強風吹き止まず。きのうの夜からのはずだが、冷たい北風。
でも不思議と、気温は15℃くらい。富山地方気象台のアメダス、ほとんど定時気温、15℃。
恒温状態だけど、風がきついと体感はまったく異なる。天然の扇風機が強で回転しているような
もので、外に立っているだけでかなりの体温が奪われる。これだけ風が厳しいと、うかっとして
風邪引くことはないだろうが、薄着で出たまま、強風下でそこにいないといけない場合など
さぞかし厳しいだろう。
人は毎日毎日、新しい自分を生きているので、むかしの経験というものもある程度参考にはなるが
今それが通用するかというと、そうゆうことはなくなる。小さい子供であって、大人になる。そうゆう
場合はこれは力も、耐久性も、我慢強さも強くなる一方だろうが。人はどのくらいから老化が
始まるか、悩ましい問題だが、昔から20才を過ぎるともう老化は始まっているといわれた。
昔といっても、たとえば昭和の40年代とか50年代である。昭和は64年まで続いた。さっきまで昭和
という時期がしばらくあったが、同じ年に平成になって、この年号はあまり使わないというか、
ピリッと来ないものがある。昭和64年が、平成元年だということさえ覚えていれば、なんとか
なるという気もしたが、でも昭和も随分と遠くなるような気がしてきた。
歳とったという話だが、実に奇妙というか納得出来ない問題が、長生きはしたいはみな共通の
願望だろうけど、同時に並行して、老化が始まり、一生が50年だったころとはかなり違うが、
結局いくつかの病気なりを抱えていて、50になり、60になる。さらに70、80、90、100、といくか
というと、それはないようで、早い人はこれまた天命としかいいようないが、夭逝される方もいる。
私の時代だと、心臓病でなくなる方が多かったようだ。
私は結構な年齢になったが、もうかなり昔に、たとえば学校の同級生という人が、亡くなる
という、つまり喪中のハガキをもらっている。で、驚くことに、年齢を若くいっていたようで、
同い年かと思っていた方が、4つも上だったりもした。それでも50代前半である。そうゆう気配と
いうものはなかなかわからないが、あるとき、やはり突然の訃報を聞く。
こうゆう現実があることを、過去に何度も思い出した。反芻するのである。小学生のころ
その気配はまったくなかった同級生が、私が転校して、すぐか1、2年して、亡くなられたということも
聞いた。さすがに子供ながらに驚いたものである。何しろ一緒に遊んでいて、病気があるとは
知らなかったからだ。もっとも、そうゆうことは忘れるものでもある。
ただ救いというのは、そんなものはないかな、人は自分の死を知ることが出来ない。それは自分以外の
誰かだけが知ることになる。
しかし、だんだんと年齢を重ねて、毎年毎年、残念ながら身体の衰えを隠せなくなる。はっきりと
自分自身で認識できる、という事実。これを受け止めるということは、先が見えている、ということに
等しいわけである。
もう少し何とかならないか。あるいは生きている今を充実させることが出来ないか。これが
だめなんだな。
超高齢化も進んでいる。私の両親の場合、
先に父が亡くなって、その4年後に母が亡くなった。どちらも、どうゆうわけか認知症なる
ものを発症。父の、そして母の兄弟に、それはしかしないようである。もっとも、年齢でゆくと
長く生きたほうに入るかも知れない。それにしても、何故という気はする。この認知症。
わかりやすくいえば、痴呆状態。ある場合は極度の興奮状態にもなる。母の場合は、
父が亡くなる前から、すでに時間とか場所とかという認識が曖昧にもなっていて、でも
決定的なのは、父の死であったように思う。これは衝撃的であったようだ。一緒に何度も
見舞いにゆき、どう見ても今日が最後という日も行った。
植物は、生長する。結構長く生きるものがある。樹齢何百年。それはそれでいいが、やはり枯れる
ものは枯れる。新しい生命が、でもそこにはもうすでに生まれている。
動物も成長するが、やたら数が増えると、これは共倒れにもなる。安定した個体数を保つというのが
特に動物の場合はいいようだ。まー人に害を与えるときもあるが、一般的には、生き物は
人の命を支えている。
ある一定のレベルを保つことが、大切なような気がするが、変わらず、経済は右肩上がりでないと
いけないとお考えの政治家は世界中にも多い。でもそうはいかないんだな。方向転換しないと
いけない。そこに落ち着かないと、結局起こるのは摩擦であり、高揚すれば、それが戦争を引き
起こす。
こうゆう文章に何故なるか自分でもはっきりしないが、散髪したからかな。さっぱりしたが、
毛の量は多かった。後ろだけあるだけだが。
静かに立山連峰。そのうち、真っ白になる。
その一。雲と一緒にというのは珍しい、と思う。
その二。
その三。
その四。薄っすらぼんやりだが、ここがまた格別。
その五。ちょうど頂上辺りの高さの雲だな。
その六。雲も面白いもの。
その七。
その八。
その九。
かなり冷たい風が吹いている。
天気、また回復が遅れるとか。
何でというところだが、これも冬を迎える準備になるというところ。
神妙になったのは意味はないと。
