。と、いうか音楽を聴き始めてから今に至るまで
ほとんど興味の対象外である。当初、西部劇のイメージからハードボイルドなものをイメージしていたのだが、
最初に何を見聴きしたのか忘れるくらい、イメージと違っていたというのが、スタートだったというのもある。
おそらく、小太りの白人の爺が暢気にニヤけながら人生の回顧録を歌っているくらいにしか
十代の私には思えなかったのだろう。

少しイメージが変わったのが、キース・リチャーズさんのブートレグ「A STONE ALONE」を聴いてから。
そこからマール・ハガードに辿り着き、ブルーズで歌われるような人生の闇部に触れるような歌詞が
あることに気付き、少し印象も変わる。確かにのんびりビールでも呑みながら演奏したり聴いて楽しめる
というのは大事だし楽しいのだが、そればっかりというわけにもいかない私には、これは転機でもあった。
ジョニー・キャッシュの凄みに気付くのは、もう少し時間がかかったが。

   

だからといってストレートにカントリー・ミュージックを受け入れたわけではなかったが、まあロック者なので
その後、掲載写真のニッティ・グリッティ・ダート・バンドのアルバムは購入した。60年代後半の英国の
幾つかのバンドがブルーズの裾野を拡げるのに貢献したように、この2つのアルバムはロックを聴く
ファン層にカントリーを聴くことを促すことに貢献した盤だろう。事実、私は「JAMBALAYA」(掲載写真右の
『STARS AND STRIPES FOREVER』収録)も「I SAW THE LIGHT(掲載写真左の「WILL THE
CIRCLE BE UNBROKEN」収録)もニッティ・グリッティの演奏でで初めて知った。
この時点で、フライング・ブリトーズの存在を知っていた私は「ブリトーにジャンバラヤか。どんなもんだか
喰ってみたいな。」と呑気なことを考えたものだ。(笑)

カバー曲といっても様々なスタイルがある。原曲のイメージや曲調をなぞる場合がほとんどだが、
歌詞はともかく曲を大幅に変えて、一聴しただけだとカバーした人のオリジナルかと思える物もある。
ドン・ギブスンの「OH LONESOME ME」をカバーしたニール・ヤングのバージョンは、私の中ではカバーという
よりもニールのオリジナルのように刷り込まれてしまっている。それだけニールの作るメロディーが
切なく美しかったということだ。これを「カバー・ソング100選」に入れるのは抵抗があるくらいに。
そして、95年に同じような曲に出会う。

  ハンク・ウイリアムズのアルバムは未だに我が家には
1枚もないのだが、曲の幾つかは先に挙げたニッティ・グリッティ・ダート・バンドを通して知っていた。
「カントリー・ソング」と言われて頭に浮かぶ典型的な雛型のように思っていたのだが、そのイメージを
覆したのが、95年にザ・ザがリリースしたハンク・ウイリアムズのカバー・アルバム「HANKY PANKY」だった。

カントリーの歌詞に潜む、人生の暗闇を深く掘り起こすようなこのカバー・アルバムは、ほとんどの曲が
原曲のメロディーから逸脱したハード・エッジなアレンジで再演されていた。シングル・カットされた「I SAW THE
LIGHT」も然り。プロモ・ヴィデオも冷たいトーンで貫かれた映像で、もうこれはザ・ザの純然たる新曲といって
提出されても、聴く人を納得させるような力が漲っていた。

自身の病気の痛みを紛らわせるために常用したアルコールと鎮痛剤の過度の摂取で、29歳の若さで夭折した
ハンクの人生。そんなハンクが見た光とは何だったのか。そんなことに思いを馳せながら、ハンクのアルバムを
所持していない自分を戒める意味も含めて、このザ・ザのカバーを「カバー・ソング・100選」の1曲に
選ぼうと思った次第である。

ところで、何で今時の若い女性のカントリー・シンガーは美人が多いのかね?。
ああ、今まで書いた文章が台無しだな。(笑)

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