山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

リスト:パガニーニ大練習曲No.6 「主題と変奏」

2020-01-03 23:31:03 | 音楽

Liszt: Grandes Études de Paganini, No. 6

この曲は、ユーチューバーピアニストのフォルテくんが、今挑戦している曲だ。

まだ形になっていないので、全体像はどういうものなんだろうと思い、完成している曲を弾いている映像を探してみた。

色々な人の演奏があるけど、この人のが好きだ。

この人は誰かな?と思ったら、全然読めないんだけど、チェコの人で、

名前は、MATYAS NOVAK のように書くみたいだが、カタカナで書くと、

マティアシュ・ノヴァク となるらしい。

1998年6月20日生まれ。21歳。 フォルテ君よりもちょっと若い。

世界にはたくさんのピアニストがいるんだなあ~

楽器の演奏っていうと、ピアノやバイオリンなどでは、女性も多く、

音楽に関しては女性も男性にひけをとらない分野だなと思う。

この曲に関しても女性で弾いている人も多いし、かなりの難しい曲を女性が弾いているものだ。

それから、このパガニーニの曲だけど、リストじゃなくてブラームスの編曲もあって、ぴあのちゃんが弾いていたっけ

いったいパガニーニとは何?と無知な私は思ったんだけど、

確かにパガニーニって人の名前だよね。

バイオリニストであり作曲家でもあるパガニーニが作曲した曲を、リストやブラームスがピアノ用に編曲したのがこれらであるのか。

リストの場合はこの6番で、ブラームスのは「パガニーニの主題による変奏曲,Op.35」になっているようだ。

なんか面白いなあ。

早くフォルテ君のリストのパガニーニ6番の完成した演奏を聴いてみたいものだな。

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「言葉」の諍い

2020-01-03 19:39:28 | 日記2020

実家の母が、近所の人から辛子明太子をもらったそうだ。

それは冷蔵状態でもらったもので、食べきれないから冷凍してあるが、一部を出して食べようとしたものをそのまま冷蔵室に入れたまま忘れていた、と年が明けてから母がいうので、「それは生では食べず、火を通したほうがいいよ」と私が言った。

思い出せば、私が前回帰省した時(12月21日)には冷蔵室にあった。本当に賞味期限がとっくに過ぎたものが冷蔵室に入っていて、母は平気で食べるのだ。絶対に捨てようとはしないから、せめて火だけは通すように言った。

母が言うには、明太子を食べる習慣がなかったが、近所の人にもらって食べたところ、思ったより辛くもなくおいしいものだとのことだ。

そして、「『少しずつ冷凍して食べて』と言われたから」と母が言ったので、

「少しずつ冷凍して、じゃなくて解凍してでしょ?」と私が言った。

母は最近言い間違えが多いからだ。

「嵐」を「スマップ」というし、「ロマンスカー」を「新幹線」と言うし、テレビ画面に書いてある「モスラ」の歌を「ラモスの歌」と読んで、そんな歌は知らないという。もちろん「モスラの歌」なら知っている。

「冷凍」と「解凍」じゃ意味が反対だよと思った。

ところが、それは言い間違えではなく「冷凍しておいて、すこしずつ食べて」という意味の語順が入れ替わっただけなので、いちいち指摘するなと怒り出した。

そういう意味に決まっているから、言葉が変ではないそうだ。

えっ、でも「少しずつ冷凍して」はどうしてもおかしいでしょ

全部を冷凍しておいて、少しずつ解凍して食べるんだよね

私が言葉を言葉通りにしか受け取らない人間だからアスペルガーかな?

「大量の明太子は、すこしずつ冷凍して食べるとよい」

なんていう文章があったら、この文はスルー出来ないよね。

でも、それは文章ではなく話し言葉だから問題ないのだと母が言い張るのだった。

なんか、すっきりしないなあ~~

追記:

上の文を読み直してみたら、「少しずつ冷凍して」というのは「小分けして冷凍しておいて」という意味であるなら、なんらおかしくはないということに気づいた。

 

 

 

 

 

