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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

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「愛の夢」 第三番/リスト (銀ちゃんねる)

2020-01-18 22:41:30 | 音楽

【解説付】愛の夢 第三番/リスト Liebestraume No.3/Liszt

銀ちゃんの完成された演奏を共有させていただきます。

実は、この曲は本日、フォルテ君が動画をUPしていて見ていたものなんですが、銀ちゃんが何か月も前にちゃんとした演奏をしているので、こっちがいいなあと思った次第です。

フォルテ君も銀ちゃん(ピアノちゃん)もどちらも好きなんですが、銀ちゃんが完成された演奏動画を載せているのに対して、フォルテ君は、初見から1時間練習してどのくらい弾けるようになったか?というような動画を載せていることが多いです。

そうすると、最近は不完全な演奏と練習風景に終わることが多く、そういう曲がいくつもあるけど、なかなか新しく完成された演奏動画がUPされないんです。

途中経過も興味深いものではあるものの、ピアニストが1時間でどこまで弾けようが、100時間かけようが、どっちでもいいです。

短時間で弾けるようになったということは重要なことではない。

へえ、1時間練習しただけでこんなに弾けるの?と感心してもしょうがないです。

何万時間かかろうが、きちんと練習して、完成した演奏を聴きたいと思います。

もちろん、途中経過も面白いけど、完成しないままってのはどうなんだろう。

それに対して銀ちゃんの演奏は、きちんと完成していて、聴く価値があるものだと思います。

 

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フォルテ君の東京公演

2020-01-18 12:48:11 | 音楽

ユーチューバーピアニストのフォルテ君が全国のコンサートツアーをするそうで、今日からチケットの申し込みが始まった。

全国ツアー追加公演発表

東京での公演はこれで2回目となるようで、日程は6月6日(土)である。

前回はすぐにチケット売り切れになってしまったので、今回こそは申し込みたいと思っていたのだが・・・

会場が、荒川区。

うーむ、荒川区か・・・

実は、東京の東側ってあんまりなじみがないのだ。

なんか、上野よりももっと向こうみたい。

南千住のほうか? 都電とかが走っているほうらしい。

常磐線が走っているみたいだ。

そういえば、放送大学の足立学習センターは北千住なので、そこに行くことを考えたら別にいけない場所ではない。

だが、実は・・・

私は東京の東の方が怖い。

荒川の近くとか、津波が来たら水浸しになるとか聞いている。

荒川区の各駅は、海抜2mくらいしかないみたい。

東日本大震災が来て9年が経つ。

首都直下型地震が怖い。

海抜の低い東京都の東側が怖いのだ。

そんな理由で?と笑われてしまいそうだ。

荒川区民会館の大ホールは、画像でみるとなかなか立派なホールである。

しかし、やっぱりなあ、どうしようかなあ。

あと、6月という5か月も先のスケジュールが予測できない。

もし行けなくなったらもったいないなあ~~

ということで、二の足を踏んでいるのだ。

東京の西側でやってもらいたいなあ~~

武蔵野市民文化会館とかね。(ここはスケジュールいっぱいか・・)

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雪だ~

2020-01-18 10:33:11 | 日記2020

ついに雪が降った。

今年は暖冬で、まだ手袋も使ってなかったし、昨日は車で出かけたけど暖房もいらなかった。

でも、今日はさすがに寒い。

雪が降り始めたから、雪の写真でも撮りに行こうかな~なんて思ってしまった。

まだ全然積もってないけど、「あいにくの雪ですよ~」なんてブログに載せようかと。

しかし、そんなことをしている場合ではないのだった。

放送大学の単位認定試験まであと1週間。

全然勉強してないから、こんな天気の日くらいは自宅で勉強しなくては。

雪積もったら写真を撮ろうかな?

