ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

君たちはどう生きるか @ イオンシネマ久御山

2023-08-23 23:29:51 | 映画感想
インコは人を食うのか。こえぇぇぇ。

聞くところによると、観た人の感想は真っ二つに分かれるらしい。
「とても面白かった、ぜひ観て」派

「意味がわからない、見る必要無し」派

曰く、宮崎駿の脳内にある事をそのまま映画にしたのだとか?

それを聞いて儂はめちゃめちゃシュールな脈絡のない観客置き去りの映画を想像していたのだけれど。。。
実際に観たら別にフツーに話は展開するし、しっかりジブリ映画だし、丸く収まるし。
いつも通りの宮崎駿やん!というのが儂の感想。

意味がわからない、といえば意味がわからない。
いや、でもさ、そんな事言ったら今までのジブリ映画なんて半分以上奇想天外の奇譚だらけだったじゃんね。
トトロ然り、千尋然り、もののけ然り、ぽんぽこ然り、ポニョもハウルもポルコもだ。
ファンタジーでしょう?違う?

まぁ、何かの意味を見出すことはできる。宮崎駿アニメになんらかの重いメッセージ性を求めたがるのもわからないではない。だって、ナウシカとかで始まったわけやん(えパンダコパンダは?カリオストロは?)。前の風立ちぬとかもあったし、今回だってなんと言っても「君たちはどう生きるか」だし。
いや、何かの意味を求めることは別に悪いことじゃない。
でも、その意味は(例えば監督や原作者やプロデューサーみたいな人らが特に言わない限りは)見た人の主観で後付けしたものに過ぎないのであって、いかにもな感想を言ったところで、製作者の意図と違うなんて事は当然にあるのだから、そんなもんにこだわるのはナンセンスだよね。

とかなんとか言い乍ら、儂もナンセンスなこだわりの感想文を書くわけですよ(爆)



んと、結論から言っちゃうと、わかりやすい「少年の成長譚」、もう少し具体的に言えば、継母を受け入れ実母の喪失を受け入れるための一連のお話、だと思ったのだけど。。。
「意味がわからない」という人がいる、というのを聞くと、えっそうじゃないの?儂表面だけしか観てない?とちょっと不安になるな。

もしも、一番意味がわからないのは何?と聞かれたら、儂にとっては主人公の真人だ。
アオサギが喋って、中から顔が出て、カエルに全身包まれても、、、動じないの。
塔の中で不思議な出来事に色々遭遇したのに、、、動じないの。
多分小学生くらいの設定だと思うのだけれど、腹が座っている。いや、座りすぎなんですけれど?
母親を病院の火災で亡くした時の狼狽以降、取り乱すことがない、という設定なのかしらん?

唯一、封切り前の宣伝ビジュアルで出てきたアオサギは先導役だよね。
鼻がさ。。。あぁ、これは猿田彦なのだな、と思った。
「あばよ友達」ってセリフはなんか、いかにもだけれどちょっとカワイイと思ったな。

まっくろくろすけ、コダマ、そしてワラワラ。
今までで一番媚びた感じの可愛さ全開。
でも、あれが人の魂という設定か。

ほんで儂にとっての1番の謎。
キリコさんはキリコさんと同一人物?
もしもそうだとしたら、ばぁやのキリコさんは本当は全てを知っているの?
わからぬ。

ガザ-素顔の日常 @ エージェンシーアシスト(SOCIAL GIFT THEATER)

2023-08-23 19:43:05 | 映画感想
ガザって馬が結構闊歩してるのね。🐴

基本的にはイスラエルと絶えず紛争状態にあるガザの、儂らとさほど変わらない日常のあれこれの様子を映し出す映画、という事なのだと思う。
けど、やっぱりどうしても紛争の影を見ずにはいられない。
いや、影という言い方はおかしいかな。それは隠されているわけでもなく、日常の一部でもあるのだから。