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またラーメン放置

2020-01-03 15:00:22 | 日記2020

夫はまたオーディオをいじっていて、昼ご飯ができたと言っても食べに来なかった。

ラーメンがのびると言っても、それどころじゃない、などと言う。

それ以上何か言っても怒った返事が戻ってくるだけなので、また放置する。

ラーメンを作って30分後にやっと食べに来たようだ。

私は知らん。

すでに食べ終わって自室に戻っているのだ。

ラーメンはどんぶりを温めておいて、スープも冷めないように、麺が茹で上がる直前に熱湯をどんぶりに注いで作っている。

具も温めておく。

それで、ラーメン屋のように熱々で食べられるようにしているのに、できてから30分もたってから食べに来るようでは何の意味もない。

蕎麦がのびるよりひどいと思う。

まあ、自分だけは作り立てのおいしいラーメンが食べられたからそれでよしとする。

・・・

昨夜は9時ころに帰宅したが、8時過ぎに最寄駅の駅ビルで何か買って帰ろうと思っていたら、正月営業で時短になっていて閉店していた。

そこで、年中無休24時間営業のスーパーで食べ物を買って帰った。

夫が家に食べ物が何もないから何か買って来いとラインを送ってきていた。

荷物が多いので、バスに乗ろうとしたら、正月ダイヤで、普段1時間に4本あるバスが2本しかなく、30分待たないといけなから、歩いて帰った。

私が外出から帰っても、仕事から帰っても、夫が食べ物を用意しているということは1年中、38年間、一度も無いわけで、いつどんなときでも私が準備しなくてはならない。

その代わり、私は自分が居ないときの分まで夫のために用意することはほとんどない。

それで、私の分の料理を準備しろなんてことは全く期待しないわけであり、疲れて帰宅してから自分で夫の分まで料理を作るのは頭にくるけど、まあそれは手抜けでなんとかなるし、料理のできない男に料理をしろと言っても無理なのはわかっている。

だが、自宅にごろごろしていて、趣味のオーディオいじり(配線を変えたり、音質や画像チェックなど)をしていて、こっちが作ったものを食べないのは、本当にムカつくのだ。

わざわざ、糞まずくして食べるのだから。。。

箱根駅伝が終わって、初詣にでも行こうかと思っていたが、結局どこにも行かないで1日が終わった。

昨年末、スターウォーズの映画を見たいと言っていたので、昨夜、3日に行こうかと言ったら、私が帰省している間に1人で行ってきたそうである。

結局、夫婦で休日が一致したからと言っても、何の意味もない。

隣の部屋からは、へんてこりんな演歌が流れてくる。

仕事で別行動をしている日々が、一番ストレスがないかもしれない。

 

 

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カレンダーの恨み

2020-01-03 12:43:39 | 日記2020

昨夜自宅に帰ってきたら、夫が勝手にカレンダーを張り替えてあった。

自分の部屋のカレンダーは勝手にすればよかろうが、共有部分のとんでもないところにセンス悪く複数のカレンダーが張ってある。

あまりにセンスのない位置に張られていた飛行機の小さなカレンダーは、別の場所に張り替えさせた。

さらに、もともと私が張ってあった私の部屋の入り口のところの東洋絵画のカレンダーを外し、1年分の数字だけが載っている大きなカレンダーを貼ってあるのだ。

数字だけなんてつまらない。それに1月から12月まで1枚に載っているのだが、その下に何枚か重なっている。はぐって見ると、3か月ずつになっていて、3区画に点線で切り取れるようになっており、1~3、2~4、3~5というふうにみられるようになっているものだった。

だから「1番上のをはがして、1~3月分のところにするよ」というと、「なんではがすんだ、全部載ってるほうがわかりやすいだろう」というので、「下に3か月分のがあるのに、どうして12か月も必要なの?そんなに張りたければ自分の部屋に張りなよ」と言った。

ところで、「あれっ、もともとここに張ってあった絵のきれいなカレンダーはどうしたの?」と聞くと、「そんなものは捨てたよ」という。

「はあ?なんで捨てるの?」

それは、ただの紙ではなく、特殊な紙を糸で綴じてすだれのようになっているカレンダーなのだ。全体が掛け軸のようになっているものである。

台湾のものなので、カレンダーや祝日などを見るためではなく、その絵を飾って眺めるために私が張ってあった。2019とは書いてあるが、絵の部分がきれいだから捨てたらもったいない。日付部分には祝日は無く、世界共通の曜日だけである。

「どこに捨てたのよ!?」と言って、ごみ袋の中を探した。

そうしたら、私がトイレに飾ってあったヨーロッパのきれいな建物写真のカレンダーがボロボロにちぎられて入っていた。

一緒に入っているのかと思って、食べ物やいろんなゴミをよけて探してみたのだが、みつからない。

夫は、どこに捨てたのか記憶がないという。

「バラバラにしたことだけは覚えている」などと言い出した。

この夫は極端な人間で、平気でウソをつく。

こっちが責めると「記憶がない」などと言いながら「めちゃくちゃにぶっ壊したことだけは覚えている」などと、わざと、こちらがさらに悲嘆するようなことを言うのだ。

夫にとっては何の価値もなく、ごみと同じだし、それを捨てたら妻が残念がるかも?なんていうことも全く考えない。

ただ、条件反射的にそれを無意識にどうしたのか?というのが不明である。

結局のところ、夫はそれをぐるぐる巻いてテレビの横のラックに仕舞っていた。

掛け軸のようになっているから、無意識にちぎり破れるような素材ではないのだ。

びりびりに破いたというのは、トイレに張ってあったほうのことだろう。

トイレのも、何もびりびりに破かなくてもよさそうなものだけど、まあそれは保存しておきたいほどのものでもないからどうでもいいが、掛け軸型のほうは許せん。

ひと悶着の末、やっと昨年のカレンダーを取り返し、自分の部屋の奥のほう飾った。

・・・

うちには外国のカレンダーも何枚かあったけど、それは職場でもらってきたものである。誰ももらっていかないので、だいたい年が明けて、そのままでは捨てるという段階になってもらってくることが多い。

