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コクーン歌舞伎「佐倉義民伝」の感想を書く前に、中川右介による歌舞伎についての幻冬舎新書第二弾『坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道』から、日本の戦後の演劇史について頭の整理ができる部分を引用してご紹介したい。その前に書きたいことも少々・・・・・・。
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前作の『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』ももちろん読んでいる。六代目歌右衛門と山川静夫の対談からなる『歌右衛門の六十年―ひとつの昭和歌舞伎史』(岩波新書)も読んでいる。歌舞伎界というものは、役者の家の序列とその時代にその家を担う役者の有無とその力関係で公演の座組みや演目決めまで左右することがよく理解しているつもりだ。
『歌舞伎名舞台』という古本を買ったので、若い頃の歌右衛門の美しい八つ橋の姿も知っている。残念ながら(というべきか?!)舞台では観ていない。
ということで、ある程度の六世歌右衛門についてのイメージはもっているので、今回の新書もなるほどなるほどと読みすすめた。
感想の基本的なところは六条亭さんの記事とほとんど同じなのでリンクでご紹介させていただく。
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中川右介とはどういう人物かをネット検索でチェック→Wikipediaの「中川右介」の項はこちら。氏のスタンスがあくまで観客の立場であることがよく理解できる。
前作での記憶から。
江戸時代までは庶民までの娯楽であった歌舞伎が、明治以降の欧米列強に肩を並べようとして国策として演劇改良運動の名の下に高尚化していったことをまず押さえておく。その一大エポックとなった天覧歌舞伎の出演者で最後に残ったのが五世歌右衛門であり、九代目團十郎、五世菊五郎の不在時に歌舞伎界の権力を握り、その継承をめざしたのが六世歌右衛門である。本当は実子ではないのにそのような記述がある既刊本も改版の際にしっかりはずさせていったということも明らかにしていた。歴史も自分に都合よくつくり換えさせることができた権力者、歌右衛門。その歌右衛門が権力を保ち続けていた時代には雀右衛門も玉三郎も歌舞伎座での立女形は回ってこなかった。雀右衛門の自伝『私事』も読んで、苦労されたことが理解できた。
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そんな中で梨園の生まれではない玉三郎のもつ魅力を見抜いた人たちがいて、ご本人のストイックな精進と多角的な挑戦があって、最後には歌舞伎座の立女形にまでなったという足跡を丁寧にたどった本書は実に読み応えがあった。
13代目仁左衛門と14代目勘弥の歌舞伎界での位置もよくわかり、勘弥が自分の座頭の時に当代仁左衛門を引き上げたということもよくわかった。孝・玉コンビはこのようにして組まれたのかと納得。13代目仁左衛門と14代目勘弥の追善狂言と銘打たれた3月の「道明寺」もなるほどという気持ちで思い起こした。
とにかく、玉三郎の現役の舞台をしっかりと観ていこうという決意をあらためて固めさせてくれた本だった。
蛇足ながら、「勘弥」の襲名をするかどうかということについて私の予想をひとつ。玉三郎が現役の役者を引退して、プロデューサー的な仕事に専念する時にこそ座元の名前である「勘弥」を襲名するのではないか、そういう予感を持っているということは書いておこう。
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さて、いよいよ「アングラ」についての引用にかかる。
こんにち、「アングラ」として一括りに演劇史に位置づけられる演劇が、1960年代から70年代にかけて誕生した。日本の明治以降の近代演劇は、まず、徳川政権時代からの「芝居」があり、これを旧いものだとしてが生まれた。その結果、従来の芝居は「旧劇」となってしまったわけだが、その名称は定着せず、改めて「歌舞伎」と呼ばれるようになる。
やがて「新派」も旧いものとされ、「新劇」が生まれる。この新劇は、シェイクスピアと19世紀西洋演劇とを同時に輸入するという、不思議なことをやり遂げた。しかし、新劇の観客はインテリ層中心で、左翼運動との関係も深かった。それに対して、帝劇などの大劇場で大資本が行う一般大衆向けの演劇も広まり、これは「商業演劇」と呼ばれた。
アングラは、歌舞伎・新派はもちろん、新劇にも、そして商業演劇に対しても、「アンチ」を唱えて始まった。興行というよりも芸術運動の側面が強く、反体制や反商業主義の立場をとった。
この運動の中から、多くの劇団と役者と劇作家と演出家が生まれた。主なものでは、寺山修司の「天井桟敷」、唐十郎の「状況劇場」、串田和美の「自由劇場」、佐藤信の「黒色テント68/71」、鈴木忠志の「早稲田小劇場」、蜷川幸雄の「劇団現代人劇場」「櫻社」などで、ここまでが第一世代となる。その次の第二世代が、つかこうへいである。そして、70年代後半から80年代になると、反体制色は薄まり、「アングラ」ではなく、「小劇場」と呼ばれるようになり、第三世代の野田秀樹や鴻上尚史が登場する。
