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ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/06/17 映画「道 白磁の人」見果てぬ夢であってもそこに向けて行動することに意味がある!

2012-06-20 23:59:38 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

玲小姐さんの娘さんのおすすめということで映画のチラシをいただき、ご贔屓の新猿之助も出演(撮影時は亀治郎)ということもあり、有楽町スバル座に観に行った。
【道 白磁の人】
映画.comの「道 白磁の人」から以下、「解説」を引用。
日本統治時代の朝鮮半島で植林事業に勤しみ、民族間で争いあう中でも信念を貫いて生きた実在の青年・浅川巧の半生を描いたドラマ。監督は「光の道」「火火」の高橋伴明。浅川役に吉沢悠、浅川と親交を深めた韓国人青年チョンリムにペ・スビン。1914年、朝鮮総督府の林業試験場で働くことになった23歳の浅川は、京城(現ソウル)に渡り、そこで出合った朝鮮の工芸品・白磁の美しさに強くひかれる。職場では同僚のチョンリムから朝鮮語を習い始め、研究に没頭。チョンリムとも友情を育んでいくが、その一方で、朝鮮の地で横暴に振る舞う日本人の現実を知る。
さらに詳しい解説・ストーリーは、cinematopicsの映画作品紹介「道~白磁の人~」が参考になる。
公式サイトはこちら

監督=高橋伴明
製作総指揮=長坂紘司
原作=江宮隆之「白磁の人」
主な配役は以下の通り。
浅川巧=吉沢悠 李青林(イ・チョンリム)=ペ・スビン
浅川伯教=石垣佑磨 浅川けい=手塚理美
朝田みつえ=黒川智花 朝田政歳=市川猿之助(撮影時亀治郎)
園絵=近野成美 大北咲=酒井若菜
柳宗悦=塩谷瞬 小宮=堀部圭亮
町田=田中要次 野平=大杉漣
チョンス=チョン・ダヌ ジウォン=チョン・スジ

浅川巧は、山梨県北巨摩郡甲村(今の北杜市)に生まれた。1914年、兄伯教が渡った朝鮮に自分も林業試験場技手として渡ることになり、故郷の緑の山野で親友の朝田政歳に別れを告げる場面から始まる。大きな木の下に寝転んで土の匂いをいっぱいに吸い込む巧の顔は下向きなのでよく見えない。話しかける猿之助の政歳の顔の方がまともに映り、さらに「木や土が一番で俺はその次か」と愚痴る台詞はキーワード。贔屓としてはここだけで観に来た甲斐があったとニンマリ(^^ゞ政歳の妹みつえと巧が相思相愛で、兄としては身体が弱い妹を朝鮮には嫁がせたくないが、本人が強く望むので仕方がないという。
そして山梨の山並みがぐるっと回っていくと朝鮮の山並みに続いていく転換!これは映画ならではの手法で素晴らしく、のっけから舌を巻いた。

兄伯教の友人が柳宗悦で、二人の朝鮮民族美術の収集研究を手伝ううちに、高麗の「青磁」に比べて当時は価値を認められていなかった日常使いの「白磁」の魅力に気づく。巧は朝鮮の自然と人間と文化を愛し、朝鮮の人々に敬意を払って対等につきあう。1910年の日韓併合以降、日本が植民地支配をしている状況で、巧のような日本人は少なかった。大河ドラマ「平清盛」で関白藤原忠通役の堀部圭亮が、今作に憲兵の小宮に出ていて、何度も巧を傷めつける。原作では最後に改心するらしいが、映画では最後まで憎々しく、解放後の朝鮮人民に報復を受けているのが象徴的な存在となっている。

バスの中で朝鮮人の老人に席を譲った巧が小宮に見咎められた時がチョンリムとの出会いとなり、老人の感謝の言葉がわからなかった巧はチョンリムに朝鮮語を教えて欲しいと頼む。チョンリムは巧の職場の工員であり、熱心に作業に取り組んでおり、二人は朝鮮のはげ山に木を植えて緑にするという共通の夢に一緒に向かっていく親友となる。
日本の支配に抵抗する運動も起こり、1919年の「三・一独立運動」の場面も入っている。チョンリムと一緒に働いている工員のチョンスは抗日運動の中で射殺されてしまう。その葬列を見て「アイゴー、アイゴー」と大きな声で泣いて嘆く人々に露骨な差別意識をひけらかすのは兄弟の母のけいだ。巧に娘の園絵が生まれて祝いにかけつけたチョンリムにも嫌な顔を見せる。

相思相愛の妻のみつえは兄政歳の心配が的中、朝鮮の厳しい気候で体調を悪化させてしまう。幼い園絵に父を守っての願いを込めた白磁のかけらを託す夕景の中、渡り鳥の群れを追っていくと日本の山梨へと転換、ここも素晴らしい。故郷に帰って闘病するがとうとう亡くなってしまう。山梨の山野を歩くみつえの弔いの葬列。両国の葬列の対比が効いている。

チョンリムの妻ジウォンや息子は抗日運動に身を投じ、チョンリムにも参加を迫る。チョンリムは一線を画し、信頼する巧とともに植林の仕事に励み、白磁等の収集にも協力している。日本人に協力するチョンリムへの同胞の目も厳しい。巧は「日本人と朝鮮人が理解しあえるなんて、見果てぬ夢なのだろうか」と絶望するが、チョンリムは「夢であったとしても、それに向かって行動することに意味があるのではないですか」と答える。二人は苗を育て木を植えていくことを続け、友情が深まっていく。ここで涙腺決壊(T-T)

民芸収集の集大成となる朝鮮民族美術館開館の日、なんとチョンリムの息子が総督府の要人へのテロリストとしてやってくる。その爆薬を取り上げて逃がしたチョンリムは不発だったためにそのまま捕えられて獄中の人になり、面会に行った巧に心を閉ざしてしまう。
柳宗悦は大北咲に「白磁のような人物」として巧との結婚をすすめ、巧は再婚。咲には死産の不幸が襲うが、なついていた園絵が「死なないで」「お父さんを守って」と咲に実母から託された白磁のかけらを託す。子どもを喪った悲しみの中でなさぬ仲の母と娘の気持ちはしっかり結ばれた。

巧は急性肺炎で倒れる。死期を悟った巧は兄に最後に2箇所に連れていって欲しいと願う。刑務所でのチョンリムと面会し、チョンリムの家の庭に埋めたチョウセンゴヨウマツの木を見る。40歳での早世。
その葬儀の日に、これまで巧が親身に接してきた朝鮮の人々が「棺をかつがせてください」と大勢押しかけてくる。朝鮮式の葬儀の中、母のけいは堪えきれず隠れて声を上げて泣く。そこに朝鮮服の女が肩を抱き「泣きたいだけ泣くといい」と朝鮮語で声をかけて慰める。民族を超えて気持ちがつながったと思わせ、ここも泣ける。巧の亡骸はついに朝鮮で埋葬され、その墓は朝鮮の人々に大事にされ続けている。
やがて時が過ぎて日本の敗戦イコール朝鮮の解放の日、それまで自分たちを苦しめた日本人を襲う暴徒が咲や園絵の家にもやってくる。「ここは浅川巧さんの家だ」と一喝したのは解放されたチョンリムだった。かくして母娘は「お父さんは私たちを守ってくれた」と巧に想いを馳せる。

予想以上に感動的で、これまで浅川巧のような人がいたことを知らなかったので、この映画を観て本当によかった。しかしながら、巧はなぜこの時代に民族差別意識にとらわれないでいられたのだろうと少し疑問に思った。そこでネット検索して納得。巧はクリスチャンでもあったのだ。
Wikipediaの「浅川巧」はこちら
浅川伯教・巧兄弟が学んだ「北杜市立高根西小学校」のHPにある浅川兄弟のコーナーは、年表や写真が充実しているので参考になる。ただし、クリスチャンだったことには触れていない。日本の行政は宗教をその人の思想形成の要因としてきちんと言及することに変に遠慮するためだと思われる。
チョンリムは青林であり、あまりにもぴったりすぎる名前なのでもしやと思ったら、史実の人ではなく原作のオリジナルキャラクターだった。それでも浅川巧が理解しあい、ともに生きた朝鮮の人々の象徴であり、二人の友情を縦軸にすることでよりドラマが魅力的になっているのだと思う。

