前記事で書いたことに関連して、もう少し具体的なことを書きたいと思います。
例えば、この年末年始に思ったことですが、
1 配偶者の実家に行きたくない・行かない人々
これは、夫としても妻としても同様に、相手方の実家には行きたくないという人が増えている。行くと気を遣うし楽しくないし、くつろぐこともできないからだ。
楽しくないのは、昔も同じだったと思う。でも、昔の人はそれを嫌だと言って拒否する人は少なかったのではないか?
そして、嫌だなと思いながらも何度も続けていくうちには、相手の実家の家族にうちとけていき、気心も知れてきて、それほど苦痛ではなくなるということもあるかもしれない。
また、相変わらず居心地が悪いにしても、盆暮れの、年に2回だったら、我慢していたと思う。
現代人はそれも我慢できない。
2 忘年会などの社内行事に参加したくない、参加を拒否するひとたち。
昔は、全員参加が常識で、上司にお酌をしたり、歌や踊りの出し物までしなければならないことも普通だった。そして、上司の話を聞くのも当然だった。
しかし今は、給料も出ないのに何で会社の飲み会に行かなきゃならないの?と主張する若者が多い。
職場の人間と飲んでも楽しくないし何の益にもならないからだそうだ。
最近は、上司にお酌をする必要もなく、出し物などを用意する必要もない会社が増えている。会費も会社持ちだ。
にもかかわらず、拘束時間に対する報酬がないなどという考え方。
また、上司の話を聞いても何の役にも立たず、面白くないし、くだらないし、得るものも何もないから、一緒に忘年会なんかしたくないのだそうだ。
もしこのような若者が大多数を占めるのであれば、人間には縦のつなががなくなってしまう、上司・先輩から学ぶことはない。
これは、相手の実家の親とも接したくないという1の人間とも共通する。
私は、上司や先輩の言動やくだらない話からも得るものは多いと思うし、逆に部下や後輩の言動から上司や先輩が得るものもあるので、縦横の人間のつながりは、日常の業務から離れた飲み会(食事会)やレクリエーションなどから得られるものだと思っている。
余計なものは排除する、楽しくないものは排除するという考え方には違和感を覚える。
3 年賀状じまいをする人々。
郵便で送る年賀状を完全に廃止する人々が増えている。
一方でメールやラインを使って年賀の挨拶をするので、郵便からそれらに代わったという人もいるが、年賀状だけのつながりの人を排除したり、そもそも義理だけで続けることや、形ばかりの習慣はやめようという理由で廃止する人も多い。
また、年賀状を書くのが面倒だし、経費も時間もかかるからやめるという理由もある。
これも価値観の変化なのかもしれないが、「無駄だと思うものを排除するという一種の潔癖性」は、「忘年会に参加しない主義」という理由とも一致するし、「配偶者の実家に行かない主義」という理由とも一致している。
年賀状をやめるのは若者だけでなく老人も多い。それが負担になってきたからという理由もある。
だが、昔はそういう理由で年賀状をやめたというのはあまり聞いたこともなかった。
年よりは時間が十分にある人も多いので、やる気さえあれば年賀状を書くことはできるはずだ。昔の人間は手書きで書いていたではないか。
時間もお金もあるけど、とにかくめんどくさいからやらない。
「面倒くささ」と「年賀状に対する価値観」を天秤にかけると「面倒くささ」が勝つ。
年賀状だけでつながっている人に音信を送る価値はないと考えるので、年賀状に労力を費やしたくない。
一見無駄なように思えるものに対して、それを躊躇なく切り捨てる風潮。
年賀状を書くのが苦痛なのは私も同じなのだけど、年賀状だけのつながりも大切だと思っている。
4 墓じまいをする人々
これも墓や死後の供養に対する価値観の変化によるものだろう。
墓や供養にかかる費用や手間が苦痛なので排除したい。
これも1~3に書いたのと共通するものだと思う。
葬式やその後の法事などにかかる「費用や手間」と「その儀式の必要性」を天秤にかけたら、墓や法事は必要ないだろうという結論に到達する人が多くなってきた。
これも、昔の人は当然のように行ってきたことだ。
それが苦痛だと感じなかったわけではなかろう。
時代とともに家族関係の変化、子供数の減少、親戚関係の希薄さなどがあって、墓の維持や法事の開催なども難しくなっていて形骸化している。
だから仕方がないことではあると思うが、それでも例えば寺の檀家というものによる地域のつながりや、法事による親族・親戚のつながりの機会があったものが、なくなっていく。
盆暮れ彼岸には墓参りをしなくちゃいけない、何年かに1回(3回忌・7回忌・13回忌など)は法事を執り行わなくちゃいけない、など、めんどうくさく労力もかかるものではあるものの、そういうことをすることによって生活のメリハリや気の引き締まりもあったのではないか?
そういうものを排除したら、どんだけ合理化し楽になるというのか?
それをやめたら、その代わりに、人はどんなどんな価値のあることをするのだろうか。
5 結婚しない、子供を産まない主義
結婚しても大変、子供を産んで育てるのも大変。
苦労するし経費もかかる。
もし結婚するならこうしなくちゃならない、子供を産んだら英才教育して大学まで行かせなくちゃならない。
それはできそうもないからしない、という考え方。
そこそこ、理想通りにできそうだったら実行するけど、不可能そうだったり苦労が増えそうだったらやめとく。
とりあえず自分一人で暮らして、今の収入で優雅に暮らしていったほうが面倒ではない、などという考えにより、高年齢になっても結婚しなし、結婚したとしても子供を作らない人も多い。
まとめ
近頃の人は、自分にとって興味のないもの、無駄だと感じるものを躊躇なく排除する。
なんか割り切りが激しいのではないか?