でも、たぶん積もらないような気がする。

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男性の育休について

2020-01-18 09:29:53 | 日記2020

小泉大臣が育休を取ることについて、世間では賛否が分かれているそうである。

私の考えは、育休の必要性はその個人の状況によって違うと思うので、一概には言えないと思う。

制度や社則としての「育休」があることは望ましいことだと思う。

私には孫が二人いるが、孫が生まれるときに、その父親はやはり仕事があったので、そう簡単には仕事を休むことはできなかった。

それでも、出産予定日に合わせてできる範囲では有給休暇を申請していたと思うが、責任のある仕事についている場合、そうそう休暇がとれるわけではない。

そうなると、駆り出されるのは生まれた赤ん坊の祖母ということになる。

だが、祖母とて仕事をもっていることがあるので、祖母が仕事を休めば祖母の職場に人手不足・労働力不足が生じ、しわ寄せ・迷惑がかかるのである。

だが、生まれた赤ん坊の父親が休むよりは、祖母が休むほうが、一般的に仕事に生じる影響は少ないのかもしれない。

だが、どっちにしても、赤ん坊が生まれたことによって必要となる手助けに関わる人間に対して、父親であろうが祖母であろうが何だろうが、育休が必要のではなかろうか?

ちなみに私は、孫が生まれたときには、有給休暇をかなり取っている。

有給休暇をまとめてとったのは孫が生まれたときと孫が入院したときくらいなものだった。(特に育休ではなくとも有給休暇をそういうことに使えるからそれでも良いと思っている。年に20日も必要ないので。)

重要なのは、有給であろうと育休であろうと「人間が一人生まれた場合の手助けを理由とした休みを取ることのできる職場環境」である。

夫は、妻が出産するときに、一緒に寄り添って無事に赤ん坊が生まれてくるのを見届けたいだろうし、退院のときも荷物をもってあげて一緒に自宅に帰ったりできることが望ましい。

また、退院後も妻はあまり無理をできないから、数日間は残業なしとか半日休とか在宅勤務とかできたらよいだろう。

さらには、一番育休が必要なのは、1人目ではなく、2人目以降を出産する場合である。

なんといっても母親の入院中に上の子の面倒を見る人が必要なのだ。

遠くに住む祖母などが手伝いに行くのも大変だし、この場合、父親が育休を取る必要が出てくる。

里帰り出産などできない人も多いし、里帰り出産につては問題点もある。

出生率が下がっているが、2人目を産むときは1人目を産むのよりも上の子の世話を誰がするかが問題で、このときこそは父親の育休が重要である。

 

 

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イヤなことはしない現代人

2020-01-18 07:33:48 | 日記2020

前記事で書いたことに関連して、もう少し具体的なことを書きたいと思います。

例えば、この年末年始に思ったことですが、

1 配偶者の実家に行きたくない・行かない人々

これは、夫としても妻としても同様に、相手方の実家には行きたくないという人が増えている。行くと気を遣うし楽しくないし、くつろぐこともできないからだ。

楽しくないのは、昔も同じだったと思う。でも、昔の人はそれを嫌だと言って拒否する人は少なかったのではないか?

そして、嫌だなと思いながらも何度も続けていくうちには、相手の実家の家族にうちとけていき、気心も知れてきて、それほど苦痛ではなくなるということもあるかもしれない。

また、相変わらず居心地が悪いにしても、盆暮れの、年に2回だったら、我慢していたと思う。

現代人はそれも我慢できない。

2 忘年会などの社内行事に参加したくない、参加を拒否するひとたち。

昔は、全員参加が常識で、上司にお酌をしたり、歌や踊りの出し物までしなければならないことも普通だった。そして、上司の話を聞くのも当然だった。

しかし今は、給料も出ないのに何で会社の飲み会に行かなきゃならないの?と主張する若者が多い。

職場の人間と飲んでも楽しくないし何の益にもならないからだそうだ。

最近は、上司にお酌をする必要もなく、出し物などを用意する必要もない会社が増えている。会費も会社持ちだ。

にもかかわらず、拘束時間に対する報酬がないなどという考え方。

また、上司の話を聞いても何の役にも立たず、面白くないし、くだらないし、得るものも何もないから、一緒に忘年会なんかしたくないのだそうだ。

もしこのような若者が大多数を占めるのであれば、人間には縦のつなががなくなってしまう、上司・先輩から学ぶことはない。

これは、相手の実家の親とも接したくないという1の人間とも共通する。

私は、上司や先輩の言動やくだらない話からも得るものは多いと思うし、逆に部下や後輩の言動から上司や先輩が得るものもあるので、縦横の人間のつながりは、日常の業務から離れた飲み会(食事会)やレクリエーションなどから得られるものだと思っている。