浅川巧役の吉沢悠も大河ドラマで藤原家成の嫡男で後白河帝の側近の成親を演じている。またチャンリム役のペン・スビンが韓流ドラマ「トンイ」に出ているということだったので、この日の夜に最終回のオンエアに間に合って見てみたら主人公トンイの兄役だった。この日韓の二人の若い俳優は、撮影の中で親友になったということで、その気持ちがスクリーンにもあふれていたように思われた。

映画の中の二人が語っていたように、両国の人々が不幸な歴史を踏まえながらも乗り越えて、理解しあい協力しあえるようになりたいと思う。そのためには、日本人があまりにも歴史を知らなすぎるので(これはあえて教えない政策をとっているという問題がある)、両国の不幸な歴史も義務教育の中できちんと教え、前向きな関係を築いていくことが大事だと考えている。そのためにやれるだけのことはしていきたい。

高橋伴明監督は、高橋恵子の夫ということ以外にあまりよく知らなかったが、当初の映画化の動きが頓挫してもう一度立ち上がった時に監督を打診されたとのこと。道元を主人公にした2009年の「禅 ZEN」もよかったし、過去の作品も機会があったら見てみようかと思っている。

12/02/08 独のドキュメンタリー映画「第4の革命」で脱原発への確信を深める

2012-02-19 02:28:35 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

昨年9月に「ミツバチの羽音と地球の回転」を、11月に「チェルノブイリハート」と続けて観て、次に観ようと機会をうかがっていた作品をついに観ることができた。
ドキュメンタリー映画「第4の革命」の公式サイトはこちら
goo映画の情報が、わかりやすいので以下、引用してご紹介。
【第4の革命-エネルギー・デモクラシー】
<作品解説・紹介>よりあらすじ
本作は、ドイツを脱原発決定へ導き、再生可能なエネルギーへのシフトを決断させたドキュメンタリーで、2010年ドイツ全土で上映されると、その年のドキュメンタリー映画最高の13万人を動員し、2011年テレビで放映されたときには200万人が視聴した。ドイツ連邦議会議員やヨーロッパ太陽エネルギー協会会長を務めたヘルマン・シェーアは、大量の風力発電導入を促した1990年の“電力買い取り法”と、太陽光発電導入の起爆剤になった2000年の“再生可能エネルギー法”の2つの法律を制定させた中心人物である。そんなシェーアがナビゲーターとなり、太陽光、風力、水力、地熱など、再生可能な自然エネルギー源の可能性を伝えていく。ノーベル平和賞受賞者であるバングラディッシュの経済学者ムハマド・ユヌス、アメリカの起業家イーロン・マスク、国際的な人権活動家ビアンカ・ジャガー、デンマークで自然エネルギー活用の中心的役割を果たすコミュニティを設立したプレベン・メゴー、アフリカ・マリ共和国で自然エネルギーと環境保全に取り組むイブラヒム・トゴラなどが登場し、100%再生可能なエネルギーへシフトすることが可能であることを分析し、紹介していく。

「第4の革命」というタイトルの由来がわからずに観たが、私の場合は鑑賞に支障なし。後でネット検索してみたら、飯田哲也(著)『エネルギー進化論:「第4の革命」が日本を変える』(ちくま新書)にいきあたり、内容の概説のところにあった。「革命」といっても政治的な転換ということではなく、「自然エネルギーへの転換」を産業構造の転換という視点で、農業革命、産業革命、IT革命に次ぐ「第4の革命」と評するようだ。

この映画はそういう説明なしに、ナビゲーターのヘルマン・シェーアが再生可能エネルギーへのシフトが実現可能であるという話をし、それにからんでいろいろな人が登場する。ご一緒した人の中で、シェーアを「このおじさん誰?」というくらいの感じで観た方々の中にはわかりにくいという人もいた。まぁ、脱原発ということについてある程度は調べたり考えたりしている人向けのドキュメンタリー映画であるといえよう。

国際エネルギー機関(IEA:International Energy Agency)のパリにある本部で取材に応じた主任研究員はしたり顔で「数十年のうちに再生可能エネルギーにシフトすることは非現実的だ」と語る。自身がここに転職してくる前はOPECで6年間働き、そこで専門知識を身につけたことが役に立っているということも自信を持ってしゃべっている。IEAがまさにどういう勢力の利益を代表する組織なのかを自分で明らかにしてしまっているのが実に皮肉だ。
その場面に続けて、シェーアは「石油などの化石燃料や、その代替として原子力エネルギーを使い続けたい勢力は、再生エネルギーへの転換を非現実的だと言い続けることで、転換をはかろうとする人々のやる気をなくさせようとしている」と指摘する。
まさに、そこである。それに反論するために、世界で再生エネルギーへの転換に本気で取り組んでいる人々を登場させ、志を持つ人々に勇気を与えようとする映画になっているのだ。

そういう人々が<作品解説・紹介>で列挙されているが、さらにドイツのような合理的なビジネスにこだわりそうな民族が実に多様な再生エネルギービジネスを展開しているのを見ると確信が強固になる。ドイツ人にできて日本人にできないわけがないじゃないかという気持ちが沸々と湧く。
さらに中国で太陽光発電の起業家である施正栄(シ・ジェンロン)が展開している事業も頼もしい。海を越えて中国の大気汚染物質が日本にどんどん流れてきているという現実を変える動きが、中国の若い世代の起業家がもっともっと増えることで強くなるはずと思え、エールを送りたい気持ちでいっぱいになった。)
さらに、マリ共和国のような発展途上国で電力を地方の農村などに確保して生活レベルを向上させている取り組みに目から鱗状態になった。それをバングラディッシュのグラミン銀行の投資が支えるという国を越えたマイクロクレジットの力にも感動!
先進国でも発展途上国でもまさに地域社会の中で再生可能エネルギーをつくりだして活用するということに確信をもつことが大事だと納得した。

今回は主婦連環境部の上映会だったが、今回の参加者が、さらに自分のところで自主上映をしようという動きにつながっているという話が私の耳にも入ってきた。ドイツの脱原発の世論に影響を与えるまでに草の根上映運動が広がった作品が、日本でもじわじわとそういう取り組みになりつつある。
3/11から一年という日が近づいている。「悲惨な経験をしてもやがて大方の国民が忘れてしまうのが日本人だ」と世界の志高い人々からあきれられないようにならないといけないと思う。
そのためにやれることを少しずつでもやっていく決意を固めている。

12/01/03 CGアニメ映画「friends もののけ島のナキ」→「ともに生きよう!」

2012-01-03 23:59:06 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

1/3、天気も母の体調もよく、さいたま新都心で集合し、MOVIXさいたまで「friends もののけ島のナキ」を観ることを決行。
goo映画の「friends もののけ島のナキ」の情報はこちら
上記サイトより以下、あらすじを引用。
霧に隠された海の先には、“もののけ”が住むと恐れられ、近づくことさえ禁じられた不気味な島があった。ある日、そこに迷い込んだ人間の赤ん坊コタケ(声:新堂結菜)は、不思議なもののけたちに出会う。突然現れたコタケを目にして、大パニックを起こすもののけたち。実はもののけたちも人間に怯えて暮らしていたのだ。そこで暴れん坊の赤鬼ナキ(声:香取慎吾)と青鬼グンジョー(声:山寺宏一)がコタケの面倒を見ることになった。初めはケンカばかりのナキとコタケ。だが、一緒に暮らしているうちに、ナキの心の中には優しい気持ちが芽生え、2人はかけがえのない“ともだち”になっていく。だが、どんなに仲良くなっても、もののけと人間はずっと一緒にいることはできない。やがて悲しい別れの日が訪れるが……。