でも不思議と、気温は15℃くらい。富山地方気象台のアメダス、ほとんど定時気温、15℃。
恒温状態だけど、風がきついと体感はまったく異なる。天然の扇風機が強で回転しているような
もので、外に立っているだけでかなりの体温が奪われる。これだけ風が厳しいと、うかっとして
風邪引くことはないだろうが、薄着で出たまま、強風下でそこにいないといけない場合など
さぞかし厳しいだろう。
人は毎日毎日、新しい自分を生きているので、むかしの経験というものもある程度参考にはなるが
今それが通用するかというと、そうゆうことはなくなる。小さい子供であって、大人になる。そうゆう
場合はこれは力も、耐久性も、我慢強さも強くなる一方だろうが。人はどのくらいから老化が
始まるか、悩ましい問題だが、昔から20才を過ぎるともう老化は始まっているといわれた。
昔といっても、たとえば昭和の40年代とか50年代である。昭和は64年まで続いた。さっきまで昭和
という時期がしばらくあったが、同じ年に平成になって、この年号はあまり使わないというか、
ピリッと来ないものがある。昭和64年が、平成元年だということさえ覚えていれば、なんとか
なるという気もしたが、でも昭和も随分と遠くなるような気がしてきた。
歳とったという話だが、実に奇妙というか納得出来ない問題が、長生きはしたいはみな共通の
願望だろうけど、同時に並行して、老化が始まり、一生が50年だったころとはかなり違うが、
結局いくつかの病気なりを抱えていて、50になり、60になる。さらに70、80、90、100、といくか
というと、それはないようで、早い人はこれまた天命としかいいようないが、夭逝される方もいる。
私の時代だと、心臓病でなくなる方が多かったようだ。
私は結構な年齢になったが、もうかなり昔に、たとえば学校の同級生という人が、亡くなる
という、つまり喪中のハガキをもらっている。で、驚くことに、年齢を若くいっていたようで、
同い年かと思っていた方が、4つも上だったりもした。それでも50代前半である。そうゆう気配と
いうものはなかなかわからないが、あるとき、やはり突然の訃報を聞く。
こうゆう現実があることを、過去に何度も思い出した。反芻するのである。小学生のころ
その気配はまったくなかった同級生が、私が転校して、すぐか1、2年して、亡くなられたということも
聞いた。さすがに子供ながらに驚いたものである。何しろ一緒に遊んでいて、病気があるとは
知らなかったからだ。もっとも、そうゆうことは忘れるものでもある。
ただ救いというのは、そんなものはないかな、人は自分の死を知ることが出来ない。それは自分以外の
誰かだけが知ることになる。
しかし、だんだんと年齢を重ねて、毎年毎年、残念ながら身体の衰えを隠せなくなる。はっきりと
自分自身で認識できる、という事実。これを受け止めるということは、先が見えている、ということに
等しいわけである。
もう少し何とかならないか。あるいは生きている今を充実させることが出来ないか。これが
だめなんだな。
超高齢化も進んでいる。私の両親の場合、
先に父が亡くなって、その4年後に母が亡くなった。どちらも、どうゆうわけか認知症なる
ものを発症。父の、そして母の兄弟に、それはしかしないようである。もっとも、年齢でゆくと
長く生きたほうに入るかも知れない。それにしても、何故という気はする。この認知症。
わかりやすくいえば、痴呆状態。ある場合は極度の興奮状態にもなる。母の場合は、
父が亡くなる前から、すでに時間とか場所とかという認識が曖昧にもなっていて、でも
決定的なのは、父の死であったように思う。これは衝撃的であったようだ。一緒に何度も
見舞いにゆき、どう見ても今日が最後という日も行った。
植物は、生長する。結構長く生きるものがある。樹齢何百年。それはそれでいいが、やはり枯れる
ものは枯れる。新しい生命が、でもそこにはもうすでに生まれている。
動物も成長するが、やたら数が増えると、これは共倒れにもなる。安定した個体数を保つというのが
特に動物の場合はいいようだ。まー人に害を与えるときもあるが、一般的には、生き物は
人の命を支えている。
ある一定のレベルを保つことが、大切なような気がするが、変わらず、経済は右肩上がりでないと
いけないとお考えの政治家は世界中にも多い。でもそうはいかないんだな。方向転換しないと
いけない。そこに落ち着かないと、結局起こるのは摩擦であり、高揚すれば、それが戦争を引き
起こす。
こうゆう文章に何故なるか自分でもはっきりしないが、散髪したからかな。さっぱりしたが、
毛の量は多かった。後ろだけあるだけだが。
静かに立山連峰。そのうち、真っ白になる。
その一。雲と一緒にというのは珍しい、と思う。
その二。
その三。
その四。薄っすらぼんやりだが、ここがまた格別。
その五。ちょうど頂上辺りの高さの雲だな。
その六。雲も面白いもの。
その七。
その八。
その九。
かなり冷たい風が吹いている。
天気、また回復が遅れるとか。
何でというところだが、これも冬を迎える準備になるというところ。
神妙になったのは意味はないと。
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