1800号か! 感慨深い。本日聴いたエヴァ・メイのヴィオレッタで深く感じる点があったので、唐突な感じがするかもしれないが、標題を主題にした批評を書く。
エヴァ・メイ は、コロラトゥーラ・ソプラノの第1人者の1人として、既にオペラ界で名声を勝ち取ったソプラノであり、この日も素晴らしい圧倒的な歌唱の連続であった。読響が「アリア集」を定期(または準ずる定期的な名曲コンサート)で上演するのは、かなり久しぶりで最低で2年は聴いていない。前回は、もしかしたら3年前? 4年前? 5年前?
歌ったのは
どれもが絶品。1曲目「ドン・パスクアーレ」では 指揮者=コルステン がオケ(14型)をわずかに被せて メイ の声の「通り」を妨げた瞬間があったのだが、2曲目以降は安心して聴けるバランスが最後まで保たれた。4曲挟まれた器楽曲の最初である プログラム冒頭の ヴェルディ「シチリア島の夕べの祈り」序曲で(無闇に)盛り上がりした雰囲気を引きずっていたのかもしれない(爆
エヴァ・メイ の声は「軽く伸びやかで透明感ある声が、低音から高音まで均質に技巧的に転がる」という「コロラトゥーラ・ソプラノの第1人者」そのもの。絶対音感の無い私高本なので断言できないが「3点E音」まできれいに出していた、ように思う。(違っていたらごめんなさい)指揮者とオケが有能なので、「エヴァ・メイの声」が最大限に生きるようにサポートする。もちろん、作曲家によって(特にオケパートの)出来映えには差があることもはっきり聴き取れたことでも、とても意義高い演奏会だった。ワーグナーが「大きなギター」と揶揄したドニゼッティのオーケストレイションは、ヴェルディとプッチーニに比べると歴然としている。(ワーグナーと比べても同じです、ハイ)だが、「主役ソプラノの声を最大限に引き出し、聴衆を楽しませる」点では全く同等。エヴァ・メイの声は、(ヴェルディ&プッチーニよりも)ロッシーニ&ドニゼッティに向いていることも聞き取れた貴重な演奏会である。ちなみに「椿姫」第1幕フィナーレは(テノールの)アルフレートがいないと成立しないのだが、コンサートマスター=小森谷巧 がテノールパートを情緒たっぷりにヴァイオリンで弾いてくれた。エヴァ・メイ も「そこにアルフレートがいるかのように」歌ってくれていたことも印象的だ。
「エヴァ・メイの声」は大好きだ。これほど均質に、かつ、技巧的に軽やかな声でコロラトゥーラ・ソプラノを聴かせてくれる人は貴重であり、本当にかけがいのない時間を過ごせた。
・・・で、全部が全部100%満足できたか? と問われると「1%だけ、もう少し上が欲しかった」が偽らざる実感。指揮者もオケも満足。エヴァ・メイ についてだけである。どこか?
連続音型では全く問題ないのだが、跳躍音型の時だけ引っ込んでしまう。エヴァ・メイ自身も判っていて、短めに切り上げる。もちろん、コルステン の指揮は用意万端である。う~ん、ヴェルディ「椿姫」だと、聞き慣れているからはっきり感じてしまうのだ。
・・・で、ここから昨年2010年12月18日の堺シティオペラ「椿姫」公演の批評を書く。「音楽の友」に結構辛口の批評が掲載されたことに驚いた。私高本は「大阪のオペラ」を聴いたのは生まれて初めてなので、事情は断言できないのであるが、これまで聴いた「大阪のオーケストラ演奏会」から推測すると、『東京のオケ > 大阪のオケ』と感じている。(過去形ではないよ)
その中で、2010.12.18「椿姫」は抜群に良い演奏だったので、「音楽の友」批評の手厳しさには驚いた次第である。
関西だけでなく、関東にも「市民オペラ」は数多くある。私高本も相当数聴いた。「藤沢市」「荒川区」「大田区」「横須賀市」「朝霞市&和光市」などが有名。どの団体も熱意あふれる演奏を毎年のように上演してくれる。ありがたい限りだ。
・・・で、「堺シティオペラ」の水準なのだが、聴いて驚いた。
である。ソリストの演奏水準も、オケも、合唱も。
「ソリスト」については、疑問を感じる方も多いだろう。関東の市民オペラの方が「有名ソリスト」を起用することが多いからだ。だが、有名ソリストもオケや合唱の音程に引きずられてボロボロの演奏になることがある。(というか大半である)
堺シティオペラ「椿姫」で信じられなかったことは
であった。種明かしをしよう。第2幕で「合唱団員が音程を取れない地獄のような曲」が来る。関東の市民オペラは全滅した箇所。堺市民オペラは、ソリストの声だけが響いて来る。ん? 本当にヴェルディが書いたの? と思って帰宅後調べてみると、ヴェルディ自身も不安におもったのか、ソリストもサポートするように作曲している!!
堺シティオペラのオケは8型。本日聴いた読響は14型。予算が無かったことは明らか。「エヴァ・メイ招聘の読響」と同等にカネを支払うことは(市民オペラでは)基本的に無理なのだ。与えられた条件の中で、菊池彦典の指揮は、3回テープ録音をスピーカから流したこと以外は素晴らしかったと感じる。「ヴィオレッタを中心とするソリスト陣を引き立たせる棒」に徹していたからだ。
(追加分は近日中に書きます)
エヴァ・メイ は、コロラトゥーラ・ソプラノの第1人者の1人として、既にオペラ界で名声を勝ち取ったソプラノであり、この日も素晴らしい圧倒的な歌唱の連続であった。読響が「アリア集」を定期(または準ずる定期的な名曲コンサート)で上演するのは、かなり久しぶりで最低で2年は聴いていない。前回は、もしかしたら3年前? 4年前? 5年前?
