パンダ イン・マイ・ライフ

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音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

やがて消えゆく我が身なら

2020-09-13 | book
1947年、昭和22年生まれの池田清彦(キーヨ)の人生・生活ウオッチエッセイ「やがて消えゆく我が身なら」を読んだ。2005年平成17年に初出。昆虫学者で、テレビの「さんまのほんまでっか」に出演している。

国の借金は限界を超え、国民の差はますます開き、八方ふさがりの中、少しでも元気をと書かれた30の人生論。2002年から2004年まで月刊誌に連載された。

人は死ぬ、人生を流れる時間、がん検診は受けない、親はあっても子は育つ、人はなぜ怒るのか、未来のことはわからない、人はどこまで運命に抗えるか、自殺したくなったら、強者の寛容について、病気は待ってくれない、働くということ、親の死に目、老いらくの恋、子どもと付き合う、今日一日の楽しみ、グローバリーゼーションの行方、趣味に生きる、アモク・シンドローム、食べる楽しみ、不治の病を予測する、自然保全は気分である、人間を変える、老いの楽しみ、病気は人類の友なのか、プライバシーと裁判員制度、自己責任とは何か、「氏」と「育ち」、明るく滅びるということ、身も蓋もない話、ぐずぐず生きる。
この題名を見ても、どの項目から見ても楽しみな一冊。

我々の人生が面白いのは、いつか染むことを我々自身がしっているからに他ならない
老化とともに体感時間はさらに加速する。体感時間の長さは想起できる記憶の量に比例している
中年になれば初めての経験は少年期や青年期に比して減って来る。人生を流れる時間は徐々に加速して来る
40、不惑を過ぎると健康診断ですべてOKという人は少数派。医者や医療資本にとって最悪なのは一粒で病気が完全に治ってしまう薬が発明されることだ。
80歳を過ぎた老人の手術に疑問。中年になれば少々異常がある方が正常。人は体の異常を見つけるために生きているわけではない。早期発見、早期治療をしても死亡率には差がない。がんの集団検診は体にも心にも悪い
ほとんど子供は人並みの才能しかもっていない。全ても子供に個性をという愚にもつかない悪い思い込みを子供に押し付けるな
お客様に理不尽なことを言われてにこにこ笑っていられるのは、人間にしかできない芸当だ。理性が情動を抑えているからだ。
ある程度の年齢以上の人の体は徐々に衰えていくことはあっても、徐々に元気になることはない。

人生を一歩引いてわが道を行く。永遠のリバタリアン、「仕方ないか」のキーヨ節が冴える。
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