佐賀市に住む96歳の作家,というか物書き草市潤のずっこけそこない話を読んだ。新聞書評から。何気ない毎日の日記を綴る。2014年11月刊行。
朝,6時に起き,8時に万年筆を握り,せんべいをかじりながら机に向かう。家では手押し車の生活。数年前に妻は亡くなり,午後は,片道2時間かけて,ブリジストン製の前2輪,後ろ一輪の3輪車をこいで佐賀駅に向かう。雨なら行けない。買い物や本屋を訪ね,行き帰りには街並みや人,四季の移ろいなどと出会う。そんなことを題材に13年11月から14年6月までの日記だ。
100歳近くになっても,自分で食べ,排泄できることの素晴らしさ。そんな中で自分と向き合う時間を持ち,外に出て刺激をもらい,それを文にする。日々感謝の心にあふれ,温かいゆったりとした時間が流れる。何時まで生きながらえるかわからないが,こんな老境の境地がうらやましい。いつになればこんな境地になるのか。努力すればできるのだろうか。
朝,6時に起き,8時に万年筆を握り,せんべいをかじりながら机に向かう。家では手押し車の生活。数年前に妻は亡くなり,午後は,片道2時間かけて,ブリジストン製の前2輪,後ろ一輪の3輪車をこいで佐賀駅に向かう。雨なら行けない。買い物や本屋を訪ね,行き帰りには街並みや人,四季の移ろいなどと出会う。そんなことを題材に13年11月から14年6月までの日記だ。
100歳近くになっても,自分で食べ,排泄できることの素晴らしさ。そんな中で自分と向き合う時間を持ち,外に出て刺激をもらい,それを文にする。日々感謝の心にあふれ,温かいゆったりとした時間が流れる。何時まで生きながらえるかわからないが,こんな老境の境地がうらやましい。いつになればこんな境地になるのか。努力すればできるのだろうか。