山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

カレールー

2013-04-11 23:17:44 | 日記
このあいだ、スーパーSのレジで並んでいたら、グリコの2段熟カレーを3箱くらい買う人が前にいた。その人は、他のスーパーIの新聞折り込みチラシを持っており、そこに載っている同商品の値段を見せた。スーパーSでは、Sより安い値段の載っている他店のチラシを見せると、その値段で商品を売るとのことである。
スーパーIは、Sからはかなり遠いので、私はちょっと驚いた。到底歩いて行ける距離ではないし、自転車でもちょっとひるむ距離だ。それって、別に地域を限定していないのだから、どんな遠くの店のチラシでもよいのだろうか?バス通勤している人だったら、どっちの店も使う可能性はあるのかもしれないし、もちろん車を使っている人であれば充分近いと言えよう。
それにしても、安いチラシを探して持ってくるという根性はすごいなあと感心した。私には到底そんな面倒臭いことはできそうもない。

しかし、もし私がそこで2段熟カレーを買おうとしてその人の後に並んでいたらどうなの?私のは安くしてくれないよね。チラシを持っているひとだけ安くするという約束なんだから。でも、もしそうだったらくやしいだろうなあ~。

ところで、いったい、いくらのものがいくらに下がったんだろうか? 帰りに値段を見ていこうとおもいつつ、すっかり忘れてしまった。

そこで、さっきパソコンで「2段熟カレー」を検索してみた。どこかで売ってる値段が出てるかと思ったのだが、あいにくみつけることができなかった。そして、驚いたことに、「2段熟カレー」と入れると、そのうしろに「まずい」という言葉のついたものが予測検索の1つとして出てくるのである。
あれっ?私は結構おいしいと思っているのだが、「まずい」のだろうか?そして、結構まずかったという体験談みたいなものがあるようなのだ。
おかしいなあ、おいしいけどな~
このごろ、私は自分の味覚がほんとうにどうしようもないもののように思えてくる。なぜならば、多くの人が「まずい」というものが「おいしい」のだ。
カレールーなんて、まあ、多少味は違うけど、特段「まずすぎる」ものも無いように思える。
2段熟カレーの場合、ルーが1つづつ別れて包装されているところが気に入っている。中途半端に残しても空気に触れないので鮮度が保てるし衛生的なのだ。分量の調節がしやすい。そういえば、もしかしたら私は2段熟カレーだけを使って作っていることはないのかもしれない。他のカレーに混ぜていることが多いのかもしれなかった。分量補充用という感じか。

では、何に混ぜてるかというと、なんとなくおいしそうだと思って買ってるのが「地中海カレー」である。それでは「地中海カレー」の評判はどうなのだろう。「地中海カレー」と入れると、「まずい」はでてこない「おいしい」という言葉が続いている。この違いはなんなのだろうか?
では、2段熟カレーも「2段熟カレーおいしい」と入れてみた。すると「2段熟カレーおいしくない」なんていうのが出てきてびっくりした。やっぱりまずいのかな?
夫は「ザ・カリー」が一番好きだ。これは箱が小さいけど結構高い。箱が小さくて足りないので、2段熟カレーを1かけか2かけたしたりしている。
うちのカレーは、圧力なべで作り、なんでもおいしいと思う。こくまろカレーなどを買うこともある。
ちなみに、2段熟カレーは「グリコ」、地中海カレーは「S&B」、ザ・カリーと、こくまろカレーは「ハウス」である。
シチューもよく買う。クリームもビーフもよく買う。最近は「濃い~」というのを買うことが多いかな?
出来るだけおいしいのがいいと思って、わざわざ値段の高いのを選んだりすることもある。どれも安くて数十円しか値段が違わない。小さくて高い箱を買ってみたりするけど、味の違いはあんまりわからない。
やっぱり味覚オンチなのかもしれない。


人の価値観

2013-04-11 00:23:34 | 日記
このごろ、「人の腹を探る」事が多い。
とくに、「その人がどういう価値観を持っているか」ということだ。
つまり、「あることをするのにどのくらいのお金を払うのが妥当だと考えているか」だ。

例えば、ランチをするにしても、いくらくらい払ってどういう食事をしようと考えているのだろうか。

ある人は、「私は絶対に安い居酒屋はいや。まずいんだもの。」などと言っていたので、お昼もまともなレストランで食べる気かと思っていたら、そうでもなかったりする。
かといってハンバーガーとしたら、マックでいいかと思っていると、モスじゃなきゃいやだというし、私はマックのコーヒーでも構わないけど、マックのコーヒーは飲めないなどというし、わけがわからない。
ある人は、安い居酒屋には行かず、結構高くておいしい居酒屋に飲み仲間と毎週行く習慣になっている。その人は、そのための予算を確保するために、ランチにはお金をかけたくないなどという事情もあるらしい。そういう人と、たまのランチは優雅にまともなものが食べたいなどという人が一緒にいても、どうも考えが合わないということがある。

また、グループで夕飯を食べようというときにも、ディナーを食べたい人とお酒を飲みたい人がいるので、どっちに合わせるのか迷う。しかも、安く済ませたいのか、高くておいしいものを求めているのか、それもよくわからない。大衆的な店が好きな人もいれば、きどった店が好きな人もいいる。
いろんな経済状態の人がいるし、舌の肥えた人や、何でもおいしいという人など様々である。
かなりの経済力のある人でも、あることにはお金を使う価値を認めない場合もある。
食べ物にお金をかける人かけない人、服飾にお金をかける人かけない人など様々である。

贈答品に対する考え方にしても、数人である人にプレゼントを上げる場合、どの程度の金額のものを上げるかという点で、見解にかなりの差があったりする。
その人の経済力によるものもあるし、あげる相手や状況によってその予算額が違う。
貧乏な人はあげたくても予算が取れないし、逆に経済的に余裕がある人でも、それがどの程度のお金を使う対象なのか、という判断が違う。上げる相手に対する新密度や親近感の違いなどもある。プレゼントをする習慣の違いもある。

だから、数人が集まって何かをするとなると、高いだの安いだの、おいしいだのまずいだの、丁寧過ぎるだの簡単すぎるだのといろんな見解がでてくる。

そりゃあ、みんなが同じはずはないのだから、誰かの意見を取り入れれば、誰かが妥協するしかないわけだけど、それらの調整はなかなか難しいものだ。