また性懲りも無く細田守作品を観に行ってしまった。
一番の疑問は、しのぶと合唱団の人たちはなんですずがBellだと知っていたのか?
ナイショだったのにね。
まぁ、そこはしのぶも合唱団の人たちもすずの本当の姿を見抜いているから、という理解で問題ないとは思うのだけれど。
毎度の事ながらファンタジー。
ファンタジーに現実を云々する愚をおかすわけですよ、これが。
そんな偶然かーい!そんなご都合主義かーい!みたいなところが幾分かあって1人心の中でツッコミつつ見るぱたくん。
しかし、謎が明かされるその背景は。。。。。ファンタジーの言説の中に持ち込むにはあまりに空気感の異なる社会問題。わかるけれど辛い。辛いけど、まぁわかる。でもその部分だって偶然が重ならずに彼らの居場所がわからなかったら?と思うとぞっとする。ご都合主義ばんざーいである。
ただ、真面目な事を言えば、現実はこんな御都合主義で消化されて終わって良いものではないのにな、って事かな。
さて、この映画で特筆されるべき(というか、きっとは他の人もそう思っているだろうし公に言及もあるだろうけれど<記事とかレポとかインタビューとか全くチェックしてない)は仮想空間「U」の事かな。このモチーフはサマーウォーズの「OZ」だよね。あれを進化させたものと理解すれば良いか。
象徴的なのは鯨だ。
なんだろう?あの鯨は。
サマーウォーズでもバケモノの子でも出てきたな。
あの鯨が持っている意味をちゃんと消化出来ていない。バケモノの子では一郎彦の心の闇が具現化したものというわかりやすさがあったけどOZやUではそういうネガティブなものには見えない、っつーか、なんらかのモチーフとも思えない。思い過ごし?
もう1つ。
Uのアバターは生身の生体情報から作り出されたもので、複数持つ事は出来ない、との設定。
リアルに考えるとなかなかに怖い。
よりリアルに近づく拡張現実という夢は、夢をも現実にしてしまう時点で逃げ場がない。仮想現実での拡張されたリアルな自分という存在は私だけの世界ではないUの世界では別の自分にはなりえないのではないか。映画の中ではあくまでリアルな本人のプライバシーは守られている(からそれを暴かれる事を極度に嫌う)設定だけれど、果たして儂らはそんな世界(リアルな自意識と仮想世界での自己顕示欲を切り離す事で成り立つ世界)を許す事ができるのだろうか?
っていうか、しのぶも合唱団の人たちもわかってたんだから意味ないじゃん!
基本的に細田守作品はキライじゃない(むしろ好き)。
だけど、今回はなんだかちょっとだけモヤモヤする。
なんかよくわからないけれど、ファンタジーとして突き抜けた感がないというか、目新しさに欠けるというか。。。
(うまく言葉にできないので、そこらへんはちょっと保留。後々解消できたらまた書き換える)
あとどうしても言っておきたい事が1つ。
高知はずるい。
(思う壺、県庁おもてなし課の時と同じ)
一番の疑問は、しのぶと合唱団の人たちはなんですずがBellだと知っていたのか?
ナイショだったのにね。
まぁ、そこはしのぶも合唱団の人たちもすずの本当の姿を見抜いているから、という理解で問題ないとは思うのだけれど。
毎度の事ながらファンタジー。
ファンタジーに現実を云々する愚をおかすわけですよ、これが。
そんな偶然かーい!そんなご都合主義かーい!みたいなところが幾分かあって1人心の中でツッコミつつ見るぱたくん。
しかし、謎が明かされるその背景は。。。。。ファンタジーの言説の中に持ち込むにはあまりに空気感の異なる社会問題。わかるけれど辛い。辛いけど、まぁわかる。でもその部分だって偶然が重ならずに彼らの居場所がわからなかったら?と思うとぞっとする。ご都合主義ばんざーいである。
ただ、真面目な事を言えば、現実はこんな御都合主義で消化されて終わって良いものではないのにな、って事かな。
さて、この映画で特筆されるべき(というか、きっとは他の人もそう思っているだろうし公に言及もあるだろうけれど<記事とかレポとかインタビューとか全くチェックしてない)は仮想空間「U」の事かな。このモチーフはサマーウォーズの「OZ」だよね。あれを進化させたものと理解すれば良いか。
象徴的なのは鯨だ。
なんだろう?あの鯨は。
サマーウォーズでもバケモノの子でも出てきたな。
あの鯨が持っている意味をちゃんと消化出来ていない。バケモノの子では一郎彦の心の闇が具現化したものというわかりやすさがあったけどOZやUではそういうネガティブなものには見えない、っつーか、なんらかのモチーフとも思えない。思い過ごし?
もう1つ。
Uのアバターは生身の生体情報から作り出されたもので、複数持つ事は出来ない、との設定。
リアルに考えるとなかなかに怖い。
よりリアルに近づく拡張現実という夢は、夢をも現実にしてしまう時点で逃げ場がない。仮想現実での拡張されたリアルな自分という存在は私だけの世界ではないUの世界では別の自分にはなりえないのではないか。映画の中ではあくまでリアルな本人のプライバシーは守られている(からそれを暴かれる事を極度に嫌う)設定だけれど、果たして儂らはそんな世界(リアルな自意識と仮想世界での自己顕示欲を切り離す事で成り立つ世界)を許す事ができるのだろうか?
っていうか、しのぶも合唱団の人たちもわかってたんだから意味ないじゃん!
基本的に細田守作品はキライじゃない(むしろ好き)。
だけど、今回はなんだかちょっとだけモヤモヤする。
なんかよくわからないけれど、ファンタジーとして突き抜けた感がないというか、目新しさに欠けるというか。。。
(うまく言葉にできないので、そこらへんはちょっと保留。後々解消できたらまた書き換える)
あとどうしても言っておきたい事が1つ。
高知はずるい。
(思う壺、県庁おもてなし課の時と同じ)