山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

化学物質

2008-02-22 00:27:12 | 未分類過去
このごろ、なんだか行き詰っているなあ~と感じる。
ちょっと大きな坂を登り終えて、でもまだなだらかな上り道が続いていて、その先がどうなっているのかもわからないような状況だ。
行き詰ったときは、「なにげに読書だ!」と思った。
こういうときは、図書館に出かけてぷらぷらして、書棚の中の1冊の本とばったり出あうというのがいいのだ。
たまには、小説だよ。

ところで、最近、ニュースで「メタミドホス」だとか、「ジクロルボス」だとかいう化学物質の名前が出てきている。
そこで、ふと思い出したのが、昨年図書館でばったり出会って借りた本の中に出ていた、たぶん架空の化学物質のことだ。

その名は「ヌクロクシド」「ロクディオシン」。
これは井上淳という人の書いた「廃墟の聖母」という小説に出てきた物質の名前だ。
「ヌクロクシド」という殺虫剤を発明したものの、植物までが死んでしまい、その物質は使い物にならなくなり、それを発明した人は転落の人生を歩んでいくんだったかな?あんまり内容は覚えていないが・・・。そういえば、そんな小説読んだな~と思いだした。
この「ヌクロクシド」なども、「メタミドホス」や「ジクロルボス」と似ているのはどれも6拍の言葉であるということで、なんとなく毒っぽい感じだ。

こんなこと思い出したところで、何の意味もないのだけど、また図書館に行こうかなと思ったわけだ。ついでに、期限を過ぎているのにずっと借りっぱなしの本も返さなければ・・・。

ところで、化学物質とは何か?
化学物質とは、化学反応によって合成できたり、また分析できたりする物質だそうだ。
だから、食品のほとんどは化学物質と言っていいらしい。
しかし、普通、化学物質というと、人工的に作られて、人体に悪影響を与えるような成分のことを言うようである。

そんなこと、放送大学の基礎化学の教科書に書いてあったかな~

などと、ふと思い出しました。
エコ検定の本も買ってきたんだけど、気晴らしに小説でも読もうかな。

次のカードは?

2008-02-21 22:57:56 | 未分類過去
この会社に入ったときは、特に何も考えていなかったんだ。
日本語を教えるのが疲れたなと思って、それ以外のなんとなく自分に向いていそうな仕事を探していたときに、求人広告にこの会社の仕事をみつけた。
そして、うまく入った。後で話に聞くと、いったん採用が決まった人が辞退した直後の再募集だったらしい。私が応募したときには、あまり競争率もなかったようだった。
まあ、これは会社と私の良いめぐり合わせだったと思うよ。
理系の文書の校正なので、私は畑違いだけど、それでも何とかやってきた。この仕事が続くか続かないかは、「能力」というよりも「性分」だと思う。
一日中黙々と活字と向かい合えるかどうかというだけだ。非常に地味な仕事だ。
黙々と読み続けるためには、その内容について、ある程度自分なりに関心を高めることが必要だ。だから、放送大学の自然の理解コースにも入ってみた。それはこれからぼちぼちってところである。まだ高校生の内容も理解できていないことが判明したので、時々テレビで高校講座なんかも見ている状況だが、勉強が進行中であるということでも、かなりの心の支えにはなっている。いずれはわかるようになるんだ、という安心感みたいなものがある。

3年経って、「社会保険加入」というものを手に入れた。これは、入る時に予定していたものではなかった。日本語学校の非常勤講師をしていたら、一生自分で加入することはなかっただろう。だから、思いのほかの収穫だったといえる。

これから先、どうするかな?
このままここで働き続ければ、正社員にならなくても、社会保険に加入し続けることはできる。厚生年金だから、第3号よりも多少は年金額が高くなるのかもしれない。
でも、60歳まで働くんだろうか?
田舎の母はどうなるのか?
仕事を辞めて、田舎に行ったほうが良いのか・・・。
田舎に行くとしたら、また方向転換しなきゃならない。
別のカードを用意しなくちゃならない。

今の会社にもプラスになり、将来どこに行ってもプラスになるカードは?
放送大学の自然の理解を卒業し、エキスパートもとりたい。
文章能力検定、ECO検定、なんかもどうだろうか?