余計なものは排除する、楽しくないものは排除するという考え方には違和感を覚える。

3 年賀状じまいをする人々。

郵便で送る年賀状を完全に廃止する人々が増えている。

一方でメールやラインを使って年賀の挨拶をするので、郵便からそれらに代わったという人もいるが、年賀状だけのつながりの人を排除したり、そもそも義理だけで続けることや、形ばかりの習慣はやめようという理由で廃止する人も多い。

また、年賀状を書くのが面倒だし、経費も時間もかかるからやめるという理由もある。

これも価値観の変化なのかもしれないが、「無駄だと思うものを排除するという一種の潔癖性」は、「忘年会に参加しない主義」という理由とも一致するし、「配偶者の実家に行かない主義」という理由とも一致している。

年賀状をやめるのは若者だけでなく老人も多い。それが負担になってきたからという理由もある。

だが、昔はそういう理由で年賀状をやめたというのはあまり聞いたこともなかった。

年よりは時間が十分にある人も多いので、やる気さえあれば年賀状を書くことはできるはずだ。昔の人間は手書きで書いていたではないか。

時間もお金もあるけど、とにかくめんどくさいからやらない。

「面倒くささ」と「年賀状に対する価値観」を天秤にかけると「面倒くささ」が勝つ。

年賀状だけでつながっている人に音信を送る価値はないと考えるので、年賀状に労力を費やしたくない。

一見無駄なように思えるものに対して、それを躊躇なく切り捨てる風潮。

年賀状を書くのが苦痛なのは私も同じなのだけど、年賀状だけのつながりも大切だと思っている。

4 墓じまいをする人々

これも墓や死後の供養に対する価値観の変化によるものだろう。

墓や供養にかかる費用や手間が苦痛なので排除したい。

これも1~3に書いたのと共通するものだと思う。

葬式やその後の法事などにかかる「費用や手間」と「その儀式の必要性」を天秤にかけたら、墓や法事は必要ないだろうという結論に到達する人が多くなってきた。

これも、昔の人は当然のように行ってきたことだ。

それが苦痛だと感じなかったわけではなかろう。

時代とともに家族関係の変化、子供数の減少、親戚関係の希薄さなどがあって、墓の維持や法事の開催なども難しくなっていて形骸化している。

だから仕方がないことではあると思うが、それでも例えば寺の檀家というものによる地域のつながりや、法事による親族・親戚のつながりの機会があったものが、なくなっていく。

盆暮れ彼岸には墓参りをしなくちゃいけない、何年かに1回(3回忌・7回忌・13回忌など)は法事を執り行わなくちゃいけない、など、めんどうくさく労力もかかるものではあるものの、そういうことをすることによって生活のメリハリや気の引き締まりもあったのではないか?

そういうものを排除したら、どんだけ合理化し楽になるというのか?

それをやめたら、その代わりに、人はどんなどんな価値のあることをするのだろうか。

5 結婚しない、子供を産まない主義

結婚しても大変、子供を産んで育てるのも大変。

苦労するし経費もかかる。

もし結婚するならこうしなくちゃならない、子供を産んだら英才教育して大学まで行かせなくちゃならない。

それはできそうもないからしない、という考え方。

そこそこ、理想通りにできそうだったら実行するけど、不可能そうだったり苦労が増えそうだったらやめとく。

とりあえず自分一人で暮らして、今の収入で優雅に暮らしていったほうが面倒ではない、などという考えにより、高年齢になっても結婚しなし、結婚したとしても子供を作らない人も多い。

まとめ

近頃の人は、自分にとって興味のないもの、無駄だと感じるものを躊躇なく排除する。

なんか割り切りが激しいのではないか?

 

 

 

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