山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

50代のおばさん問題

2018-10-05 23:31:22 | 日記2018
もうすぐ60代に手が届きそうですが、とりあえず、まだ50代なので、50代のことを書きます。

50代のおばさんって、なんか問題ありだよね、と我ながら思います。

自分の感覚として、「どこに行っても場違い」というか、「浮いた存在」というか、「もう終わってる」のに、なんか「人の邪魔になるくらいずうずうしく自分のやりたいことをする」。みたいな?

婦人雑誌なんかでは「50代を素敵に生きる」だとか「自分らしく生きる」なんて、きれいなことが書いてあって、どこか洗練されたような婦人が載っているのです。
手造りのものを作ったり、自然派志向だったり、旅にでかけたり、何気ないおしゃれなものを集めたり・・・

そういうとき、それはとてもサマになっていて、そして、誰にも迷惑をかけず、かっこよく行動しているんですよね、そういう人は。

ところが、一方で、「非常識おばさん」とか、「じゃま」だったり「飲み込み悪すぎ」「足手まとい」「ここでそれするか?」とあきれられたり「よく恥ずかしげも無く・・・」などと軽蔑されたりしてしまうオバサンもいる。

そうすると、私自身は、その後者のほうの「めざわりな」ほうの部類なんじゃないかな?と感じることが多いのです。

それを、「気のせい」だとか「気にしすぎることはない」とか言う人もいるわけで、「そう思うのは本人だけで周りの人はそんなこと思ってない」と慰めてくれる人もいるものの、逆に「周りに変に思われていることをまるで本人が自覚できていないのよね、50代のおばさんは」という人も多いのが事実。

そうであれば、自分が「自分って何かちょっと変に思われてるかな?」とうすうす感じたときは、もう実は大変なことになっていたりして・・・

昔のことを思い起こせば、自分自身、50代のおばさんって、なんか苦手だな~と思っていた。

強すぎるっていうのか、確たる自分があり過ぎるっていうのかな。
いや、控えめな人もいたとは思うが・・・。

だが、私はどうしても「変なやつ」なんだ。

なんか、わけがわからないことを書いているけれど、
私が50代になって、車の運転を始めたり、ライブに行ったり、エアロビをしたり、産業系の知識に首を突っ込んだりしていると、どうも、客観的に見て、自分のような人間には相応しくないのだろうと感じる。

自分が好きでやっていることで、それが自分らしいことだとしても、それは変なのだろうと思う。

下手の横好きっていうわけか。

何もかもが、「今さら」・・・。

何歳になっても新しいことに挑戦して行きたいと思う。

でも、それが50代になると、なかなかに「見苦しい」ものがあるのかもしれない。

どうしたらいいんだろうね。

60代になったら、もう少し丸くなれるのかな?

エアロビも、周りを見回すと、やっぱり60代の人ってほとんどいない。
自分くらいが最高齢の部類で、前のほうに20代くらいの女の子たちがいて、きれいに踊っている。

60代になると、ストレッチやヨガはいるけど、激しい動きのものはほとんどいなくなる。

自分の精神は若いままと変わらないが、身体とアタマがついていかないし、他人がどう見ているかと思えば、「年輩のおばさん」だと思っているわけだ。

若いころから続けてきたものならば、それは板についているだろうけど、今さら始めたものって、どんなに好きでも「かっこわるい」って思われている。

でも、だからって、やりたいことをやらないわけにもいかないし。

それこそ、やらないまま終わっちゃうわけだし、これが最後のチャンスだし・・・。

生き恥をさらさないで生きるわけにはいかないかな?

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