光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

強風でちんまりの一日

2008-04-27 18:48:14 | 散策
  いつの間にそんな強い風になったのか、朝は、まだまだ穏やかだったが、それから一気に風が出て来て、飛ぶものは飛ぶ、薄いカーテンやら、ハンガにぶら下がっているものも、窓から外にはみ出て、窓を閉めようとすればその風の勢いは増すから、その着物も窓に挟まってしまう。よく、閉じられている窓から、カーテンだけが外に出て、ふわふわしている。窓ガラスはきちっと閉められている。そうゆう経験をすることがあって、慌てて、窓を開けて、しっかりとカーテンを中に入れて、それで安堵する。まったく、

  風邪でもないだろうが、朝から鼻詰まり。でも、鼻風邪というのもあるし、しかしいくらなんでももう花粉症は、特に杉のものはないだろう。頭痛もあるし、気分も今一つだし、暖かかったり、涼しかったり、思うようにいかない毎日が続くから、体もおかしくなっても、特に不思議はない。
  鼻詰まり、なんだか懐かしい、もう目の痒みはないし、でも喉の違和感は、やっぱりある。体があちこち痛い。これはしょうがないか。痛いなら痛いなりに、直してゆくしか方法はない。体を取り替えるわけにはいかない。よく、そうゆう自分を大切に、あるいはそうゆう自分であることにありがたく思う、などの言葉もあるようだが、なかなか自分の都合の悪いものをよしよしとする気にはなれないもんだ。
  それでも、長い間自分は自分であり続けた。そうゆう、格好なり考えなり、知識なり、その、つまり知識の反対のもので、生きて来たから、やっぱりこの体、いくら性能が悪いとか、うまく動かないとか、もう少しお利口ならなど、考えるものだが、愛着を覚える。いとおしくなる。もう一度生まれてくるなら、やっぱり今の感じでいいなど思ったりもするし、そうゆう考えでないと、こうありたいということが際限なく続いて、心の安寧もやって来ない。

  ただ風が強く、物が飛んで来て、花粉症のあるいは、鼻風邪の症状が出た、というところから、かなり、あるいは少し飛躍したようである。大体が、そうゆう風に思うことは思うが、最後はこれでいい、そうゆう風に完結する。4月であって、そういえば、4月病があった。皆さんは大丈夫だったでしょうか。これから、5月病が始まる。こちらの方が、本格的というか、重いものがある。より、身にしみるものが、目の前に山積する。あれあれ、これでは応援にもならない。これはいけない。余りに悲観過ぎるのもだめで、ほどほどであることが望まれる。自分にもそう言い聞かせて、それでこれからも、このややこしい時代を生き抜いていかないと、など思ったりもする。

  きのうの続き。どこにあるのか、わからない、川べりの風景。



  時間的に遅い時期遅れに感じる、菜の花。風もあって、ふわふわ揺れている。水路の水の色は、お世辞にもいいとはいえない。




  バラと、提灯の取り合わせ。この白い花を下から見た人はいらっしゃるのだろうか。機械を使うと、出来そうだが。




  真っ赤なツツジの花があった。これはよく目立つが、そばに行かないとその正体はわからなかった。川は、用水だった、このもう少し向こう側にある。




  これは、もう用水からすこし離れてしまった。用水は道と分かれてゆく。このヤマブキ、風が強くて、きのうも強かった、それで、どうにかこんな感じになったが、やっぱり風で揺れているようで、取り上げてみました。

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