着実に日々の仕事をこなしながら、何か準備して行きたい。

3年後は?

2008-02-21 00:21:55 | 未分類過去
自分が3年後に何をしているか、あるいは、何をしていたいかと、具体的に思い描くことがなかなかできない。
来年のことを言うと鬼が笑うというが、それでも、将来の構想無くして生きるっていうのも、よくないだろう。

将来に何か目標があり、それを達成すべく向っていくなら、3年後を思い描くこともできるはずだ。

最近の新卒の若者は、入社して3年で3分の1くらいが辞めているらしい。その中には1年で辞める人もかなりいるそうだ。
そして、何で会社を辞めるかというと、その会社で活躍する3年後の自分の姿を想像できないからだとかいうことを聞いた。

そんなことから、3年後何してるかな?と思った。

実は最近、ある女性の社員さんが退職されたのだが、その人がほぼ3年で退職とのことだった。その人は私より2ヶ月くらい後に入って来た人だった。他の部署だったのであまり接点はなく、私より古い人だと思っていたら、あるとき本人と話していて私より後で入ったということがわかった。社員さんというのは、パートと違って主要な存在なので、堂々としていて古い人のように感じるが、そうでもない場合が多い。

その人が辞める時に「長い間お世話になりました」と言っていたのだ。
3年間って長いかな~。
それならば、3年以上勤めている私は、もっと長いってことだ。
パートタイマーで辞めたいとも思わず3年間やってきたのは奇跡に等しい。

というか、新入社員の3人に1人が短期間でやめるということは、就職とは3回に1回、つまり3分の1は「はずれ=失敗」ということになる。
私の場合、3年続けている今の会社への就職は「当たり」だったということになる。日本語学校もスーパーマーケットも結果として続いていないのだから、「当たり」の確率は高くはないといえる。

それで、今の仕事が今のところ「当たり」だったのはいいが、3年間やってきたものの、この後はどうなるのかな?何か目標はあるのかな?と思ったしだいだ。

今度は、これから3年後を思い描けないなら、やはり希望は無いってことじゃないか。
社員さんの場合、3年勤めると退職金がもらえるということで辞める人がいるようだが、
やはり、このままここで続けていても、この後の自分の姿に希望が持てないと思って、ヤル気がなくなってしまうのかもしれない。

自分がどうなりたいのか、3年後の目標をみつけて、それに向っていかなくちゃいけない。

学割活用!

2008-02-20 00:32:46 | 未分類過去
先日、携帯を買い換えたんです。
充電がもたなくなってきたので、機種変更しようと思って行ったんですが、
新規にしませんかと勧められました。

そこで、思いついたのが、私、学生だったんだってことですよ。
放送大学生ですからね。

どうせ、新規だったら、学生なんですが・・・、というと、
こんなオバサンでもOKでした。

学生だと、かなりお得のようです!

皆さん、放送大学に入りましょう!

週初めは・・・

2008-02-19 00:05:22 | 未分類過去
週始めだというのに、最初の日から弁当も作らず、いったい何をやってるのかと思う。
どうしようか、外に食べに行こうか、買いに行こうか、と思ったが会社の注文弁当を取ることにした。

