活字デジカメ

益なし,根拠なし,言いっ放しの電脳写真機机上妄想コラム。できれば毎日更新したい。

平和とカメラ。

2007-08-14 13:30:29 | Weblog
キタムラ フォトライフ Vol.447 '07.08.13号

<イワサキのツウ学>
●のん気に景色の写真など撮っていられる、平和な日々に感謝。●
カメラ・デジタルカメラが日本の代表的な輸出製品で、台数としては、国内より海外で使われているカメラのほうが多いということは、新聞記事などで読んで、既にご存知の方が多いと思います。
では、そのカメラは外国ではどのように使われているでしょう?
いまの日本では、写真撮影が趣味の1ジャンルとして広く定着していますから、その感覚が、世界共通のものだと思われるかもしれません。
もちろん、先進国では思い出づくりや芸術表現のために、一般の人々が普通にカメラを使っている例が大半です。
しかし、それ以外の国では、一般家庭ではカメラを1台も持っていないことさえ決して珍しくはなく、写真を撮るのは、軍人かジャーナリストだけという国・地域も、まだあります。

そして、日本の外では、たとえカメラを持っていても、個人には「写真を撮影する自由」がない場所もあり、景色の写真を撮ることさえ、国防上の理由から許されないという例もあるそうです。
つまり、国民に表現の自由が認められていて、原則的には(他人の迷惑にならない限り)、どこでも好きなところで自由に写真を撮って良い国というのは、世界中を探しても、この日本くらいということ。
写真を撮るという趣味一つも、実は、私も含めたみんなが当たり前の日常だと思っている「平和」に支えられているのです。
そして、中学生のお小遣いでもデジカメが1台買えて、街をちょっと歩くだけで、どこでも必ず写真屋が見つかるような国も、おそらくは日本くらいのものでしょう。
そう考えると、写真が芸術作品としても成立している、この国のカメラ・写真事情は、全地球規模で見れば、実は、かなり特別な状況なんだということに気が付くと思います。

みんなが撮る写真が1970年代までは白黒だったことを、既に知らない人が多くなったように、気の向くままに写真を撮る自由があることの意義にも、なかなか気が付きにくい時代。
しかし、もともとカメラは、戦艦に搭載する大砲の照準を合わせるための技術を、戦後、民間向けに転用して発展したもので、これが日本の高度経済成長を進展させてきたという史実もあります。
つまり、日本製のカメラが世界に普及したことと、写真を撮って楽しむという文化が、当たり前のように日本人の全体に根付いていることは、ともに、ある意味では戦後平和の象徴と言えるものなのかもしれません。

まもなく終戦記念日を迎えますが、当時から60年以上の歳月を経て、日本人の半数以上が第二次大戦を知らない世代になりました。
しかし、そこで平和を語り継ぐために、私たち若い世代は、いま2つの方法を持っていると思います。
一つは、戦争を体験された方が残した記録と記憶を、絶やさず後世に伝え続けること。
もう一つは、軍事技術から平和利用に転じて発展したカメラを使って、日本と、して世界にある、美しい自然や街の風景、そして人々の姿を、誰もが自由に写真に撮れるということの大切さ、その、いま目の前にある幸福をしっかりとかみしめること。
レンズを向けた先に、写真を撮ることを心から楽しめるものが存在する限り、そこに「平和」はあり続けるのです。
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以上,リンクできないので全文転載致しました。
海外で何気ない写真を撮っていて注意されることって,ありますよね。
そうだよなあ。平和だからこそのデジカメ三昧。
ホント,いいこと書いてる。
感激したので,今からキタムラにIXY 10を買いに行ってきます。

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