パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

百人一首の世界

2024-07-14 | book
還暦を過ぎ、定年退職後の再就職も終わり、毎日が日曜日となり、家の断捨離を始めた。手始めに、これまで買い揃えた本を処分することにした。明らかに残す本、処分する本を分け、残ったのが判断に迷う本だ。その中に「小倉百人一首解釈の基礎」があった。発行日は昭和48年11月。昭和48年1973は高校1年の時だ。出身校では、1年と2年の夏に30、冬に20、計100首覚えて、休み明けに試験があった。赤点ラインは忘れたが、とにかく暗記問題だった。多分、そのために購入したのではないかと思われる。その思い出深き事件を忘れ難く、手元に残っていたのだろう。

選者の藤原定家(ふじわら の さだいえ/ていか)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・歌人だ。つまり、貴族政治から武家政治へ、承久の乱という大きな事件も目の当たりにした。

断捨離とは逆の行為とは知りつつも、おせいさん、昭和3年(1928)生まれ、令和元年(2019)に亡くなった作家、田辺聖子の「田辺 聖子の小倉百人一首」を買った。1989年平成元年に刊行。文庫版で平成3年初版、令和5年37版だ。歌の解説は他に任せ、歌人のことや来歴、エピソードを中心にした。つまり、おもしろさを原点にしたものだ。高校の時のガイド本とは真逆の本ということになる。1日1首もよかろう。
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トキワ荘の遺伝子

2024-07-07 | book
北見けんいちは、1940年昭和15年満州生まれの漫画家。1979年40歳前に「釣りバカ日誌」画として連載開始。連載中だ。
その北見の「北見けんいちは、1940年昭和15年満州生まれの漫画家。1979年40歳前に「釣りバカ日誌」画として連載開始。連載中だ。
その北見の「トキワ荘の遺伝子~北見けんいちが語る巨匠たちの横顔~」を読んだ。2024年3月刊行。インタビュー形式なので、読みやすい。

満州で敗戦。その引き上げのすさまじさ、敗戦後、消息不明の父の帰還。多くの日本人が経験した戦争体験が語られる。高校生活、就職、写真館経営、そして、自信作を持参した小学館での編集者との出会い。漫画家としての歩み。重なる偶然とはいえ、その歩みには信念が常にあった。

赤塚不二夫のアシスタントとしてトキワ荘の知名人と交友を深める。
赤塚不二夫(1935~2008)
高井研一郎(1937~2016)
古谷三敏(1937~2016)BARレモンハート 大人買いした
藤子不二雄 藤本弘(1933~1996)安孫子素雄(1934~2022)
石森章太郎(1938~1998) サイボーグ009 大人買いした
つのだじろう(1936~)
さいとう・たかお(1936~2021)
ちばてつや(1939~)紫電改のタカ あしたのジョー 大人買い。弟のちばあきおのキャプテンを大人買い
各社の編集者たち
やまざき十三、林洋一郎など。

少し年上の諸先輩。漫画家としての畏敬。皆さんの破天荒な生き様。ほとんどの皆さんが鬼籍に。敗戦後の昭和の激動期を漫画に生きた証を語る。

漫画は、たまに貸本屋で読むことしかできなかった世代としては、月刊、週刊の高価な漫画雑誌を読みたい、読むことのできないジレンマを今でも忘れることができない。だから、貸本屋の薄暗い棚に並んだ紙とインキの香りを忘れることができないのだ。
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小林一茶

2024-06-23 | book
1954年生まれの俳人、長谷川櫂の「小林一茶」を読んだ。2024年令和6年1月発行。文庫の古典新訳コレクション。2016年6月に刊行された「池澤夏樹個人編集 日本文学全集12」からの収録だ。
年代順に百句を並べる。この百句は1980年生まれの一茶研究者、大谷弘至の選んだ百句をもとにしている。