「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズの山崎貴監督が、浜田廣介の童話「泣いた赤おに」をアレンジした3DCGアニメーションとのことだが、2Dで観賞(3Dは苦手)。
もののけ達は長生きで200年近く前に、人間と戦になり敗れて島に逃れて、その戦で赤鬼は母を亡くし、青鬼は母と別れ別れになった。その惨事は“もののけ”界でも人間界でもそれぞれへの恐怖として記憶・伝承されていた。
兄のタケイチが禁忌を犯して不思議なキノコを採りにやってきた舟にコタケが潜り込み、兄だけが追い払われたことから物語は始まる。人間に母を殺された赤鬼ナキだが、コタケと暮らすうちに気持ちが通いあう。
先に帰ったタケイチの話から、“もののけ”への警戒を強めていた村人は用心棒を雇う。コタケを帰してしまったものの、好物を届けたくて村にやってきてしまったナキを用心棒が襲う。青鬼グンジョーが助けるが途中で姿を消し、再び姿を現すと人間への復讐心を露わに凶暴な姿に変身。用心棒が逃げ出し、村人たちが追いつめられたところに、赤鬼がコタケや村人たちを守って闘い、青鬼を退散させる。
その姿に人間は“もののけ”が敵ではないと知り、ナキの怪我を治し、仲間として認める。そのナキが島に戻り、グンジョーを探すと・・・・・・「泣いた赤おに」の結果と同じことになる。ただし、グンジョーは母を探す旅に出かけたということなので、童話よりも救いはあったのが救いだった。

そして双方ともにお互いへの恐怖が払拭されて、ともに生きられる存在として認め合い、あらたな日々が始まったことがエンドロールのイラスト集で表現されているのも秀逸。

私も娘も涙、涙であった。母は寝なかっただけで偉かった(笑)
童話を踏まえているが、実に深い話になっていた。もののけ達と人間達の不幸な戦争からお互いへの不信と恐怖が植えつけられ、疎遠になっているというのは人間の世界の中でも戦争を繰り返す国々のあり方と同じだと思う。不信と恐怖を取り除く手段が、この作品の場合は青鬼のお芝居だったわけだが、人間どうしの戦争をなくすために必要なのは人間の「知恵」だろう。そうか、お芝居というのも知恵の産物だから、それも同じことだ。

戦争、天災、人災、そういう不幸なことを繰り返さないで、被災した人々にそうでない人々が「頑張れ」とか「頑張ろう」とか元気な人だけが言えるような言い方だけでなく、気持ちも寄り添って「ともに生きよう!」という語りかけ方で、「知恵」を絞って新たなしくみを作り出すことが必要なのだろう。そういうところまでイメージが広がる映画だった。
3DCGアニメーションはアメリカの二大メジャー(ピクサーとドリームワークス)の寡占状態にあるようで、それに日本勢が果敢に挑んでいる心意気もよし。

「ともに生きよう!」は最近の愛読誌『ビッグイシュー』で東日本大震災の被災者にかけたい言葉としてキャンペーンを始めてくれていることに共感しているので、私も使わせてもらっています。

11/12/3 録画で観た映画「おろしや国酔夢譚」の緒方拳の「俊寛」

2011-12-21 23:53:34 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)
BS朝日サタデーシアターの12/4のオンエアを録画しておいた映画「おろしや国酔夢譚」を何回かに分けて鑑賞。実話にもとづいた井上靖原作の小説が映画化され、封切られた頃から1回観てみたいと思っていた作品。
Amazonの「おろしや国酔夢譚 特別版」のDVDの情報はこちら
以下、上記よりあらすじをほぼ引用。
1782年、船で遭難した大黒屋光太夫(緒形拳)らはおよそ9ヶ月の漂流の末にカムチャッカ半島に漂着。光太夫ら生き残った6人の日本人たちは日本へ帰る日を夢見ながら極寒のロシア・シベリア地方を転々としていく。やがて光太夫は学者キリル・ラックスマン(オレグ・ヤンコフスキー)と友人になり、彼らの協力で女王エカテリーナ二世(マリナ・ブラディ)との面会が可能となるが……。
BS朝日「サタデーシアター」の項はこちら
Wikipediaの「おろしや国酔夢譚」の項もこちら

1992年制作だから20年も前の作品で、出演者がみんな若い。一緒に観ていた娘も驚いた。緒形拳にはカッコいいと感嘆。西田敏行も、劇団☆新感線の「SHIROH」の松平伊豆守でお気に入りの江守徹も痩せていてこんなにイケメンだったのと聞いてくる。沖田浩之もこの頃は頑張っていたのになぁ。
漂流民が日本に戻れた例はないという現実に立ち向かい、あきらめずに道を求める光太夫の姿が周囲の人々を動かしていく。光太夫に会った何人もの知識人が彼の生きざまに心を動かされて著作の中で言及するくらいになっていた。友となったラックスマンがコーダユ=光太夫ほどの人間が船頭をやっているような日本は素晴らしい国に違いない。だからこそ対等に交易を結ぶべきと主張してくれたことに胸を打たれた。緒方拳がそれだけの人物像を存在感をもって抑えた演技でくっきり浮かび上がらせているのががよい。
ドラマチックな歴史的な実話を実に淡々と描き出しているのがまたよい。漂流した17人が漂流の中で、異国の地で一人二人と死んでいく。庄蔵(西田敏行)は凍傷で片足を切断し生きる希望を失ってロシア正教のキリストに生きる支えを求め、それまでの漂流民と同様に日本語教師となった。若い新蔵(沖田浩之)は現地のロシア人女性とともに生きることにしてイルクーツクにとどまった。
日本に帰る望みを抱き続ける3人がペテルブルクまで行き、光太夫がラックスマンの助力を得てエカテリーナ女帝の謁見をようやく実現する。夏の宮殿に逗留中の女帝は、話題の人物コーダユに会ってもよいという気になったのだ。漂流して多くの仲間を失ったことに同情し、光太夫に何か歌えと命じる。

ここで緒方拳の光太夫が人形ぶりで浄瑠璃で「俊寛」を語り出したのに驚いた。確かに当時の日本で広く楽しまれたのは人形浄瑠璃だろう。流刑にあった俊寛が恩赦のかなった丹波少将成経たちが乗る赦免船が遠ざかっていくくだりだ。日本語のわからない女帝は途中でやめさせて退席しようとするのに追いすがって必死の嘆願。女帝は心を動かされたというよりも、大の男が涙を流して訴える姿に気まぐれのように帰国を許す。
女帝の親書を届ける船に乗せられて蝦夷地まできたものの、鎖国中の幕府はすぐに受け入れてくれない。碇を下した船の中で命を落とす小市(川谷拓三)が哀れ。
ついに若い磯吉(米山望文)と二人だけで日本の地を踏めた光太夫だが、罪人護送用の駕籠で江戸へ運ばれる。休息で駕籠から出された海辺で海の向こうに別れてきた仲間たちを思って再び「俊寛」を語る。再会は「未来で」というくだりにまた胸を打たれる。帰りたかったろうに時代が状況がゆるさなかった仲間たち・・・・・。

20年前に映画を観ていたら、この「俊寛」の場面の素晴らしさが理解できなかったろうと思う。当時、あまり評価が高くなかったように記憶しているが、これは作品を味わうには少し修行がいるだろうなぁと納得した次第。

11/11/20 Jackie Chan's 100th movie ‘1911’で辛亥革命を把握!