この時点では、蜷川が歌舞伎座で菊五郎劇団の「十二夜」を演出し、つかこうへいの「飛龍伝」が新派の殿堂たる新橋演舞場で上演され、串田がコクーン歌舞伎や平成中村座で南北や黙阿弥に取り組み、野田秀樹が歌舞伎座のために新作を書いて演出するとは、誰も思いもしなかったであろう。
18代目勘三郎が、唐十郎の芝居を観て衝撃を受けるのも、この頃であろう。歌舞伎の新世代の役者たちは、古典芸能となっている歌舞伎のよさは認めつつも、これでいいのかとの思いを抱いていた。
歌右衛門世代は、「古典」のイメージが強いが、戦後に書かれた同時代の作家による新作に数多く挑んでいた。文学者たちが書いたそれらの芝居は、しかし梅原(猛)が指摘する西洋の科学合理主義に基づいた近代劇の文法によって書かれたものだった。「現代に書かれた劇」ではあるが、「現代の言葉」で「現代」を描いたものではなかった。
はるか昔の設定の物語でも、現代の生きた言葉、自由なイメージが広がるものを演じたいという玉三郎のこの思いが、泉鏡花劇に向かう。
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「アングラ」と「小劇場」とはやはり時代が違うのだ。こうしてそれぞれが生まれた時代の差も踏まえるとメッセージ性の違いもよくわかるというものだ。
写真は、幻冬舎文庫『坂東玉三郎―歌舞伎座立女形への道』の表紙。
昨日は新橋演舞場で昼夜通し観劇でしたので、コメントの返しが遅くなりました。TBについては、先程うちました。
本書の感想につきまして、貴記事で紹介のうえリンクもしていただき、ありがとうございました。
「歌舞伎界の政治的な実話」としても、前作に引き続き梨園関係者では書けなかったような著作であり、中川氏のスタンスがしっかりとしているので、ブレはないですね。しかも資料的な裏付けがありますから、強いですよ。
中川氏もはしがきでふれているように玉三郎さんと同時代に生きて、その生の舞台を観ることが出来るのは、幸せなことですね。
玉三郎さんの勘弥襲名は現役の場合はおそらくないと考えられますが、たしかにプロデューサー的な仕事に専念するようになった時はありえますね。
貴記事のコメント欄の盛り上がりがすごいですね。玲小姐さんから回ってきて読んだのですが、結局は前作と並べるために自分の分も買いました。「歌舞伎界の政治的な実話」シリーズだと思って2作続けて面白く読んでいます。中川右介氏の経歴をネット検索したら、氏のスタンスがよく理解できました。
この本を読んで、玉三郎丈の勘弥襲名について以前から考えていた現役引退後の襲名という予測にますます確信を深めました。
しかしながら、今しばらくは舞台でのお姿をしっかり目に焼き付ける時間が少しでも長く続いて欲しいと祈っています。
この本以前に歌右衛門には政治力があったからと聞こえてきて、うすうすわかってきていましたが今回この二冊によりはっきりします。ありがとい本です。
杉村春子さんの場合は、後継者の太地喜和子さんが早くに亡くなってしまったせいでしょうね。お眼鏡にかなう若手が見つからないうちに看板女優は年老いてしまった。組織をしょって立つ人というものは、後継者を早めに育て、勇退するタイミングを遅きに失しないようにしないといけませんね。
「劔岳 点の記」についてはいろいろと考えさせられたので、しっかり感想をアップするつもりでいますが、玉三郎丈との関連があるのでひとこと。主人公の測量士が劔岳踏破に挑む中でしみじみと「厳しさの中にしか美しさはない」と言う台詞があるのです。この台詞を聞きながら私は玉三郎を連想していたのでした。まさに「全ては舞台の美のために」という玉三郎丈の厳しいまでの芸へのストイックさがあの「美しさ」を生み出しているのだろうという思いに至りました。山の美しさからそこまでいくのは「神々しいまでの美」というイメージの重なりからだと思います。また、ちゃんと書きたいと思っています。
井上ひさしのドラマ「焼跡のホームランボール」は観ていませんが、原作の小説は「下駄の上の卵」ですね。ネットで井上ひさしの中古本をまとめて買った時に入手していて読んでいます。最後にズシ~ッときてしばらく呆然としていたことを覚えています。3月に出た文庫版の『ボローニャ紀行』、井上さんが亡くなってしまってなかなか手がつけられなかったのですが、思い切って読みました。イタリアという国の素晴らしさ、ボローニャに惚れ込んだ井上さんの気持ちがよくわかりました。レジスタンスの人々の層の厚みに日本との違いを思い知らされています。レジスタンスにナチがいると告げて殺された子どものエピソードだけでもう泣いてました(T-T)
前に録画したDVDやHDの映像がブルーレイ内蔵テレビにかえて非常に汚くて見られたものでなくなり困っています。スカパーも歌舞伎座の最後の五人が見たくて久しぶりに契約したら又酷い映像です。
ザ・スターの司会の別所さんが玉三郎演出のガラスの仮面に出ていたのですね。びっくりです。
蜷川さんの続編もあるんですね。
私はナスターシャの映画と玉三郎トークや明治村舞踊公演は高いなあと思い見逃した馬鹿です。後で映画は観ました。ワイダ監督談話や養母のお手紙と玉三郎の反応、こちらもうるうるします。