映画の後の感想共有の場で言ってたのだけれど、この映画が切り取る日常を見るだけでもやっぱり多少の知識が欲しくなる。
例えば、イスラエルとパレスチナがなんで敵対しているのか?その過程の中で何故ガザがこういう状態にあるのか?イスラム教はどういう宗教か。第二次大戦以降の中東情勢どころか、本当は数千年前からの話を知らなければ、ちゃんと理解することはできないのだろう。残念ながら映画の中で何か丁寧な説明があるわけじゃぁない(っつーか、それやっていたらそれだけで一大大河映画の出来上がりだ)。
もちろん予備知識なしで観ても構わないし、その上で色々疑問が湧いて興味関心に繋がるという事だってあるだろうからそれはそれで意味のあることだ。
だけど、先に知識があるのとないのでは理解に大きく差ができてしまいそう。それはちょっと勿体無いと思うのだな。(←勿体無い人)



さて、本題。
ガザの日常は厳しい。多分それは正しい。
でも、この映画が伝えたいのはそれでもそこに暮らす人たちの(儂らとさして変わらない)日常があり、そこでは(儂らとさして変わらない)笑顔にあふれる瞬間があり、普通に(儂らとさして変わらない)娯楽があり、そこの子どもたちは(儂らの子どもたちとさして変わらない、、、)遊び回っている(ように見える)。

儂らは戦時下(もちろん、厳密に言えばパレスチナは戦争をしているわけではないけれど。いや、むしろ戦争よりも酷い状況と言えなくもないけれど)にそんな日常があるというイメージをあまり持っていないのではないか?
そういえば、アニメ映画の「この世界の片隅で」は大戦中の庶民の日常を描いて見せていた。
ウクライナへのロシア侵攻では少なからず戦時下での人々のリアルタイムな普通の日常のレポートも見ることができた。
おかげで、たとえ紛争地や戦争下であっても束の間の平穏な時間はあり、そこには鬱屈した暗いイメージとは対極の明るく元気な日常もある事を儂らは認識するようになった。それでもまだ、ガザにもその明るい空の下の日常があると知ればまた驚きを感じるのだ。

でも、それを見せることは一方で戦争(紛争)下の過酷な現実をより際立たせる事にもなるのだな、というのが映画を見た1番の感想かな。
子どもたちが屈託なく飛び込む海の少し沖で漁師がイスラエル海軍に捕まり、歌う客を乗せたタクシーは空爆の廃墟の隣を走り、仕事に勤しむ人々は日に4時間の電力供給の為の突然の停電に納期の遅れを心配する、街角の日常は突然の爆裂音で瞬時に怯えた景色に変わる。笑顔で走り回る少女が次の瞬間には血にまみれて倒れている。5分後に何が起こるかわからない屋根のない監獄で人々は神経をすり減らしながら生きている事を知る。

普通の日常を見せられれば見せられるほど、そことかけ離れた現実に気づいてしまうのだ。

確か赤い月のマークは赤新月社(赤十字と同じ)だったかな?救急隊員の彼のやるせなさが胸に突き刺さる。

若者たちは抑圧された憤懣を壁の向こう側への投石で多少なりとも晴らそうとする。でも、投石に対してイスラエル兵が投げ返すのは容赦ない実弾だ。イスラエル兵を1人殺せば報復として何百というパレスチナの普通の市民が殺される現実。
それでも若者は石を投げる。なげざるを得ないのだ。石を投げる行為の後に弾に倒れる若者たちを救急車で迎えにいく彼の虚しさをどれだけ想像できようか?

またその彼が言う
「パレスチナ人以外のすべての人をうらむ」
と。
刺さる。。。

「ユダヤ人」だけじゃない。
「イギリス人」というわけでもない。
「パレスチナ人以外」と言うのなら、当然儂ら日本人だってその対象だろう。例外はあり得ない。
その時までどこか遠いところの話という意識で見ていた儂らは唐突に当事者である事を突き付けられる。
そうなのだ。この現実を傍観している以上、儂らはパレスチナの人々に恨まれても仕方がない当事者なのだ。

当事者と呼ばれるに足りる程にパレスチナの事を知らない儂らは、その違和感に戸惑うけれど、その事に無関心であるという事を含めて当事者であると思えば、「平和ボケ」という謗りを受け入れざるを得ない。

知らない、では済まないのが世界だと、繰り返し繰り返し言っていこう。


こちらは久御山町にあるエージェンシーアシストさんのキレイな社屋♪