2011-12-07 23:59:40 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

四千年の歴史に対する憧れ、不幸な日中戦争の後は関係が複雑ではあるけれど、共にアジアというエリアを支えていくべき相手である中国。しかしながら近現代史、特に中国革命の把握は十分でなく、ちゃんと勉強しようと思いつつ、真面目な歴史書には手が出ない。

まず映画「ラストエンペラー」を観て、愛新覚羅溥儀の実弟・溥傑と政略結婚をさせられた浩(ひろ)の自伝「流転の王妃」も読んだ。香港・日本合作の伝記映画「宋家の三姉妹」を観た。「蒼穹の昴」も浅田次郎の原作を読んで日中合作のTVドラマも見た。

そして1911年の辛亥革命から100年の今年、ジャッキー・チェンの出演100作目にもなった「1911」をガッツリと観るつもりで娘と「サラリーマンNEO劇場版(笑)」を観た時に先にプログラムを買っておいて熟読。11月の観劇がひと段落してから観る予定だったが、11/5の封切りから1ヵ月は続かないかもしれないと、予定の空いていた11/20(日)にMOVIXさいたまで一人で鑑賞!冒頭は「1911」のチラシ画像。
goo映画の「1911」の項から以下、あらすじを引用(前半は物語の前提)。
清朝末期の中国。ホノルル留学中に近代思想を学んだ孫文(ウィンストン・チャオ)は、衰退する祖国の現状を憂い、革命を志すが、武装蜂起に失敗して日本に亡命。そこで義に厚く実直な黄興(ジャッキー・チェン)や張振武(ジェイシー・チェン)と出会い、同志の絆を結ぶ。1908年に溥儀が宣統帝として即位すると、1911年に張振武らの指導によって武昌で武装蜂起が発生。やがて各地に飛び火し、全土規模の辛亥革命へと発展してゆく。黄興は、米国から帰国した孫文に合流。援軍として奮闘、軍司令官として孫文を支える。しかし、総督府の占拠に失敗すると、大勢の部下を失った上に黄興自身も負傷。悲しみに打ちのめされるが、献身的に彼を看病する女性、徐宗漢(リー・ビンビン)や同志たちの勇気ある行動に励まされ、再び立ち上がるのだった……。一方、滅び行く清朝内部でも虎視眈々と権力の座を狙う軍人の袁世凱や、隆裕皇太后(ジョアン・チェン)がそれぞれの思惑を持って動いていた……。
上野まり子さんの「アジアン・スターインタビュー」の記者会見レポも実に詳しい。

冒頭は、清朝による女性革命家・秋瑾(ニン・チン)の斬首の場面から。日本留学の中で帝政打倒の闘いに立ち上がり、二児の母でもある彼女に捕吏は「子どもを母なし子にして」と責められるが、彼女は「全ての子どもの未来のために」と答え、後悔の気持ちを見せずに散っていくのがまず印象的。女性の活躍その1。

孫文は亡命先で清朝の資金源を断ち、華僑たちに新しい国づくりのためのカンパを訴える。「坂の上の雲」で日露戦争の戦費調達のために西田敏行演じる高橋是清が足の裏をマメだらけにして、ユダヤ人の資産家からの資金を借りることに成功していたのと重なる。帝政ロシアがユダヤ人を迫害していた歴史はミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」でも描かれているが、同胞を迫害するロシア政府を叩く勢力に金を出したのだ。

アメリカの華僑たちが舐めている差別も母国が近代国家ではないからだと孫文は説く。さらに清朝に金を貸そうとする列強の投資家たちには闘う同胞の胸を打ち抜く弾丸になる金を貸さないで欲しいと訴える。借款の話をまとめている清朝側の役人の娘は孫文の味方となっていたが、父とともに自決するというのも女性の活躍その2。ウィンストン・チャオは孫文役を「宋家の三姉妹」他の作品で何度も演じていて、自分の持ち役にしているだけにさすがの存在感。
その盟友である黄興が国内の戦闘を指揮。アクションは少ないがジャッキー・チェンの硬派演技に好感が持てる。同志として妻となる徐宗漢の闘いのサポートも見事で、多くの女性の同志たちが従軍看護師として活躍するのもきちんと描かれている。さすがに中国が製作陣に加わっているだけに、男女のバランスもきちんととっているようだ。

志半ばで散っていく同志の妻への愛情あふれる遺書が今も残されているが、それを使ったエピソードや黄興と徐宗漢の夫婦愛もさらっと描かれている。
残念ながら孫文と宋家の三姉妹の次女の宋慶齢との夫婦の関係は一切出てこない。まぁ、孫文の後に権力を握った蒋介石に反発したりとか、ややこしいので今の共産党政権も触れて欲しくないのだろう。うまいこと省かれている。

孫文が共和国の臨時大総統に就任する事態になっても、腐っても鯛で清朝の帝政は倒れない。軍閥の雄・袁世凱(スン・チュン)は孫文たちと清朝の闘いを横目で見ながら、タイミングを見計らって溥儀の後見となっている隆裕皇太后にフランス革命のルイ16世の斬首の話をして震え上がらせて退位=帝政終結宣言を引き出す。(隆裕皇太后という人は「蒼穹の昴」で出てきた西太后の姪で光緒帝の皇后だったなと思い当る。彼女の人物の小ささからすれば清朝の幕引きという役回りをさせられるのは無理もないと納得。)

孫文という人は、そこで袁世凱に大総統の地位を譲ってしまうのだから、個人としての権力欲のない人だったことがわかる。「中国革命の父」と敬愛され続けているのもよくわかった。その後の中国革命の歴史も実に複雑だが、この辺りが一番ブラックボックスだったのでこの「1911」を観て把握できたのも有難かった。

しかしながら、社会変革のために立ち上がり、命をなげうった人々のなんと多かったことか!そのような姿を群像的に描く作品にジャッキー・チェンが参加したということがまた意義深いことだと思えた。
この日、帰宅したらTVで連動企画と思しき「ラッシュアワー3」のオンエアがあった。こちらもしっかり観たが、アクションエンタメもいいし、硬派の作品もいいしという感じで、ジャッキー・チェンを堪能した日になってしまったのもラッキーだった(笑)

11/09/29 鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」で得た確信

2011-12-04 23:59:57 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画3部作のうち「ミツバチの羽音と地球の回転」を、9/29の浦和での上映会でついに観ることができた。これも書きたい書きたいと思いつつ、取りまぎれていたが、肥田舜太郎さんの記事に続いて書いておこう。
冒頭の写真は、上映会チケットをプログラムの上に置いて撮影したもの。
映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の公式サイトはこちら
goo映画の「ミツバチの羽音と地球の回転」から以下、作品の解説を引用。
日本のエネルギーの最前線、上関原発計画に向き合う祝島の島民と、スウェーデンで持続可能な社会を構築する取り組みを行う人々の両面から現代のエネルギー問題を描き出すドキュメンタリー。監督は「六ヶ所村ラプソディー」の鎌仲ひとみ。瀬戸内海に浮かぶ祝島の真正面に、原発建設計画が持ち上がってから28年。島民は一貫して建設に反対してきた。島では海藻や鯛をとり、無農薬のびわを栽培して千年も前から生活が続けられている。最も若い働き手、山戸孝さんは妻子を抱えて自立を模索しているが、その行方を阻むように着々と進められる原発計画。島民は一体となって阻止行動に出る。孝さんの眼差しの先にはスウェーデンの取り組みがある。足元にある資源で地域自立型のエネルギーを作り出すスウェーデンの人々が目指すのは、持続可能な社会。それを支えるのは電力の自由市場だ。原発重視かつ電力独占体制の日本のエネルギー政策を変えるためにはどうしたらいいのか。そして、祝島の未来はどうなるのか……。

「9.19さようなら原発大集会」に参加してきた時、上関原発反対の幟を持った人たちが私たち母娘の前にいた。その方たちが取り組んできた反対運動をあまりよく知らなかったので、この映画でよくわかったのも嬉しかった。
wikipediaの「上関原子力発電所」の項はこちら
「上関原発情報 まとめサイト」はこちら
山口県熊毛郡上関町の田ノ浦に中国電力の原子力発電所建設が予定され、その対岸にある離島=祝島で半農半漁で暮らしをたてている人々が反対運動を長年続けている。その反対運動は私のイメージとは全く違っていた。「三里塚闘争」などでは反権力闘争を貫く運動家が外から支援ということで大勢加わって地元の人とともに反対運動をしているイメージだ。しかしながら、こちらの原発反対運動は過疎で高齢化した半農半漁の爺ちゃん婆ちゃんが従来の暮らしを続けていけるように、それを邪魔する原発建設を承知しないという意思表示の行動とそれを支持するナチュラリストたちの取り組みだった。

それにこの映画で初めて実感したことは、原発は通常運転でも大量の冷却水=かなりの高い温度だからお湯になったものを出し続けるということ。許容量ということで出される放射性物質の問題だけでなく、排出された先の水温を上げてしまい、生態系を壊してしまうのだということを思い知らされた。愛媛県の伊方原発では高温になった湾の中はヘドロに満ちてしまったのだという。祝島では魚だけでなく岩場で天然のひじきをとったりもしているので、ひとたまりもあるまい。

