ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

08/03/09 「歌舞伎役者 十三代目片岡仁左衛門」 5・6【孫右衛門の巻】【登仙の巻】

2008-03-19 23:59:28 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

第5部【孫右衛門の巻】(86分)
1989年(平成元年)10月歌舞伎座での「恋飛脚大和往来」の稽古と舞台のドキュメンタリーで独立した1本。歌舞伎座のロビーでの稽古の様子がいい。今は東劇にちゃんとした稽古場ができたらしいが、いつもの歌舞伎座のあのあたりねぇという感じがいい。
13代目は孫右衛門。梅川の4雀右衛門が若々しい。「新口村」でお世話をする場面など、贅沢な顔合わせだ。忠兵衛が孝夫、八右衛門が我當、おえんが我童と松嶋屋勢揃い。孝夫と我當に稽古をつけながら、太夫にも三味線にもいろいろと注文。座頭だ~。兄弟で二枚目と敵役ができるのも貴重だ~。

舞台稽古で13代目の本舞台への誘導のために花道の端に目印の赤いランプがセットされているのを我當が父に見えているか確認。けれど見えていない。視力がほとんど無くなっているのがせつない。
10/5の本舞台を収録。たっぷり芝居を観て、13代目の孫右衛門に涙腺が緩む。当代の孫右衛門も観たが、やはり父の域にはまだないというのがよくわかった。
収録の翌日、13代目は花道から落ちてしまったが、その日は終わりまで演じ通したと字幕が出る。その後は我當が代役。次の公演の大阪中座では13代目の孫右衛門は舞台の上手から登場したという。
6本のうち、時間があればこの【孫右衛門の巻】だけでも観たいと思った。

第6部【登仙の巻】(158分)
1991年(平成3年)、改装なった南座では初役で「楼門五三桐」の石川五右衛門をつとめた13代目。鷹がくわえてきた文の血文字を逆さに持っているのに気づかないところもせつない。真柴久吉は梅幸。今年1月の雀右衛門の女五右衛門もそうだが、動けなくなった大看板向けにはぴったりの演目が歌舞伎にはちゃんとあるものだ。

1992年(平成4年)2月、南座での「荒川の佐吉」の相模屋政五郎で3度目の真山青果賞。授賞式の場面で真山美保が表彰していたが、彼女もここで初見。
同年10月の「御浜御殿網豊卿」では新井勘解由役。網豊卿が4梅玉、お喜世が松江。「芸談をきく会」で13代目が梅玉を褒めていたが、私もなかなかいいと思った(昨年の国立劇場の3ヶ月連続元禄忠臣蔵公演は観ていないのだ(^^ゞ)
1993年(平成5年)2月、明治座の新築開場の柿落とし行事で「寿式三番叟」の翁を舞う。翌月「口上」と「寿曽我対面」。工藤の役は座って登場、ずっと座って演じた。同じ役もこの6本の中で演じ方がどんどん変わっている。動きをどんどん少なくし、要所要所で見せていく。
11月南座の「鬼一法眼三略巻」では滅多に上演されていない「奥庭」を復活し、鬼一法眼役。途絶えていた狂言の復活という作業に13代目の使命感のようなものも感じ取れた。自分では読めなくなった台本を夫人に読ませて覚えていく。

同年12月南座の「八陣守護城」の佐藤正清。これも滅多に上演されない演目。これが最後の舞台となったが、最後の最後まで後進に伝えるべきものを伝えていく姿勢が貫かれていたと思った。

夫人も老いて弱り、静香とその姉の二人がかりで両親を支えていた。自宅で椅子の背もたれに身体を預け、夏だというのに膝掛けをして目を伏せてじっとしている。13代目の最晩年の姿だ。
最後の舞台から94日後の1994年(平成6年)3月26日、13代目は享年九十で永眠された。映画の最後には東京に建てられた13代目のお墓参りの様子もあった。
こうして静かに6部作は終るのだ。名優13代目仁左衛門の晩年の姿とそれを追い続けた羽田澄子監督の仕事にただただ感謝を捧げるのみだった。

3/8 第1部【若鮎の巻】はこちら
3/8 第2・3部【人と芸の巻(上・中)】はこちら
3/9 第4部【人と芸の巻(下)】、当代のビデオレターはこちら
この映画で下北沢デビューしたという記事はこちら
写真はトリウッドロビーに掲示されていたポスターを撮影したもの。