私はだいたい、自分で手抜き弁当を作っていくことが多い。おにぎり2個だけという日もある。
それが、月曜日はそれさえも億劫なほど、立ち上がりが悪いのである。

気合が入ってないなあ、と自己嫌悪に陥るが、
月曜日というのは、意外にお弁当を注文する人が多いということを知った。

な~んだ、私だけじゃないんだ。
みんなも“よっこらっしょ”っと、サボりたい体に鞭打って出勤してくるんだね。

ちょっと、気が楽になったよ。

引越し 

2008-02-17 18:48:28 | 未分類過去
この土日、長女のアパートの住み替えで忙しくしていました。

私が長女と同じ年齢だったころの引越しといえば、大した荷物もなく簡単だったのですが、近頃の若者の家財道具や小物類は、当時の何倍もあるんですね。
べッド、洗濯機、電子レンジ、パソコン、プリンター、DVD、勉強机、多量のぬいぐるみやバッグカバン靴類、小物雑貨などが、若い頃の私にはなかった物品です。
物が多い分だけ大変ではあるのですが、長女の奴が前夜までに完璧な準備をしてなかったので、当日になってから、ダンボールに入れていなかった荷物などをあせって荷造りしたりして、大忙しでした。
また、引越屋さんは午後の予定(遅ければ3時ころかも)だったのですが、朝からの仕事が早く終ったらしく、午前中に来られるとのこと。待ってもらうこともできたのですが、早く終われば早いに越したことはないということで、そのまま来てもらいました。
実家と旧アパートと新アパートが自転車で移動できる距離でもあったので、やり残したことは後でもできるという気持ちもありました。
それで、ばたばたと運び終えたわけなんですが、その後、新アパートのほうで一段落した後、元のアパートに戻り、不用品の片付けや掃除などにてんてこ舞いとなりました。

一番失敗したことは、古いアパートのガスを午前中に止めてしまったことでした。
午前中に旧アパートのガスを止めてガス漏れ警報機もはずしてもらい、それを持って新アパートに行き、夕方ガス屋さんに新アパートのガスを開いてもらい警報機を取り付けてもらうという段取りにしたのでした。
その後、夕方から夜にかけて古いアパートに戻り、水回りや部屋の拭き掃除をしようとしたところ、お湯がでないのです。もう水が冷たくて冷たくて・・・。
しかたなく、私の住む公営住宅自宅からポットにお湯を汲んで自転車で運び、バケツの水にお湯を足して何とか拭き掃除をしました。
また、家具を移動したあとの綿埃などを片付けるのにやはり掃除機が必要なので、それも自宅から自転車で掃除機を運ぶということになりました。

掃除というのは、私は得意じゃないんですが、それに輪をかけて掃除ができない長女です。換気の悪いユニットバスがカビだらけだったんですが、掃除をしても取れないのかと思っていたら、拭けばすぐ取れるんですね。もともと長女がやってなかったようです。それで、私がユニットバスの床や壁、便器や洗面台の裏、排水溝などきれいにしました。
ガスコンロの周りも食べ物のカスなど散らばったままでした。
窓枠やガラスも長女が拭いたと言っても、実際きれいになっていないわけで、結果がきれいじゃなきゃ掃除をしたとは言えません。
まったく、基本的な教育がされていない。よその娘だったら親の顔が見てみたいところですが、それが自分なんだからお恥ずかしい限りです。

私はずぼら1代目ですが、娘はずぼら2代目。私の母はずぼらじゃないから、私は「あるべき状態」「普通の状態」という常識は知っています。何をもってきれいというのかきたないというかはわかっている。しかし、娘の場合、その「あるべき姿」を見たことがないから、こういうことになっちゃうんでしょう。やはり私が悪い・・・。
私は「本当はこうであってはならない」と思いつつ毎日家事を手抜きしてすごしてきましたが、娘の場合はそれを普通のものと思っているようです。
やばいやばい。

また、アパートなんて退去した後はどうせプロのクリーニング業者が入るから、そんなにきれいにする必要はないともいえます。だから、娘は気合を入れて掃除をしようとはしないのかもしれない。しかし、やはりぴかぴかにして返したほうが気持ちがいいだろうと私は思うわけです。

そんなわけで、ひさびさの本格的掃除でした。
こんな調子で自宅もちゃんと掃除しておけばいいんだけどね~。

ゴミも大量に出て、アパートのゴミ置き場には全部置けないため、自転車の前後の籠にのせて公営住宅に何度か運搬。ごみ収集日までベランダへ。
引越しの前には早めに不用品を整理し、捨てておいたほうがいいですね。

それにしても、近所だからこんなこともできたけど、遠くに引越す場合、荷造りと同時に掃除や処分も完璧に済ませるってのは、大変だろうな~と思いました。

一世帯の全部の本格的な引越しをしたことがないのですが、日頃から不用品の整理や掃除など怠らないようにしておくべきだな~と思い、良い経験になりました。




“撓む”と“撓る”

2008-02-15 21:03:13 | 未分類過去
「撓む」
この仕事を始めてから、初めてこの字に出会ったときは、読めなかった。それで、漢和辞典を引いたところ、「たわむ」って読むことがわかった。