地球の温暖化をストップするために原子力発電を推進するというが、温暖化の要因は石油系燃料由来の二酸化炭素ばかりではなく、原発の冷却水による海水の温度上昇も大きな要因になっているという話は聞いたことがあったが、湾がヘドロで満ちるという話は実にインパクトがあった。このような自然破壊を受忍するかどうかは、漁業補償ですむ問題ではないはずだ。

海の埋め立てをさせないための監視行動に漁船で繰り出した島民に、中国電力の職員の乗った船からハンドマイクで「一次産業だけでは未来がないでしょう。原発を作ったら雇用の場ができてお子さんたちが戻ってこれるようになります」などと語りかけている。それに対して「いま一次産業で食っている自分たちを馬鹿にするのか?」という反論は実に的を得ている。一次産業で暮らしがたちゆくように努力している人たちにとって大きなお世話様である。大体、原発の職場で働くことの危険性もあるわけで、そんな仕事に子どもをつかせたいと思う人ばかりではないだろう。ナチュラリストたちもシーカヤック隊をつくって監視行動に参加し、島民と連携していた。
中電の作業をさせないための取り組みは一進一退になり、とうとう中電側に作業協定違反の日の出前に埋め立ての目印設置作業を強行されてしまったところも映し出される。

長い反対運動のリーダーは山戸くんのお父さんで、息子に参加を強制したわけではない。外で働いていたが、結婚して子どもを育てる場所としてふるさとを選んでUターンしてきたのだ。島の祭りの支え手にもなっている姿は、暮らしというものは食べていく、子どもを育てるだけでなく、土地に伝わる文化を仲間とともに担うことまで幅広いものだということを痛感させられる。その場所を守りたいという思いがエネルギーになっているのだ。

やはりUターンしてきて反対運動に参加した方のお父さんは原発推進派だったという。推進の理由は推進派の町長の友達だったからで、原発を受け入れることで町の発展を描いたのだろうとのこと。方向性は違ってもふるさとで生きることへの思いは同じというようなことを語っていたのが印象的。
原発反対の人々は集まって食べて飲んでという場も大事にしていた。そこで婆ちゃんたちが「原発の話がきて賛成派と反対派の2つに分かれてしまったのが嫌だ」と対立を持ち込んだことでも原発を許せないというのがとても胸に響いた。町を二分するような対立が長年続くということはつらいことだろうなぁと思いを馳せる。

鎌仲監督は自然エネルギー先進国も取材する。スウェーデンでは電気をどの電力会社から買うか選べるようになっている。北欧エコマーク認証協会のスタッフの発言が衝撃的だった。以前、シェル石油に勤めていた時に、油田開発にからんで競争相手の石油メジャーと自社の間の獲得争いが現地の人々の代理戦争を引き起こした。自社の油田獲得のために血が流されるのをみて、嫌気がさしてやめたのだという。今ではもちろん自然エネルギーによる電気を買っている。
中東や発展途上国での戦争や内戦も実は石油の争奪のための代理戦争だという話はよく聞くが、それを体験した人の話を聞くのは初めてだった。

自然エネルギーによる発電も大規模なものではなく、地域の条件を生かして小規模な施設をネットワークすればよいというイメージももつことができた。

最近の選挙でもまた推進派が勝ち、反対運動の道は平坦ではない。しかしながら、反対運動の会長=山戸くんのお父さんの言葉に力を得られた。「反対運動ですぐに結果が出なくてもいい。長く続けているうちに、状況の方が変わるかもしれないから」というような趣旨だった。なるほど、そういう思いをしっかり持っているからへこたれずに長く運動を続けてこられたのだなぁと納得。
この考え方、私もいただきだ。世の中をいい方に変えていきたいと思っても、まっすぐにはいかない。このくらいの気持ちで、あきらめないで、続けることが大事なのだと確信をもった。

11/11/01 ドキュメンタリー映画「チェルノブイリ・ハート」で思い知らされたこと

2011-11-07 00:59:51 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

渋谷に行く用事のあるついでに、ヒューマントラストシネマ渋谷で観ようと思っていた映画の上映時間が変更になっていた。がっかりしつつもその日の上映スケジュールをチェックしたら、2003年第76回アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞受賞作品「チェルノブイリ・ハート」が同様の時間帯に入っていた。さらにちょうどこの日、マリアン・デレオ監督が来日してのトークショー付き企画ということがわかったので急遽観ようと決定。日本でも映画の完全ガイドブックが出版されたので、その宣伝のための来日ということのようだった。
映画のパンフレットと並んでいたガイドブックは監督のサイン入りで値段もそんなに変わらなかった。トークショーの後のサイン会まで残ると帰宅が遅くなるので、映画が始まる前にガイドブックを買って着席!
予備知識もあまり仕入れずに観たので、映画を観ただけではちょっとわかりにくかった。映画に出てくるレポーターの女性が監督じゃないかとか当初は誤解してしまった。映画の冒頭と最後に出てくる監督のメッセージの表現も詩の引用だったりしてちょっと感覚的だったということもあって、左脳人間の私からすると理解しにくい印象あり。
しかしながら観終わってすぐにガイドブックを読み始め、買って正解だったと確信した。前半は映画の内容のあらましを説明と台詞と映画の映像写真で見せ、後半の撮影記録=メイキングノート部分も合わせると実に奥行き深く理解ができた。

冒頭の写真はガイドブックの表紙。以下、アマゾンの「チェルノブイリ・ハート: 原発事故がもたらす被害の実態」の商品の説明より引用。
<内容説明>チェルノブイリ・ハートとは、“穴のあいた心臓”、“生まれつき重度の疾患を持つ子ども”の意味である。ベラルーシでは現在でも、新生児の85%が何らかの障害を持っている。1986年4月26日、旧ソビエト連邦(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で爆発事故が起き、国際評価尺度レベル7に達した。
放射性降下物はウクライナ、ベラルーシ、ロシアを汚染した。原発から北東へ約350キロ以内に、高濃度汚染地域「ホット・ゾーン」が約100ヶ所も点在し半径30キロ以内の居住は禁止されている。映画は、ホット・ゾーンの村に住み続ける住民、放射線治療の現場、小児病棟、乳児院の実態に迫る。
<「BOOK」データベースより>
1986年に起きたチェルノブイリ原発の大惨事から16年後、国土の99%が放射能で汚染されたベラルーシ。この国の乳幼児死亡率は他のヨーロッパ諸国に比べて3倍も高く、肢体不自由で生まれた子どもは事故前に比べて25倍、内臓に明らかな異常をもって生まれてくる子どもが大勢いる。今なお続く放射能汚染の重篤な健康被害を映し出したドキュメント。

合同出版の商品詳細から以下を引用。
<作者紹介>マリアン・デレオ
2003年第76回アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門でオスカー賞を受賞後、2006年にさらなる追加撮影を敢行し、被爆被害の実態に迫る。監督は、エミー賞2回など受賞経多数。
<目次>
日本のみなさまへ
ChapterⅠ チェルノブイリ・ハート
ChapterⅡ ホワイト・ホース
ChapterⅢ 撮影記録
 1 廃墟となった街
   チェルノブイリ・プリピャチ・
   里帰りツアーに同行して
 2 セシウム姉妹
   被曝するということ
 3 ベイビーハート
   ミンスクにて、開胸心臓手術に立ち会う
解説 崎山比早子(元放医研主任研究員)

映画「チェルノブイリ・ハート」の公式サイトはこちら
私が監督と間違えた女性は、アイルランドを拠点として活動するNPO法人「チェルノブイリ子どものプロジェクトインターナショナル」の創設代表者のエイディ・ロッシュ。病気や障害で苦しむ子どもたちの人道的医療支援活動等をしていて、マリアン監督はそれに同行して撮影したのだ。その時の作品が前半の「チェルノブイリ・ハート」。
チェルノブイリ原発の従業員とその家族が住まわされていた街がプリピャチで、2006年に一時里帰りツアーがあり、そこに同行したのが2つめの短編「ホワイト・ホース」のようだ。
原発事故後の現実をどれほど知らなかったかを思い知らされた。