一昨年の同様の掛け軸型のカレンダーは、和室が2つある実家にもっていったが、いまだに母が飾っている。母も私も貧乏性で捨てられない。

母は一昨年の緑色の風景画のが気に入っていて、そのままが良いというので、昨年の赤い牡丹と鳥のカレンダーは実家に持って行かずに自宅に飾ってあったのだ。

思うところ、中国・台湾などの会社は、こういうものにすごい経費を使っているように感じる。日本のものよりずっと豪華である。1年で捨てるのはもったいないようなものだ。

日本の企業のものも、きれいな写真や絵画などその作品に価値があり、それなりの印刷技術や紙質で作られているが、1年間の使い捨てに惜しくないようなもので合理的である。

それが、中国・台湾などになると、我が社はこんなに予算があるんだぞ、こんなに立派な会社なんだぞという力を見せつけるために豪華なカレンダーを用意して顧客となる関連会社に贈ってくるような気がする。

ハッタリがすごいな~という気がするが、それは私だけの感覚かな?

それで、私もそれほど東洋風のものが好きなわけではないけれど、そんなに気合を入れて贈ってきたんだったら、粗末にしたら申し訳ないよねと思う。

誰も見向きもせずに、そのまま捨てられるなんて、中国や台湾の会社が知ったらどんなにショックを受けることだろう。

また、韓国企業の卓上カレンダーなどは、日本に合わせて日本の内容になっているので、本当に驚く。アメリカや他の国に向けても、その国に合わせたカレンダーを作っているのだろう。

日本企業が中国や韓国に合わせてそういうものを作って贈ったりするのかな?

今や、そういう物体にそんなに力を入れることはしないのでは?経費を節約しなくちゃならないし・・・。

近年では、日本の業者や関係会社で卓上カレンダーをくれるところは減っており、数もすごく少なくなってきているし、造りもお粗末である。

それで、韓国の関係する会社が立派な日本向け卓上カレンダーをいくつも贈ってきてくれるので、各人の机の上に置いて使えて、そっちはとても重宝しているのだ。

だが、大きなカレンダーは社内にも張らないし、不要だ。

・・・

横道にそれたので話をもどすが、そんなわけで、夫のカレンダーに対する扱いは納得できないものだ。

一方、夫は昨年自分が使っていた飛行機の写真のカレンダーを全部そのままタンスの上に保存しているのである。

そして、また新しい飛行機のカレンダーを自分の部屋に張っている。

トイレのタンクの上には、電気屋のカレンダーが張ってあった。

来年からは、勝手に張ったり捨てたりされないように、カレンダー対策をしてから留守にしないとダメだ。

 

追記:

カレンダーについてだが、よく考えてみると、台湾と中国のものは掛け軸式でそれ自体はすごく豪華なものなのだが、結局たった1枚で12か月が見られるようにできている。

日本企業のものは、月めくりで12枚であり、それぞれの月に美しい写真や絵がついている。

結局のところ、日本のもののほうが経費もかかって豪華なのかもしれない。

台湾のものは、地の色が偶然我が家の壁と同じ色なので壁に溶け込んでちょうどよい。

 

 

 

 

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おくればせながら

2020-01-03 00:27:45 | 日記2020

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

今夜、静岡県の実家から、東京の自宅に戻ってきました。

昨年とほぼ同じような正月を過ごしました。

我が家は全員が 我儘 なので、なかなかうまくいかないものです。

ああ、でも新年早々 愚痴を書くのはよそう。

 

とにかく、箱根駅伝を見ている間はみんな仲良く楽しく見ていました。

東洋大学は往路11位と残念だったなあ。

でも、山の神 柏原君にあこがれて東洋大に入ったという5区の宮下君は、区間新記録だっていうから、柏原君より速かったってことかな。

東洋大は、本来、速い選手がそろっていると思うので、明日の復路で、いくらかでも順位を上げることができたらいいね。

青学はさすがで、往路1位で、明日はそれをキープできるかどうか?

そのほか、普段目立たない大学が今年は首位に出たりして、面白いです。

明日は復路の中継を見ようと思うけど、どうも東京の家にいると、駅伝モードじゃなくなってしまうのが不思議。

静岡県の家のこたつに座ることが、駅伝を見ることとセットになってる。

実家では、それしかやることがないから、駅伝を見てるのかもね。

東京に戻ってくると、時間がもったいなくて、駅伝なんか見てられないかもなあ~

正月休みも明日で終わり。

あとは普通の土日だからね。

長いようで、あっという間に終わる。

 

 

 

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