山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

価値観の違い

2009-12-16 01:12:43 | 運転・車・道路の事
オートマ限定解除をするにあたって、誰もが口をそろえて言うことは、
「マニュアル車を運転することなんかないのに、お金ばかりかかって意味がありません」
ということだ。

確かに、卒業生期限内で、最低3万円。しかし実際には、その倍はかかりそうである。
そんな大金があったら、ちょっとした旅行にもいけるし、もっと別の有効な使い方がありそうなもんだと、人は考えるだろう。
かかった費用に対する見返りがどんだけあるか、ということで判断するのが普通なのかもしれない。

しかし、私は全く教習料金が惜しいとも思わないし、その免許を活用して収入につなげようなどとも思っていない。
つまり、後にどんな効果があるから、これだけの教習料金を払う、という感覚ではなく、その教習自体にその金額の価値を見出しているのだ。
結局のところ、もし、後々の何かに役立てようと思うだけで、役立つ見込みがほとんど無いのであれば、人はキライなことは絶対にしないはずである。少なくともやる気がでないはずである。無駄な苦労になるだけだからだ。
でも、私の場合は、その教習自体が好きなので、なんら役にたたなくてもかまわないのだ。

はっきり言って、そういうのを道楽とか趣味というのかもしれない。
車の運転を道楽だの趣味だのと言っていたら、気分を害する人がいるかもしれない。

でも、私は10回映画館に行くよりも、車の運転を習いたいのである。

食道楽の人は、1回で3万円の高級料理のコースを食べてしまうかもしれない。
現に、先日の結婚式のコースは3万くらいのものだったらしい。
そんなの食べないで運転を習ったほうがいい。

一日働いて、1時間分の教習料金がやっと稼げるとしても、私は喜んで働く。

ただ、本当に生活に困っていたら、教習を受けるどころではなく、
私の収入は生活費に消えてしまうはずなので、自分の収入を好きなことにつぎ込めるのは本当に幸せな境遇だと思う。





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