「遺棄乳児院」という言葉に驚くが、要は奇形児・障害児として産まれて親に捨てられた子ども達の施設なのだ。そこである程度大きくなると精神病院の小児病棟に移されている。十分な予算もなく、とりあえず収納されて死ぬのを待たれているわけだ。
産科病棟では健常児の出産風景と保育器の中の障害児たちの対比。医師が健常児の生まれる割合が10~20%というのにショックを受けた。そしてどの施設の医師たちも放射線の影響があると思うと予想以上に明言するのにも驚いて、いろいろ考えた。
そうか、原発をつくって放射性物質を飛散させたのは当時のソ連政府であり、今は独立したそれぞれの国の政府とは別なので、本当のことが比較的言いやすいのだろうと思いつく。

事故直後は補償金が出されていたエリアも汚染のレベルが下がると補償金は打ち切られ、子ども達に奇形や障害が出ても、その因果関係は認めずに積極的な治療を国家責任でしてもらえることはない。
人道的な援助ということでヨーロッパやアメリカの支援団体が重篤な子どもには手術をしたりしているのだ。心臓手術をするアメリカ人医師は国際小児心臓基金代表ということで、アメリカで仕事をしてチェルノブイリの子ども達の治療も行っている。
患児の両親からまるで神様に感謝するように感謝されてとまどっている姿がまた象徴的だった。

【アフタートーク】
マリアン監督は自分でしゃべるのではなく、質問に答えるようにしたいとのことで、客席で挙手された方の質問に答えていった。通訳は映画とガイドブックの翻訳者の中村英雄氏。
残念ながら質問は脱原発運動に取り組んでいる方がフクシマの原発事故に関連して質問しているような感じで、監督は自分が答えられないことには答えられない、わからないと慎重に回答していたので、質問者には物足りなかったかもしれない。私にはドキュメンタリー映画の監督にそんなこと聞くなよと思えるものがほとんどだった。
監督が「世界からすべての原発を無くすことは非現実的だと思う」と発言したことは、実にアメリカ人の普通の感覚なのだろうと納得。そういう方がこのようなドキュメンタリー作品を作ったことに意義があるのだと思えた。
そして、旧ソ連邦の国々の民主主義のレベルの低さから非人道的な状態が放置されているのであって、日本は違うはずと、他人事のように思っているのは大間違いだろう。日本でも許容値を決めてそれ以下なら害はないという考え方が公けのものになってしまっているので、十数年後に現れるだろう障害については国として補償してくれるとは思えない。広島・長崎での被爆者援護のレベルの低さをみれば推して知るべしということだ。
とにかく、このままではまずいということ!!

12/17から同じヒューマントラストシネマ渋谷で「第4の革命 エネルギー・デモクラシー」を上映すると主催者から案内があった。ドイツの「脱原発」がなぜ実現したのかということがわかるようなドキュメンタリー映画らしいので、運動的な視点で考える機会をもつには、そちらの映画を観なくてはと思った。是非観たいものである。

11/06/07 松ケン×妻夫木の映画「マイ・バック・ページ」は苦過ぎた

2011-06-10 23:59:03 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

松山ケンイチは「デスノート」のL役以来のご贔屓若手俳優。出演した映画も全て観ているわけではないが、「カムイ外伝」以来なので少々欠乏症気味(笑)
チラシをGETしてずっと気にしていた「マイ・バック・ページ」だが、近くのシネコンで早々に上映回数が一日一回になってしまいそうなことがわかったので、早く帰れる7日(火)にすっとんでいって観てきた。18:10からの上映会だったが、客数はかなり少ない。

Movie Walkerの作品情報が一番わかりやすかったので、以下に引用。
「川本三郎による同名ノンフィクション小説を基に、1960年代後半という激動の時代に2人の青年が出会い、理想と現実の狭間で揺れ動く姿を描く社会派青春ドラマ。妻夫木聡がジャーリストを松山ケンイチが革命家に扮して初共演。『リンダ リンダ リンダ』の山下敦弘監督が、革命熱の強まる時代を生きた人間の強さと脆さを映し出す。」
ストーリーも同様に引用。
「1969年。理想に燃えながら新聞社で週刊誌記者として働く沢田雅巳(妻夫木聡)は、激動する“今”と葛藤しながら、日々活動家たちを追いかけていた。それから2年、取材を続ける沢田は、先輩記者・中平武弘(古舘寛治)とともに梅山(松山ケンイチ)と名乗る男からの接触を受ける。「銃を奪取し武器を揃えて、われわれは4月に行動を起こす」沢田は、その男に疑念を抱きながらも、不思議な親近感を覚え、魅かれていく。やがて、「駐屯地で自衛官殺害」のニュースが沢田のもとに届いた……。」

川本三郎のノンフィクションを下敷きにしながら、梅山の人物像などは脚本の向井康介と監督の山下敦弘とでずいぶんと膨らませていったらしい。
ベトナム反戦運動が盛り上がり、反米・反独占の気分が高揚した時代、既成の左派とは一線を画した「新左翼」とマスコミがもてはやした学生運動が華々しく盛り上がった。全共闘による東大の安田講堂占拠が機動隊によって排除される様子がTVに映し出されたのは私も覚えている。小学生だったが、馬鹿な人たちだと思いながら見ていたものだ。

妻夫木演じる沢田は東大の学生で、傍観者ではあったが、心情的には先鋭的な彼らの闘いにシンパシーを抱いていた。新聞記者になっても常に社会の陽の当たらない所に身分を明かさずに潜入し、そこに生きる人々の中に混ざりこんで思いを引き出したルポなどを書いていた。
その沢田の前に梅山と名乗って片桐が近づく。当初は警戒していたものの不思議な魅力がある。運動に入る前は音楽をやっていたといって、アメリカのCCRというグループの曲を共に口ずさむ中で人間としての興味を持ってしまったのが沢田の運の尽きだった。
松山ケンイチがギターをかき鳴らすといえば「デトロイト・メタル・シティ」。だからギターを弾く姿も実に自然。妻夫木が報道用カメラを使う場面では「闇の子供たち」を彷彿とするが、それからすると大人になっている。当然か(^^ゞ

それにしても、梅山というヤツはずいぶんとひどい男だ。学生時代に時代を論じ合う研究会をつくるも、お話にならないレベルの論戦しかできていない。それでも時代の夢を追っかけたいという同志たちのリーダーとなったのは、やはり人を引きつけるものがあったからのようだ。少し前の運動の高揚を追う中でいっぱしの存在になることが彼の目標(=本物になる)であり、同志たちは梅山に感謝の言葉をかけられ、「俺を本物にしてくれよ」と囁かれればその呪縛の通りに動いてしまう。彼の女になっている重子(石橋杏奈)も「お前のために世界を変えたいんだよ」と囁かれれば、疑いも打ち消して身を任せてしまっている。その情事の隣の部屋でヘルメットを赤いペンキで塗っている作業をしている同志の男女はラジオの音でごまかして作業を続行。おいおい、まともな感覚をなくしているぞよ。

まるで、オウム真理教の麻原彰晃ではないか?!
沢田に近づいたのも、偽情報でも派手な行動の予告ならマスコミは飛びついて自分たちのことを書くだろうと踏んでのこと。さらには中平や沢田の仲介で京大全共闘議長の前園勇(山内圭哉)と対談させてもらうと、そのツテを頼ろうとするし、最後には彼を犯罪の首謀者にして責任をなすりつけようとまでする。

だまされる沢田は、梅山を「信じた」のに裏切られ、会社を辞めざるを得なくなる。引導を渡す社会部長役の三浦友和は、ほんの一場面だったが、顔中を無精髭でいっぱいにしていて、激務をこなす幹部としての存在感。いい人イメージを払拭しての熱演だった「沈まぬ太陽」を彷彿。
ジャーナル誌の表紙のカバーガールの高校生、倉田眞子(忽那汐里)は、可愛いだけかと思ったら実に感性豊かな少女。一緒に観た映画の登場人物で「泣ける男が好き」だというひとことがキーワードになっていた。