その後、何度かこの「撓む」に出会うようになった。
機械や装置・製品などの部品が「撓まないようにする」あるいは「撓んでも悪影響がないようにする」というのは、誤差や故障をなくすための重要な製造技術なわけなんだ。
だから、時々文中に出てくるわけです。

ところで、今日初めて出会ったのは
「撓る」だった。
たわ-る・・・じゃ変だぞ!でも、この字は確かに「たわむ」だったぞ???
そこで、机の引き出しから漢和辞典を引っぱり出し、調べてみたのですが、のっていません。おかしいなあ~

それでね、パソコンで「撓む」を入れて「む」を削除し、「る」を打ち、「撓る」としたところで、それを逆に変換してみました。
そうしたら「しなる」って出てきたのよ。
それで、確認のために「しなる」を変換すると「撓る」がでてきました。
へえ~、「しなる」って読むのか。

ところで、「たわむ」と「しなる」が同じ漢字ということは、意味も同じなんでしょうか?
goo辞書で調べてみました。

たわむ
=(1)固い棒状・板状のものが、加えられた強い力によってそり曲がった形になる。しなう。
「雪の重みで枝が―・む」「棚が―・む」
(2)心が屈する。疲れる。たゆむ。
「いもうとの心は―・む所なく、まめだちたれば/源氏(空蝉)」

しなる
=「しなう」の転。
「枝が―・る」

しなう
=〔「しなやか」の「しな」と同源〕
(1)弾力があって、力を受けたとき折れずにしなやかに曲がる。たわむ。しなる。
「実がいっぱいなって枝が―・う」
(2)逆らわずに、物に従う。順応する。
「水に―・うて渡せや渡せ/平家 4」
(3)しなやかに美しい姿である。
「うち―・ひ寄りてそ妹はたはれてありける/万葉 1738」

「しなる」は正しくは「しなう」らしい。
そして、似てはいるけど、ちょっと微妙に意味が違うように思う。
「たわむ」は力が加えられてそりまがったりすることだが、「しなる」のほうは、同じように曲がっても、しなやかに元の状態に戻る意味が強いように感じる。
「しなる」のほうが「たわむ」より、ちょっといい意味に使われるかな?

それにしても、日本語も漢字も難しいな~


バレンタインは無しにしたぞ~

2008-02-14 22:00:28 | 未分類過去
会社の義理チョコですが、今年は「ナシ」にしましたよ。
理由は「義理チョコ返しをもらいたくないから」です。

なんか、バカみたいっていうかさあ、普段、旅行とかに行ってお土産のお菓子を1コずつ配ったりしても、別にそれに対して「お返し」なんて考えないですよね。
また自分が旅行行った時に買ってきたりはするけどね。

だけど、バレンタインに関しては、どうしても男性が「お返し」をしなくちゃって考えちゃうらしいんですよ。
それで、あげたものよりずっといいものを返してくれたりするのが、なんか、心苦しいんですよね。そんなに気を遣わなくてもいいと思うんです。

それで、女性の場合はみんなで示し合わせてお金を出し合って買ったりするんだけど、男性の場合はみんなで相談してお金を出し合い・・・なんてのはしないから、個人でくれたりするじゃないですか。また、上司が部下にお金を渡して「女性陣に何か買って来い」なんてやってるような気もするんですよ。そういう手間をかけるのも悪いな~と思ってしまいます。

他人事ながら、面倒くさいだろ~な~と思うわけです。

それで、私の所属する部署では、今年は女性社員さんたちと事前相談もせず、でも、みんな同じように思っていたのか、誰からも「どうしましょう」という相談もなく、いきなり中止にしたんです。

男性陣、あれっ、今年はないのかな~と肩透かしをくらってしまったかもしれませんね。

すみませ~ん。

その代わりに、どっかに行ったら、いつもより大きくておいしいお土産買ってくるからね。

ホームレスじゃないよ

2008-02-14 00:36:51 | 未分類過去
昨夜の風はすごかった。
今日はそうでもないと思っていたのだが、仕事帰りの頃にはまた北風ビュービューになっていて、辛かった。
以前天気予報で聞いたことがあるのだが、風っていうのは夜は止まるもんだとか言っていた。昼間太陽に照らされて空気が暖められると上に上がり、その下に冷たい風が吹き込んで来るとか言っていた。夜はそういうことがないから風が止まるんだとか。
おかしいなあ。じゃあ、夜になってから吹き始めるのはなんなのさ。
まあ、夜にしろ昼にしろ、こういう北風の寒い日に素人が思うことは、「山の向こうで雪が降ってるらしい」ってことである。

