Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

2012.03.06小倉貴久子「モーツァルトのある部屋」第1回昼公演批評 前編(No.2020)

2012-03-20 17:53:39 | 批評
 小倉貴久子の新シリーズ「モーツァルトのある部屋」を聴いた。

「大演奏家=小倉貴久子が天へ向けて羽ばたく瞬間」を聴いた!


と感じた。私高本は「猫頭評論家」なので、これから書くことが正しいか? 正しくないか? は、読者の皆様が(今後の 小倉貴久子 の活躍をも含めて)決めることである。外していたら「お笑い」、まさに「風車に突進するドン・キホーテ」である。笑ってやって下さい(爆
 まず最初に決然と述べる。

  1. モーツァルトは「詳細批評」
  2. コジェルフは完全な「印象批評」

である。「コジェルフをナマで聴いた」のは、この日が初めてだからなあ(爆


 私高本が「小倉貴久子」を批評で取り上げるのは、約10年ぶりである。ヨーロッパ留学で、ブルージュ国際古楽コンクール の「アンサンブル部門」と「フォルテピアノ部門」でそれぞれ「第1位優勝」の栄冠に輝き、帰国して「デビューCD」発売前後にいろいろと聴かせて頂き、その活躍を紹介していたのだが、その後『私高本側の都合 = モダンピアノの「川上敦子のモーツァルトピアノソナタ全曲演奏会」実施』に伴い、「古楽器演奏によるモーツァルト」への興味が大いに減じたことが原因である。「川上敦子のモーツァルトソナタ全曲」は完遂したのだが、直後に「家業の社長業引継ぎ」のために演奏活動から川上敦子が手を引いてしまったことは、私高本の心の痛手となり「モーツァルトのピアノ曲演奏会」は、つい先日まで敬遠していた。(← 本当)

偉大なラフマニノフ弾きピアニスト = 上野優子 が、「日本モーツァルト協会2012年4月例会」でソナタを4曲弾く! と言うので、日本モーツァルト協会入会したのが2011年夏


であった。「上野優子のモーツァルト」は私高本の感性とは違うのだが、「上野優子のピアニズム」の魅力は大きい。大枚4万円をツッコんで入会した。「全10回のラインナップ」も魅力あったし。
 ・・・で、「小倉貴久子のモーツァルト」が年度(2011-2012シーズン)にあったのだ。「ピアノソロ」でなく「室内楽」でもなく「協奏曲」なのだが「ピアノ協奏曲の室内楽版」であった。演奏会を聴いた。2011年10月20日のことだった。

2011.10.20に聴いた小倉貴久子は「約10年前に聴いた小倉貴久子とは別人かのように説得力があった」が違和感が残った


が実感。大晦日まで悶絶して「批評が書けるかな?」と思ったが、結局書けなかった。全ては「私高本の猫頭」が原因である(泣
 「演奏は素晴らしかった」のだが、『喉に小魚の小骨が刺さった』ような感触だった。「モーツァルトのある部屋 : 第1回」を聴いた後ならば、その「違和感」を詳細批評できる。


 「音楽」は正直なモノである。耳を澄ませば聴こえて来る。この約10年の間、「全く 小倉貴久子 を聴かなかった」ワケでは無い。『メンデルスゾーンのヴァイオリンソナタのCD』『ショパンの協奏曲やソロ』も購入して聴いて素晴らしい演奏と感じた。だが、「帰国後のCDデビュー当時の勢い」を越える演奏には聴こえなかったし、最も重要なこととして

小倉貴久子が「最も演奏したい演奏家 ≠ メンデルスゾーン & ショパン」だと感じた


 勿論、相当に高い水準で演奏しているのだが。この辺りは「佐伯周子のシューベルト」なども気配を感じてほしい。(私高本の文章力が無いから無理かも知れない。何せ「猫頭ヒョーロンカ」だからなあ)


 2011年10月に感じた違和感は以下の通り。

  1. 「音」が会場(東京文化会館小ホール)に「飛んで来ない」。遠い!


  2. 「エルデーディ弦楽四重奏曲」の構成を壊してまでも、桐山建志をヴァイオリンに起用したのか?(エルデーディ弦楽四重奏団ではヴィオラを弾いている!)


  3. 「フォルテピアノの細やかなニュアンス」は伝わって来ない



である。特に「エルデーディ弦楽四重奏団の構成」を破壊してまでのパート指示には「小倉貴久子の強い意欲」を感じた次第である。
コメント
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