ほぼ10年後、映画評論など仕事をしている沢田。仕事をくれる出版社の編集部の飲み会に誘われてもいつも参加しない。一匹狼を通しているらしい。
ふらりと立ち寄った飲み屋。その主人は潜入ルポをしていた時に親切にしてくれた男で再会を喜んでくれた。境遇も明かさずにふらりといなくなった自分を気にかけてくれていた様子に、沢田は泣くのだ。
うちのめされてしまったような気がして映画館をあとにしてきた。私には苦すぎた。

だます方もだまされる方も革命というムードに乗っていた。かたや自己満足を求めて、かたや社会正義の実現という夢を描いて。
最近の野田秀樹の「信」シリーズ3部作に通じるものを感じた。感覚的に信じてしまうことで身を滅ぼす悲劇。愚かなのだ。
今回の映画は、だます方もだまされる方もいずれの若者も愚かしい。2人ともが魅力を感じる京大全共闘議長の話す内容にしたって、感覚的すぎてこんな考え方でよくもまぁ社会を変えられると思っていたなぁと思ってしまった。大多数の国民の意識をこんなことで目覚めさせることができると本気で思っていたのだろうか?そうであれば幼稚なインテリの革命ごっことしかいいようがない。そんな風潮をもてはやしたマスコミも幼稚だったように思える。
溜息しか出なかった。

他の主要キャスト:長塚圭史、中村蒼、韓英恵、あがた森魚

ちょうどの川本三郎の文章を読んだ直後の鑑賞だった。乙川優三郎の『冬の標』の巻末の解説を書いていた。時代の制約の中で自分を貫く生き方にたどりつく女性の物語で、実によい解説文だった。その氏の朝日新聞社の記者時代に経験した日々をつづった原作の映画化だったが、真摯に生きる人間への共感が通底しているように思えた。その視点については共感しきりである。

10/08/07 TVオンエアで「劔岳 点の記」鑑賞でなぜか玉三郎を連想・・・

2010-08-12 23:58:14 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

昨年の映画「劔岳(つるぎだけ) 点の記」は、封切前にチラシや北日本新聞の特別版を手に入れて気にしていたのだが、ついに見送ってしまっていた。そこで今回のTVオンエアを楽しみにしていて、ついに観ることができた。この夏のTVの買い換えで横長の大型画面で観ることになった(14→32型)のだが、実に雄大な景色が迫ってきた。こういう作品はTVで観るにしてもやはり大きな画面で観ると印象が違うものだと感心しながらじっくり鑑賞。

ただそれと裏腹だがBSの「ザ・スター」の玉三郎の回を見逃した。BSが観られるようのなったのにまだそういう感覚が身についていなくてチェックがもれてしまった次第。まだまだ新しいTVを使いこなせていない。

【劔岳 点の記】
原作:新田次郎 監督:木村大作
以下、あらすじを「cinemacafe.net」より引用、加筆。
明治40年。地図の測量手として、実績を上げていた柴崎(浅野忠信)は、突然陸軍参謀本部から呼び出される。「日本地図最後の空白地点、劔岳の頂点を目指せ」。当時は、陸軍参謀本部に所属している陸地測量部が日本国内の測量を行い、数多の山頂に三角点を設置、地図を作ってきていた。宗教登山の目的以外では、ほとんどの山は陸地測量部によって初登頂されてきたが、未だに登頂されていないのは劔岳だけ。また、創立間もない日本山岳会の会員も剱岳の登頂を計画しており、軍としては、山岳会に先を越されることを許すわけにはいかなかった。 柴崎は、その命を受け、剱岳付近に詳しく、人柄も優れた案内人・宇治長次郎(香川照之)らとともに、未踏峰の劔岳の登頂に挑む――。
その他の出演者:松田龍平、仲村トオル、宮崎あおい、役所広司、ほか

「点の記」というのは、三角点を設置した記録ということで、変なタイトルにようやく納得。測量部では以前、古田(役所広司)たちが挑んでいたが、あまりの険しさに断念していて、その任務を後輩である柴崎たちが引き継いだのだ。ところが創立間もない日本山岳会の小島烏(仲村トオル)たちが同じ時期に前人未踏破の劔岳に挑むことになって、マスコミがどちらが先に踏破するのかと煽りたてる。軍の上層部は威信をかけて一番乗りを迫る。
古田に紹介された案内人の宇治と下見に出かけた柴崎は、宇治の人柄に惚れ込んで測量部の部下たちと共に劔岳に挑むのだが、地元の複雑な状況という壁にぶちあたる。
剱岳というのは立山連峰の中でも一番険しい山で、その山岳信仰の中で「死の山」として登山を戒められていた。麓の御山信仰の篤い地域からは荷物を運ぶ人夫の手配が困難だった。さらに宇治は禁忌にこだわる息子とのあつれきを抱えていた。
ようやく人夫の数も揃い、雪解けを待って周囲の山から三角点の設置と測量をすすめる。その任務を果たしながらの劔岳踏破の挑戦になるので、山岳会の方が有利な状況にもみえる。そうなると若手の生田(松田龍平)があせり、民間人への差別意識をむき出しに宇治や人夫たちを頭ごなしに責めて団結を乱す。宇治と柴崎と生田の3人で行動した時に突然の嵐に見舞われたのを救ったのはベテランの測量士と人夫たち。ようやく謙虚になり対等な仲間意識をもつようになる。

また、天候の急変を察して山を降りる際に行者(夏八木勲)の祈祷の声に気がついて一緒に山を降りるというエピソードがあった。行者は感謝するどころか「なぜ助けた」と柴崎たちを責める。ここで命をかけた忘我の修行をしていたのだと思ったが、そこで柴崎のヒントになる言葉をくれる。劔岳に登れるとすれば「雪に向かって雪を背負って登れ」という言い伝えがあるというようなこと。
それが結局、劔岳の登頂のルートをどこにするかという決め手になり、雪渓を登っているルートをたどることにする柴崎。宇治も息子が自分の生き方を認めてくれてついにクライマックスへ。
難所を登るシーンは割愛。というか難所過ぎて撮影できなかったのではないかと推測。ついに成功するのだが、そこで見つけた先人の足跡。昔の行者の錫杖の金具の部分が置かれていた。成功の打電にも軍のトップは初登頂でなければ意味がないと言い捨てる(笹野高史が淡々と憎い態度!)。
劔岳の頂上に設置した三角点を向かいの峰で測量をしていると続いて登頂に成功した山岳会メンバーから手旗信号でエールを受け取る。2つのグループは劔岳を踏破した仲間として垣根を越えて気持ちを通わせる。柴崎たちも軍人民間人の垣根を越えて心がひとつになる。
CG・空撮なしで「行者」のように劔岳を踏破したキャストの表情は本物としかいいようがない。そこで広がる景色の素晴らしさ!!

私自身は山登りに特に興味があるわけではない。体力もないし、ちょっとの勾配で息が切れるので高尾山の散策くらいでも難行苦行の思いだ。そこで今回は何故こんなに険しい山に登ろうとする人がいるのかという疑問ももっての鑑賞。
柴崎が劔岳踏破に挑む中でしみじみと「厳しさの中にしか美しさはない」と言う台詞があり、まさにその「美しさ」に引きつけられて命もかけて登るのではないかと思い当たる。測量部のメンバーは任務なのだが、山岳会のメンバーはいかにもお金持ち集団。生田あたりから「お遊び」だと揶揄されていたのを、途中でそれを「そうかもしれない」と認めてしまったりしているのだが、それにしても「命をかけてなぜ遊ぶのか?」という疑問を持ってしまっていた。

今回は大画面で観ることができた北アルプスの山々の連なる映像に、この美しさを観たいがために命をかける人もいるだろうなぁとハタと納得してしまった。

さらに、信仰の力である。普通の信者には「死の山」だから登ってはいけないという禁忌をつくっているのに、命をかけた行をする者には最初に踏破した行者から口伝でヒントが伝わっていたのだ。それも命がけで観る山の「美しさ」の中に超然とした存在を体感できるという荒行のひとつとして伝わっているのだろう。

