ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

08/03/09 「歌舞伎役者 十三代目片岡仁左衛門」 4【人と芸の巻(下)】、ビデオレター!

2008-03-18 23:59:30 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

「歌舞伎役者 十三代目片岡仁左衛門」の今回の上映企画に寄せられたという当代仁左衛門のビデオレターが毎回の上映前につく。私は2日連続で通ったので6回も観てしまった。
楽屋に座って映画を観る観客へのご挨拶という内容になっている。13代目も家族もみんな自然な姿で映っているのは羽田監督の素晴らしさということだった。13代目の生前に5部作上演があった時、長すぎると思っていたのに評判がよくてびっくりしたということもおっしゃっていた。足を運んでくださった観客への感謝の気持ちの表現も、13代目と同じように沁みてくるなぁと何度見てもその度に思えた。
そして、父のことを言う時に一瞬ためらった後に、「はっきり申しまして尊敬する父です。宝でございます」と言い切った姿に溜息が出た。さらに「母も逝きました。父も母も残された者の自慢でございます」と言われてしまうと、松嶋屋の一家の素晴らしさがほのぼのと伝わってくる。当代の素顔の笑顔も最高だ~。

第4部【人と芸の巻 下】(105分)
「芸談をきく会」で父である11代目仁左衛門を語る時に「おとうさん」と呼ぶのが気になっていたが、自分の生い立ちを話されて納得した。11代目はお子さんを実子も養子も次々に亡くし、13代目を大事に大事に育てたのだという。「この人=喜代子夫人がくる前まで川の字になって寝ていた」とのこと。そうか、本名の千代之介って、千代に生きて欲しいという願いがこもった名前だったのだろうと思いついた。それなら「おとうさん」でも合点がいく。
昭和30年代に上方歌舞伎の火が消えそうになり、家を売ってでも自主公演をやりたいという13代目に家族が賛成した時の話も感動的だった。その動きをマスコミが報道した時に「仁左衛門歌舞伎」という名前が生まれたのだという。花柳流の家元のお嬢さんだったという喜代子夫人はおっとりとしながら芯が強い女性という感じがした。家が無くなってもいいから夫のやりたいことをやらせてあげたかったし、子どもたちも賛成してくれたというエピソードに家族の結束力の強さが窺えた。
長男5我當・二男2秀太郎・三男孝夫が父を囲んで父との思い出を語るところに、孝太郎、進之介、愛之助も同席していたと思う。内容もそれぞれにしみじみしていてよかった。五女の片岡静香は演劇集団「円」の公演の楽屋で鬘をとった羽二重姿でのインタビュー。さっぱりした気性の面白い女性だなぁと思った。目の不自由な父が癇癪も起こさずに素直に世話をされている姿に「可愛いなぁ、もっとお世話してあげたくなっちゃう」というような話もされていて、そういう13代目の人間的魅力もきかせていただいて嬉しかった(お世話されるようになったらそういう態度がとれるようになりたいものだ)。

1988年(昭和63年)11月に脳梗塞で倒れた13代目は、12/23に京都南座の顔見世で復帰。こうして南座顔見世連続出演の記録を延ばしていく。出し物の「堀川波の鼓」のところの記憶がない(^^ゞ
翌平成元年2月の名古屋の御園座「荒川の左吉」。孝夫の左吉を諭す相模屋政五郎が13代目。その年の南座顔見世興行で「菊畑」の鬼一。孝夫の智恵内。これで南座は改築に入る。翌年の京都の顔見世は祇園の歌舞練場(アレ?映画「舞妓Haaaan!!!」の最後の舞台もここかもとか脱線(^^ゞ)「寿曽我対面」の工藤。五郎が我當、十郎が秀太郎、大磯の虎が我童と松嶋屋が揃う。

3/8 第1部【若鮎の巻】はこちら
3/8 第2・3部【人と芸の巻(上・中)】はこちら
この映画で下北沢デビューしたという記事はこちら
写真は、トリウッドの入り口に飾られていた「仁贔屓会」の皆さんが送った盛花。当代への深い愛を感じますなぁ。映画を観た感想を書き込める芳名帳も用意されていて、松嶋屋の皆さんに読んでいただくのだという。しっかり私も書かせていただいた。


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