ところで、今日も風が強かったが、昨日自転車で運ぼうと思って中止していたものを今日は運んだ。
まずは、私の家から長女の家へ、引越しに使うダンボール箱を3個を運ぶことである。
これは、買い物のついでに店からもらっておいたものだ。
ダンボールって、折りたたんでも意外に大きいものである。ママチャリの後につけたカゴになんとかはめこんだんだけど、かなり高さが高いものになった。前のカゴにはめ込もうかとも思ったのだが、前方が見えなくなりそうだった。
いつ飛ばされるかとヒヤヒヤしながら、それでも何事もなくアパートに到着。
あまり人通りは多くはないが、すれ違う人や自転車はちょっと驚いたことだろう。
ホームレスのおうちを運んでるんじゃないんだよ。

次に、帰りは長女の部屋から敷布団と夏がけを自宅まで運んだ。これは、以前長女のアパートに友達が泊まりに来るとの事で運んであったものだが、今度のアパートは収納場所がちょっと小さくなるし、友達が来て泊まっても徹夜で遊ぶので布団には寝ないそうである。
それで、自宅に持ち帰ることにしたのだ。最初は何品か一緒に引越しの日に引越し屋さんに自宅のほうに運んでもらおうと思っていたが、ちょっと金額が高くなるそうなのでやめた。
布団は小さく折りたたんでヒモで縛ってあったので、それもなんとかママチャリの後ろのカゴに一部を押してはめ込んで安定させることができた。
しかし、やはり布団は布団、こんなものを自転車で運んでいる人はそうそういるもんじゃない。
昨日のボンビーメンでは、布団を持ってアパートをでるシーンがあったようである。ちゃんと見ていなかったので、内容は把握していないのだが、住むところがなくなってホームレスになっちゃうのかな。
そのとき、初めて気がついたんだけど、地下道などで暮らしているホームレスの人たちって、ダンボールの中に布団を敷いている人が多い。私は、そのお布団はその辺の粗大ゴミでも拾って来たんだろうと思っていた。しかし、そうじゃなくて、家を出る時に自分の布団を持って出たのかってことに気がついた。

わあ、まさか自転車移動しているホームレスのオバサンに見えたらどうしよう。
娘に聞くと、いくらなんでもホームレスには見えないから大丈夫だとのことだった。
布団に加えて、パンパンになったスーパーの袋がハンドルの両側にぶら下がっていたりしたらもう間違いなくホームレスに見えちゃうだろうな。

帰りはほとんど誰にも会わずに到着しました。到着したとたんに、カゴにはまっていた布団は、自らの弾性で飛びはねてカゴから脱出し地面に着地。道中じゃなくてよかったね。

そういうわけで、無事やることはやったぞ。

今現在、いつの間にか風はぴったり止んでいる。

ものすごい風

2008-02-12 23:40:37 | 未分類過去
なんでしょうか!
さっきから、急にものすごい風が吹き始めました。
突風です。
北風です。
家の中にいても、恐ろしいくらいです。

ちょっと長女のアパートにもって行くものと、
持ってくるものがあったのですが、
この強風では、自転車の荷台に乗せても飛ばされてしまうので、
やめました。

明日は風がないといいんだけどな~

どんだけ~

2008-02-11 23:43:11 | 未分類過去
あれっ?、前記事は話が思わぬ方向に進んでしまいました。

本当は、レトルトカレーに続いて食品の話をするつもりだったんだ。

この間の、冷凍餃子の件があってから、友人の息子が自宅で作る正真正銘の母親の手作り餃子まで食べなくなったんだって。目の前で母親が包むところを見ているにもかかわらずですよ。どんだけ神経質な息子なんだよ!と思いました。