さらに私は、この台詞を聞きながら私は玉三郎を連想していた。BSのことは全く知らなかったにも関わらずだ。まさに「全ては舞台の美のために」という玉三郎丈の厳しいまでの芸へのストイックさがあの「美しさ」を生み出しているのだろうという思いに至っていた。山の美しさからそこまでいくのは「神々しいまでの美」という私の玉三郎へのイメージの重なりからだろう。
明日の夜のハイビジョンのオンエアで「ザ・スター」の玉三郎をしっかりと見ようと思っている。

冒頭の写真は、「劔岳 点の記」のDVD。

10/02/11 南アのワールドカップに思いを馳せる「インビクタス 負けざる者たち」

2010-06-29 23:59:38 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

「チェンジリング」でクリント・イーストウッド監督作品の面白さに目覚め、「グラン・トリノ」で私の目が離せない巨匠の一人に列座させていただいた。
しかしながらスポーツ物は苦手の私。特に国別対抗戦のナショナリズム的ムードがどうにも好きになれずに「インビクタス 負けざる者たち」はなかなか気が乗らなかった。2/11の休日、友人の誘いに乗ってMOVIXさいたまでを観てきたら、その価値観が覆されてしまうほどに素晴らしかった。感想未アップのままだったが、競技は違えど同じ南アのワールドカップに敬意を表して書いておくことにする。

南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)についてはずっと心を痛めていたが、1994年にアパルトヘイト撤廃、マンデラ政権樹立でひと安心。翌1995年のラグビーのワールドカップ開催と優勝が全く記憶にないのは何故かと考えてみたら思い当たった。日本は1月に起きた阪神淡路大震災の悲劇と復興の中にいたのだ。ラグビーの日本チームは弱いしマスコミもあまり取り上げなかったのだろう。

それでもネルソン・マンデラという人物には関心があったので映画「マンデラの名もなき看守」も観て、尊敬する人物になっていた。
【インビクタス 負けざる者たち】
「映画のことならeiga.comサイト」の項はこちら
以下、概要とあらすじは上記よりほぼ引用。
南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ大統領と同国代表ラグビーチームの白人キャプテンがワールドカップ制覇へ向け奮闘する姿を、クリント・イーストウッド監督が描いた人間ドラマ。1994年、南アフリカ初の黒人大統領となったマンデラ(モーガン・フリーマン)は、アパルトヘイトによる人種差別や経済格差をなくし、国をまとめるためには、95年に自国で開催されるラグビーワールドカップでの優勝が必要と感じ、代表チームのキャプテン、フランソワ・ピナール(マット・デイモン)との接触を図る……。

マンデラが大統領になって官邸に入るとデクラーク大統領のスタッフだった白人たちが解雇を予想して荷造りをしていた。そのスタッフを集めて「私にはあなたたちが必要だ」と語る場面に白人も黒人もまず驚く。黒人が政権をとったら白人たちは排斥されるという思い込みは砕かれる。人種の垣根を越えた組織運営の象徴としてまずANC時代からのマンデラの警護チームに白人を加える指示に、メンバーがとまどいながら信頼関係を少しずつ築いていく様子が実にいい。

前政権時代に決まっていたラグビーのワールドカップ開催。アパルトヘイトが国際的に非難され、ニュージーランドに並ぶほど強かった南アのチームは国際試合への参加が認められなくなっていた。それが解除されて国際社会に復帰したことを意味するわけだ。しかしながらラグビーはイングリッシュスピーカーが持ち込んで白人が愛するスポーツであり、人種差別の象徴でもある。
その代表チームの扱いが新政権下のスポーツ評議会で取り上げられ、従来のチーム名、エンブレム、ユニフォームを全て変える決定がなされる。そこにマンデラが自ら乗り込んで再議決を提案。今は姑息な復讐の時ではない、敵を赦し敵とともに新しい国を築くことこそ必要だとスピーチし、決定を覆す。

そして、代表チームのキャプテンをお茶に招き、チームの側の意識も変えるべく語りかける。国際試合からオミットされている間に弱いチームになり下がり、親善試合にも負け続けているチームの強化と黒人地区の子どもたちへもラグビーを教えることを指示。警戒しつつ対面したピナールは一度でマンデラの人柄に魅せられ、大統領に協力する気持ちが湧いてしまう。キャプテンが言ってもすぐにチームメンバーはそれに従うわけもなく、率先垂範しながらのリーダーシップを発揮。マンデラがメンバーの名前をしっかり覚えての激励に心を動かす選手たち。この心を砕くリーダーシップこそが頑ななメンバーの心を動かしていく。
ピナールの家族の様子を描く中で、人種差別意識の強い父親とそうでもない妻という世代による意識の差、家事のために雇っている黒人女性との関係性にも焦点を当てているのがいい。
そしてマンデラも超人ではない。プライベートでは離婚を経験し心に傷を負っている。激務をこなす中で過労で倒れたりもする。愛称の「マディバ」と呼んで、周囲のスタッフが心から支えているし、支えたくなる人物なのだ。

1964年にマンデラは国家転覆罪で終身刑となり、27年間の獄中生活を送る。そのうち18年を過ごした監獄島のロベン島に代表チームのメンバーが訪れる。世界遺産にもなっている施設でのロケ。その狭い独房に入り、マンデラから教わった獄中生活の心の支えとした詩「インビクタス」の朗読の声がかぶってくる。獄中のマンデラの心に思いを馳せるピナールをマット・デイモンが体現する時、観ている私にもその圧倒的な時間の重さがのしかかってくる。

「支配者に屈しない」「敵を積極的に赦し和解すること」このことは先に観た映画「マンデラの名もなき看守」の中でも描かれたマンデラの姿だ。
「復讐の連鎖を断ち切る」「赦すことが魂を自由にする」このスタンスを万人が持つようにすることが、人間の精神の美しさ、平和な世界の実現を追求するために一番大事なことだと思っているので、こういう人物が実在したということは人間への信頼を維持するための大きな力になると思う。

さらにマンデラがこのワールドカップを対立する国民の融和のために活用するというアイデアが素晴らしい。それも黒人が愛するサッカーではなく白人のスポーツのラグビーに黒人の気持ちを引きつけて全国民を挙げて応援できるように持っていくために着々と手を打ち、代表チームもその気持ちに寄り添っていったことが見事なドラマになっている。
決勝トーナメントにすすみ、決勝戦は宿敵のニュージーランド。そこにマンデラ自身が白人の着ていた代表チームのユニフォームを来て現れて両国のメンバーと握手を交わす。マオリ族の戦いの踊り「ハカ」はニュージーランドチームの定番だったのかとあらためて思うくらいラグビーは知らない私だが、ゲームの場面が延々続いても引きつけられてやまない。どんどん気持ちが高揚しする。これがハイレベルのスポーツの持つ力なのかと思い知らされた。

心の中の大きな壁をも突き動かす大きなパワー。競技場の外で白人の警官たちがパトカーのラジオで観戦するのを傍聴していた物売りの黒人少年がどんどん接近し、勝利の瞬間には人種の意識を超えて手を取り合って喜び合う場面の感動的なことといったらない。

マンデラの自伝を映画化する時はモーガン・フリーマンに演じて欲しいと本人が希望したこと、それを踏まえた企画に取り組む中で巡りあったこの脚本でクリント・イーストウッドが監督を引き受け、この映画が世に送り出された。
南アの航空機が競技場の上を低空飛行で飛んでの応援とか冗談のような場面も実話だとか!
常識を超えた奇蹟が起き、その後の南アの発展の力となったようだ。

しかしながら、社会というものは真っ直ぐによくなっていくものではない。そのことがよく分かってきた私だが、その後の南アもご多聞にもれない。マンデラは潔く一期で大統領をひき、その後の選挙でANCが多数派をとると憲法を改正して強制連立条項を削除してしまったのだという。アフリカの中では経済発展している南アだが、貧富の格差は大きく治安が悪いという。
貧富の格差の拡大は世界的な傾向であり、世界平和の追求とともに世界的な課題だが、その前に必要な「人間を信頼する力」を取り戻すために、この映画の描いた真実のドラマは実に素晴らしい効果があるとここで褒め称えておきたい。

冒頭の写真はこの作品のチラシ画像。
ただいま、サッカーワールドカップの日本の決勝トーナメント初戦中。ちゃんと応援しながらのアップ!