数カ月前、私は故郷から東京に出てきた30数年前のことを良く振り返り、当時の日記を読み返したりしていた。最近は、17~18歳のころ、よく聞いていたラジオの深夜放送のことなど思いだした。
そこで、久しぶりに昔の日記を読み返してみた。しかし、深夜放送に関する記述はみつからなかった。高校時代の日記は実家にあるので、もしかしたら、そっちに何か書いてあるかもしれない。
今日みつけたのは、短大1年のときの11月24日の日記だ。
河合栄治郎氏の「学生に与う」の中に、
「『人は努力すればするほど過ちに陥る』
飛ぶ鳥は落ちるが飛ばざる鳥は落ちない。
過ちのないことを求めるならば、
何事をも為さないに限る、
その代わりに人格は停止する」
「教養は人生における戦いである」
というのがある。
これがはっきり見えてきた。
なんていうのが書いてあった。
こんなことはすっかり忘れていたのだけど、
なんで自分の名前に「飛鳥」とつけたのかな?
と今になって思う。
「飛ぶ鳥は落ちる」だと?
そう言えば、「飛び立った飛行機は落ちるか着陸するかどちらかだ」というのは聞いたことがある。
鳥も落ちないで、降りてくればいいだけの話。
失敗したらうまく着地して、また飛び立とう。
そこで、久しぶりに昔の日記を読み返してみた。しかし、深夜放送に関する記述はみつからなかった。高校時代の日記は実家にあるので、もしかしたら、そっちに何か書いてあるかもしれない。
今日みつけたのは、短大1年のときの11月24日の日記だ。
河合栄治郎氏の「学生に与う」の中に、
「『人は努力すればするほど過ちに陥る』
飛ぶ鳥は落ちるが飛ばざる鳥は落ちない。
過ちのないことを求めるならば、
何事をも為さないに限る、
その代わりに人格は停止する」
「教養は人生における戦いである」
というのがある。
これがはっきり見えてきた。
なんていうのが書いてあった。
こんなことはすっかり忘れていたのだけど、
なんで自分の名前に「飛鳥」とつけたのかな?
と今になって思う。
「飛ぶ鳥は落ちる」だと?
そう言えば、「飛び立った飛行機は落ちるか着陸するかどちらかだ」というのは聞いたことがある。
鳥も落ちないで、降りてくればいいだけの話。
失敗したらうまく着地して、また飛び立とう。