ところで、餃子の事件の直後に、私はコープで冷凍エビシュウマイがセールだったので買ってきたんです。それを夕飯に出したら、夫が「これは大丈夫なのか?」と疑心暗鬼。
「大丈夫だから売ってるんでしょ」と言ったのですが、「中国製じゃないのか?」と言います。裏面も見たのですが中国製かどうか、特に書いてなかったので、日本だと思ったわけでした。メーカーは「ニチロ」って書いてありました。
そうしたら、「電話して聞いてみようか?」などと言うのですよ。
聞いてどうすんの。大丈夫ですって言うに決まってるだろ。
なんにも起こらないうちに、そんなこといちいち聞く人間がいっぱいいるから、その会社も迷惑してるに決まってるよ。

そして昨日、今度は駅前のスーパーで、冷凍食品全品4割引ってのをやっていた。これはだいたい休日によくやってるセールなんだ。定価で買うより断然安いから、平日に定価で買う人なんかほとんどいない。
そこで、「イカのから揚げ」食べたいな~って思ったんですよ。
イカってのは、生のイカを買うとワタがでるし、水気で油が飛んだりするから、自分で作るのはいやなんだよ。冷凍品だったら、味付けも悪くないし、電子レンジで温めるだけですからね。
それも、よく見ないで買ってきたんだけど、イカが中国産だったらしいのよ。
夫が見て「中国だぞ、大丈夫かな~」とまた言ってる。その後、食べだしたら、味がしないなどと言い出した。夫の味覚がおかしくなったのかと思ったが、そのほかの私が作った豚汁やほうれん草のソテーは普通の味がするんだそうだ。私はイカのカラアゲも普通においしかったよ。
おそらく、中国製だ、毒がはいっているのでは・・・、などと思いながら食べているから、味が感じられないんじゃないんでしょうか。
男というのは神経質なんだね。

このイカのから揚げも、「ニチロ」って書いてあったんだけどさ。
「ニチロ」ってあんまり聞かないかと思ったら、「あけぼの食品」でしたよ。
「あけぼの」なら大丈夫だろ。

それでね、私から見ると、トイレの便座のバイキンや、他の会社の冷凍食品まで恐れる人たちって、
どんだけ~って思ったわけでした。




トイレの速さ

2008-02-11 23:19:23 | 未分類過去
世の中の人って言うのは、かなりな潔癖症のようである。
みなさんは、レストランの洋式トイレなどを使う時に、除菌クリーナーで殺菌してから使うのでしょうか?
実は、私はそういうことはほとんどしません。
他のお客さんの太ももがそんなに汚いわけないだろ、お尻の穴が触れるわけはあるまいし、と思い、見た目にきれいそうな便座の時にはそのまま座って用を足します。
ところが、除菌も何も、肌を触れずにお尻を宙に浮かして、けっして便座の上には座ることはありえないという人もいるようですね。
私の場合、冷たそうなときにはそういうこともありますけど、それはなかなか大変な姿勢だよね。

それでもってね、なんだか、我が家の人間はやたらとトイレが早いのですよ。
世の中の人々はトイレの中でいったい何をやってるんだろうねというのが、母娘の会話です。

以前は、トイレの個室の中でコンパクトなど出し、化粧をしているひともいたようですが、最近は手洗いの洗面台以外にも鏡のついた化粧台が設置されているところが多いので、個室の中で化粧をする人はいなくなったようです。
でも、便座を殺菌のために丁寧に拭いたりしているから、時間がかかるのかな~

あと、私と長女は、だいたいスカートをはいていることが多いのです。
たぶん、パンツ(ズボン・スラックス、いろんな言い方があるなあ)より、スカートのほうがぜったいに早いんですよ。
ズボンの場合はベルトやボタンをはずしたりはめたりしなきゃならないですからね。

というわけで、10個くらい並んでいるトイレが全部ふさがっているときに、一番早く出てくるのは、必ず我が家の人間だね。


コープのレトルトカレー

2008-02-11 22:43:03 | 未分類過去
今回の中国餃子事件に関連して、コープで売られていたレトルトカレーも回収されている。
このカレー、実は私の常食といっていいほどの愛用品だった。
とは言っても、よく食べていたのは、木曜休日に1人で食べるときのお昼ご飯だったので、毎日出勤になってからは、食べる機会がほとんどなくなった。夫も夜勤などで、自分ひとりで昼ごはんを食べてから出勤するときには、このカレーを食べていくことがあったようだ。料理が全くできない夫も、ご飯さえ炊いておけば、レトルトを温めることくらいはできるのだった。
このカレー、最近は買い置きのものもすでに尽きていて家には残っていなかった。