歌ったのは
- ドニゼッティ「ドン・パスクアーレ」から
- ロッシーニ「なりゆき泥棒」から
- ヴェルディ「椿姫」第1幕から「不思議だわ」以降全部
- ロッシーニ「ウィリアム・テル」から
- ロッシーニ「結婚手形」から
- ドニゼッティ「連隊の娘」から
- プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」から(ここから3曲アンコール)
- プッチーニ「ラ・ボエーム」から
- ヴェルディ「椿姫」第3幕から
どれもが絶品。1曲目「ドン・パスクアーレ」では 指揮者=コルステン がオケ(14型)をわずかに被せて メイ の声の「通り」を妨げた瞬間があったのだが、2曲目以降は安心して聴けるバランスが最後まで保たれた。4曲挟まれた器楽曲の最初である プログラム冒頭の ヴェルディ「シチリア島の夕べの祈り」序曲で(無闇に)盛り上がりした雰囲気を引きずっていたのかもしれない(爆
エヴァ・メイ の声は「軽く伸びやかで透明感ある声が、低音から高音まで均質に技巧的に転がる」という「コロラトゥーラ・ソプラノの第1人者」そのもの。絶対音感の無い私高本なので断言できないが「3点E音」まできれいに出していた、ように思う。(違っていたらごめんなさい)指揮者とオケが有能なので、「エヴァ・メイの声」が最大限に生きるようにサポートする。もちろん、作曲家によって(特にオケパートの)出来映えには差があることもはっきり聴き取れたことでも、とても意義高い演奏会だった。ワーグナーが「大きなギター」と揶揄したドニゼッティのオーケストレイションは、ヴェルディとプッチーニに比べると歴然としている。(ワーグナーと比べても同じです、ハイ)だが、「主役ソプラノの声を最大限に引き出し、聴衆を楽しませる」点では全く同等。エヴァ・メイの声は、(ヴェルディ&プッチーニよりも)ロッシーニ&ドニゼッティに向いていることも聞き取れた貴重な演奏会である。ちなみに「椿姫」第1幕フィナーレは(テノールの)アルフレートがいないと成立しないのだが、コンサートマスター=小森谷巧 がテノールパートを情緒たっぷりにヴァイオリンで弾いてくれた。エヴァ・メイ も「そこにアルフレートがいるかのように」歌ってくれていたことも印象的だ。
「エヴァ・メイの声」は大好きだ。これほど均質に、かつ、技巧的に軽やかな声でコロラトゥーラ・ソプラノを聴かせてくれる人は貴重であり、本当にかけがいのない時間を過ごせた。
・・・で、全部が全部100%満足できたか? と問われると「1%だけ、もう少し上が欲しかった」が偽らざる実感。指揮者もオケも満足。エヴァ・メイ についてだけである。どこか?
跳躍音型の3点Es が 奥に引っ込んでしまった発声になった上、音程も低め
連続音型では全く問題ないのだが、跳躍音型の時だけ引っ込んでしまう。エヴァ・メイ自身も判っていて、短めに切り上げる。もちろん、コルステン の指揮は用意万端である。う~ん、ヴェルディ「椿姫」だと、聞き慣れているからはっきり感じてしまうのだ。
・・・で、ここから昨年2010年12月18日の堺シティオペラ「椿姫」公演の批評を書く。「音楽の友」に結構辛口の批評が掲載されたことに驚いた。私高本は「大阪のオペラ」を聴いたのは生まれて初めてなので、事情は断言できないのであるが、これまで聴いた「大阪のオーケストラ演奏会」から推測すると、『東京のオケ > 大阪のオケ』と感じている。(過去形ではないよ)
その中で、2010.12.18「椿姫」は抜群に良い演奏だったので、「音楽の友」批評の手厳しさには驚いた次第である。
関西だけでなく、関東にも「市民オペラ」は数多くある。私高本も相当数聴いた。「藤沢市」「荒川区」「大田区」「横須賀市」「朝霞市&和光市」などが有名。どの団体も熱意あふれる演奏を毎年のように上演してくれる。ありがたい限りだ。
・・・で、「堺シティオペラ」の水準なのだが、聴いて驚いた。
「関東の市民オペラ」を遙かに凌駕した卓越した演奏水準だったから
である。ソリストの演奏水準も、オケも、合唱も。
「ソリスト」については、疑問を感じる方も多いだろう。関東の市民オペラの方が「有名ソリスト」を起用することが多いからだ。だが、有名ソリストもオケや合唱の音程に引きずられてボロボロの演奏になることがある。(というか大半である)
堺シティオペラ「椿姫」で信じられなかったことは
市民オペラで「音程」がここまで維持できるの???
であった。種明かしをしよう。第2幕で「合唱団員が音程を取れない地獄のような曲」が来る。関東の市民オペラは全滅した箇所。堺市民オペラは、ソリストの声だけが響いて来る。ん? 本当にヴェルディが書いたの? と思って帰宅後調べてみると、ヴェルディ自身も不安におもったのか、ソリストもサポートするように作曲している!!
堺シティオペラのオケは8型。本日聴いた読響は14型。予算が無かったことは明らか。「エヴァ・メイ招聘の読響」と同等にカネを支払うことは(市民オペラでは)基本的に無理なのだ。与えられた条件の中で、菊池彦典の指揮は、3回テープ録音をスピーカから流したこと以外は素晴らしかったと感じる。「ヴィオレッタを中心とするソリスト陣を引き立たせる棒」に徹していたからだ。
(追加分は近日中に書きます)