本書の長谷川の一大定義が、俳句の大衆化は一茶から始まったとすることだ。江戸時代初期の芭蕉は、古典主義の復興、つまり王朝、中世の古典文学をちりばめている。そして、次の蕪村も古典を下敷きにしており、古典を知らなければ蕪村の俳句は味わえない。
一茶の俳句は、古典を知らなくてもわかる、つまりだれにでもわかる俳句だ。文化文政時代という時代の中で出現した大衆社会の申し子が一茶だった。

一茶がいかに自分の心を表現するのに長けていたか。一茶の句の特徴を「のびやかさ」「わかりやすさ」「日常語の深み」という。明治以降、近代化、西洋化という名のもとに、西洋の美術用語正を用いた正岡子規の「写生」、描く対象を目の前に限らせる高浜虚子の「客観写生」。目の前のものを写しさえすれば俳句になる、そして目の前にないものは写してはならないという悪しき風潮が始まる。虚子は心の世界を俳句に取り戻そうと「花鳥諷詠」を唱えたが、対象は花鳥に限られてしまった。しかし、これらの四文字熟語は多くの弟子たちを束ねる標語の役割を果たした。大衆は自由を欲しているように見えて、自由を恐れている。

俳句の歴史を、芭蕉、蕪村を古典主義俳句、一茶からを近代大衆俳句とする長谷川の考え。
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山本一力 たすけ鍼

2024-06-16 | 山本一力
たすけ鍼
著者は山本一力。2008年平成20年1月1刷。年4回の季刊誌2004年から2007年にかけて連載されていた。現在、続編が刊行されている。
山本得意の江戸深川が舞台。蛤町の鍼灸師、還暦を迎えた染石(せんこく)が活躍する時代小説。妻は深川の辰巳芸者、年上の太郎。幼馴染で隣に宿を構える町医者が、昭年(しょうねん)。

鰹節問屋、焼津屋の得意先招待の大川遊びの弁当が元で21人の食中毒が出る。染石の弟子の最年長の15歳の父、大工の芳三が、検校から金を借りた。
染石の娘いまりは母と同じ辰巳芸者だ。その同僚から、染石に治療を頼まれる。そこで芸者衆から馴染みの醤油問屋野田屋の息子30歳の与一郎から父をみてほしいと頼まれる。
深川の富岡八幡宮の参道にある大店の米問屋野島屋仁左衛門からは10歳の息子陽太郎を見て欲しいと頼まれる。その帰り、野島屋の手代、草次郎に送られた染石は、匕首を持つ3人の男に襲われる。その一人は匕首の柄に銀細工の龍の彫り物を埋め込んでいた。その彫り物によく似た飾りのキセルを野田屋の頭取番頭、善之助が持っていた。
野島屋仁左衛門と染石の縁が深まる後半。仁左衛門は染石に子ども達に鍼灸を教える稽古場の支援を申し出る。
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山本一力 銀しゃり

2024-06-09 | 山本一力
山本一力の「銀しゃり」を読んだ。2007年平成19年6月刊行。季刊誌に2002年から2005年にかけて連載されていた。

山本得意の江戸の深川が舞台。27歳の鮓職人、新吉が独り立ちし、店を構えた。棄捐令での不景気が押し寄せる。その新吉の成長を、山本得意の捨てる人あらば、拾う人あり、人生万事塞翁が馬的な、ハラハラドキドキの痛快篇だ。

同い年の魚の棒手振の順平、旗本家来の小西秋之助55歳、順平の妹のおけい19歳、秋之助の下男新兵衛、竹屋の棟梁竹蔵、柳橋の船宿の料理人おきょう。
秋之助と懇志の屋台蕎麦屋の孝蔵、新吉が思いを寄せる、7歳の杉作の母親おあき、おあきの夫で杉作の父、仕舞い屋の与助。

さまざまな出来事が起き、登場人物が絡んでいく。そして、新吉を巻き込んでいく。
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