これをよく食べていたなどと知人に話すと、とたんに軽蔑のまなざしになったりする。
いや、実際に態度に示すわけではないが、「へえ~そんなものを食べてるの」という内心は読める。そのへんについては、私はKYではない。
レトルトカレーを食べるのは恥ずかしいことかな~。

私は、カレーがかなり好きなのだ。
まあ、怠慢であり、インスタント食品に抵抗がないというのはあるのだが・・・。
以前、レトルトカレーを各種買い集めてきて、どれが一番おいしいか比較したことがあるのです。
そこでわかったことは、値段と味が比例するわけではないということだった。
とても高いのでさぞかしおいしいかと思ったら、たいしたことのないものもあった。
そこにいくと、このコープのカレーは値段の割りに、おいしいものだったのである。
ちなみに、このカレーは定価は100円くらいだったかと思うが、86円くらいで買えることも多く、セールでは68円くらいだったのではないかと思う。そういうときに、5袋くらい買っていたわけだ。

安いのは中国で作っていたからかと思ったら、そうではなく、一時期、原料の一部食材に天洋食品から輸入したボイル牛肉を使っていたとのことだ。調理は日本でされているらしい。今現在肉はオーストラリアのものを使っているという。
なくなるわけではないらしい。

問題があるわけじゃないけど、何となくいまも心象が悪いですね。

反応なしってのはねえ

2008-02-11 14:56:32 | 未分類過去
音信がないってのも、自分の行動が相手にどう反映してるんだか、よくわかりませんね。
ラブレターをもらって、返信も何にもなかったら、脈なしってことだけどね。

そういえば、この間、仕事のミスの原因のことで、他の部署の担当者から社員さんたちに連絡が回ってきたらしいんですが、最終段階のチェックでみつかるミスに、もともとの手書き文字がきたないので、それを印刷にする段階で、特に数字のミスが多く発生しているとのことでした。
だから、そのミスを減らすように手書きをきれいにしろってことですが・・・。

あれっ?それって、私1年くらい前に報告書に書いたことなんだけどな・・・と思いました。
でも、そのときの報告書は、どうなったのかわからないんですよ。書けといわれて書いたわけではなく、私が自分の判断で書いて出したものでした。
書けと言われたのは、発見されたミスの数をグラフにしろというだけでした。
私は、数よりも原因を改善することが大切ではないかという意見で、原因と思われることを書きまとめて一緒に提出したのですが、それはいったいどこに葬られてしまったんでしょうかね。

そして、書類のミスってのは、まず私たちパートタイマーの担当者が調べてなくしているものなんですが、その後も書類の内容を変更したりすることがあるそうです。また、そのときに未完成だった部分がその後に完成されることもあるらしいです。それで、その最終チェックを正社員さんがしているのだそうです。

そういう仕事の流れについて、3年以上もこの会社に勤めていて全然知らなかったんですよ。
しかも、その書類のチェックの仕事の手が足りないために、新しく事務のほうで正社員さんを雇ったんだって。その種類のチェック内容ってのは、私たちが今している仕事と非常に重なる部分が多いんです。
重なるのはかまわないんです。何回もチェックすることも当然必要です。
でもね、そういう流れだってことを3年間知らされてなかったってのがショックですね。
そして、正社員にならないかって話のときも、結局そういう話で、その仕事が必要だったってことらしいです。
はっきり言って、それなら、私は新人よりもその仕事のプロだと思うよ。でも、そのときは事務の仕事だと聞いたから、外線電話を取ったり、関連会社やお客さんに手紙を送ったりする仕事だと思ってました。

しかも、以前から意見を述べているのに、それはどこかに消えていて、いまさらになって正社員の同じ意見が初めての重要な意見のように注目されているのはなんなのさ。

私が作ったミスについての書面はどこに消えたの~
まあ、それも、いまさら追求するのもねえ・・・

恩師音信なし

2008-02-11 14:24:09 | 未分類過去
この前、同窓会があったときに、たまたま私がデジカメを持っていて、幹事さんはカメラを用意してなかったので、私のカメラで記念写真をとりました。
その写真の大部分は地元の同級生にまとめて送ったのですが、地元に住んでいない同級生たちと担任の先生には、私から直接送ることにしました。

担任の先生には、同窓会の時には席が離れていてほとんど話もできなかったので、手紙に子どもの頃の思い出や、自分の近況なども書いて写真と一緒に送りました。
もう、12月に近かったかな。

年賀状も大人になってからは送っていなかったので、今年から送りたいなとは思ったのですが、母が言うには、長年教職をしていた先生はたくさんの人から年賀状が来て返事を出すのも大変だろうから、送らないほうがいいんじゃないか、とのことでした。
母は、私のカメラで同窓会の集合写真を撮ったことさえ、何で幹事でもないのにあんたが写真を撮って送らなきゃなんないの、そんな余計なことをして、などと文句を言っていました。
うちの母は、いつもそのような思考回路の人なのです。
祖父母の葬式のときでさえ、場所が遠いということもあったのですが、親戚や来訪者がものすごく多いので、それ以上行っても混雑が激しくなるだけだから、行かなくてもいい、ということで、参列しませんでした。
そういうもんかな~と疑問に思いますけどね。
まあ、そんな母の意見もあって、先生に年賀状は送りませんでした。

で、その後なんですが、写真を送った先生からは、結局何の返事もありませんでした。ちゃんと届いたのかな~?
子どものときの担任の先生ってのは、どの先生も、子供の手紙の返事とか本当にマメにだしてくださるものですよね。
私は、子どものときの自分とその当時の先生という関係を今現在にも、そのまま当てはめていたようです。
写真のお礼と励ましの言葉を書いた簡単な葉書くらい送られてくるのかな、と期待していたのかもしれません。
でも、生徒にとってはいつまでも先生だけど、先生にとってはもう生徒じゃないっていう感覚かもしれませんね。一生恩師らしく振舞うなんて、疲れちゃうかもしれません。私がどの生徒だったかも覚えていないのかもしれないです。あるいは、何か本当に体の具合が悪いとか、返事どころではない事情があるのかもしれません。

写真を送った同級生からは、年賀状をもらった人もいて、写真のお礼がかいてありました。そういう人にはこちらからもまた年賀状を送りましたが、それも楽しかったです。同級生に送ったのは一律同じ文面の印刷で簡単なものでしたから、特に返信は期待していませんでした。

母の場合、こういうのも、もし私が写真を送ってもらったほうの立場だった場合、「普段出さない人に年賀状にお礼なんか書いてだしたら、写真を送った人がまた年賀状の返事まで出さなきゃならなくなるんだから、やめておきなさい」などと言い出しかねません。
でも、そういう考えも変でしょう。現に私は届いたかどうだかわからない場合よりも、写真ありがとうと書いて年賀状を送ってくれたほうが嬉しいです。
もしかしたら、先生に年賀状を出したら、先生は年賀状に写真の返信を書いて下さったのではないかと思ったりもします。

まあ、写真の返事が来なかったからといっても、別にかまわないといえばかまわないんですけどね。
まさか迷惑だとは思っていないと思うし、返事をくれなくとも喜んでくれただろうとは思っています。
母に言わせると、そもそも私が写真なんか撮らなければ、面倒な手間や気遣いなどが誰にも何もおこらなかった、などと言いそうですが、そういうことを省くだけが人生を問題なく幸せに過ごす方法とも思えません。

でも、人に何かをしたら、された人はそれに対しての反応をしなければいけない状況が出てきます。
母は、そういう手間を相手に発生させるなと言いたいようです。

昔、友人のお子さんが小さかった時に、私が勤めていた出版者の絵本をプレゼントしたことがありました。宅急便で送ったんですが、やはり届いたとかありがとうとかいう音信がないままでした。
直後に聞いてみようかと思いつつも、お子さんも小さいし忙しいんだろうと思い、確認もしないままそのままになってしまいました。
その数年後に会ったときも、相手からも何ら言及されることもなく、20数年が経過しました。未だにわからずじまいです。あれは、届いてなかったのかな~、それとも迷惑だったのかな~と、すごく気になるんですが、今さら確認するのもねえ。