ほぼ快晴の空だが、朝よりははるかに霞むものが多いようである。
こんなに空ってすぐに「もやっ」とした感じになるのだろうか。というの疑問に、私が言う
のもおかしなものだが、その通りなのである。なかなか透き通った、きりりと引き締まった
空は続かない。そうゆうのを求めること自体が間違っている。
せいぜいクリーンルームという、ゴミを何でもシャットアウトした人工の閉所空間に行か
ないと、ゴミのない世界はありえない。あるいは人工衛星に乗せてもらって、ぽつんと
孤高の世界に行くしかない。これまた出来もしないことで、結局落ち着くところは
仕方ないということになる。それでも、きのうの午後遅くからは、ごみごみとした感じのない
空は広がった。
都会に住んでいたこともあった。その時代はバブルの前、周りが地上げされて、多くの
空地が出来上がってはいた。その横には戦後に建てられたずいぶんと古いいえ、いえ、いえ。
いえがびっしりと並んでいる。大きなマンションの工事も盛んに行なわれた。よく上から
物が落ちなかった、今頃感心している。あれから何年たったか。
その当時でも、公営住宅に入れたらと同じ会社の若い人と話はした。数は少ないが。でも
競争倍率は高い、宝くじで一億円当たるのと同じようにむつかしそうである。嘆いていても
仕方なく、高い家賃を払ってその人は住んでいた。もっとも東京の人で、いえはあった。
話をちょっと聞いていると、兄弟がいる。どうもこれでもめたようだ。マー昔のことだし
具体的なことはわからないまま。都会で生まれた人も大変だなと思ったものだが、
私も私で、結局短い時間しか、狭いところでの生活に耐えることは出来なかった。
最初は松戸に住んだ。ここはまだ当時、田舎の感じがあった。国道2号線が通っていて、
そうゆうところから少し離れると、はるか昔にいた大阪の田舎よりもひなびた感じがあって、
ここは今考えてみると非常によかった。これもその当事の話で、今はどうなっているか。
この常磐線とか千代田線が走る辺りはバブルのときにかなり開発、手当たり次第に住宅なり
マンションが建ったはずだが、バブル崩壊でその後にどうなったのかなー。
ということを書きたいのではなく、当事松戸辺りでも、特に冬は大変に空は暗く、よく会社から
の帰り、酔っ払ってもいたときも多いが、流れ星を見た。印象だが、回数は多かったと
思う。
流れ星というと、これは国立天文台の先生の話だと、毎日かなりの量の塵が地球の大気に
衝突してあるものは輝いて見えて、そうして消滅しているという。細かい、非常に細かい塵は、
それくらいにたくさんあるようで、これは驚きだった。結構宇宙といっていいと思うが
ものがふわふわと浮いているものだなー。
これ以外に、よく言われるのがスペース・デブリ。盛んに人工衛星が打ち上げられた。それが
いつまでも地球の周りを回っている。であるものは衝突し、あるものは壊れる。あるものは
落下を始める。他にも打ち上げのときに、すでに地球の軌道を回るゴミになるような
ものもあるのだろう。遠い月とか惑星などに行く人工衛星だと、軌道に乗るまでに
なかなか大変で、ロケットも何段にもなる。そうゆうものが切り離されて地球の周りを
回る。でも最後には落ちてくる。
国際宇宙ステーションが安全に宇宙を飛べるためには、そうゆうスペース・デブリの位置もみな
わかっていないといけない。こう考えると、やっぱりゴミがあっても地上がいいとなるが、
それにしても地球もずいぶんと黙って耐えているものだなー。
どこにも行くところがない。ここにいるしかない。そうゆうことになるが、一体にどうして
まったく考えていないこんな話が出てくるのか不思議だ。
先ほどそういえば今日使う肉を解凍してなかったと、冷凍場所をのぞいたらない。あれ、一昨日
冷蔵庫にいれた。私はマジシャンではない。これはおかしいか。マジックには種がある。
その下も冷凍になるのでそこを見るとあった。結局上にあったのが下に落ちたのだ。
何でも押し込むとこうゆうことになる。
きのうの午後遅くのきりりと引き締まる透明な空。
その一。地上の眺めもいい。
その二。夕日だが、真昼間の明るさ。
その三。
その四。このときは風はもうおさまっていた。たしか午後一度白いものが降ったと思うが
勘違いか。
その五。
その六。
その七。恐竜のミイラのような雲。
その八。圧巻。
その九。
その十。このまま晴れるといいが・・・。
その十一。夜景、すでに空は雲に覆われていた。晴れ渡ったのは夜中かな。それでも
雲が多かったから、夜の空に安寧を求めるのは無理か。
結構身体がきつい。
こんなに空ってすぐに「もやっ」とした感じになるのだろうか。というの疑問に、私が言う
のもおかしなものだが、その通りなのである。なかなか透き通った、きりりと引き締まった
空は続かない。そうゆうのを求めること自体が間違っている。
せいぜいクリーンルームという、ゴミを何でもシャットアウトした人工の閉所空間に行か
ないと、ゴミのない世界はありえない。あるいは人工衛星に乗せてもらって、ぽつんと
孤高の世界に行くしかない。これまた出来もしないことで、結局落ち着くところは
仕方ないということになる。それでも、きのうの午後遅くからは、ごみごみとした感じのない
空は広がった。
都会に住んでいたこともあった。その時代はバブルの前、周りが地上げされて、多くの
空地が出来上がってはいた。その横には戦後に建てられたずいぶんと古いいえ、いえ、いえ。
いえがびっしりと並んでいる。大きなマンションの工事も盛んに行なわれた。よく上から
物が落ちなかった、今頃感心している。あれから何年たったか。
その当時でも、公営住宅に入れたらと同じ会社の若い人と話はした。数は少ないが。でも
競争倍率は高い、宝くじで一億円当たるのと同じようにむつかしそうである。嘆いていても
仕方なく、高い家賃を払ってその人は住んでいた。もっとも東京の人で、いえはあった。
話をちょっと聞いていると、兄弟がいる。どうもこれでもめたようだ。マー昔のことだし
具体的なことはわからないまま。都会で生まれた人も大変だなと思ったものだが、
私も私で、結局短い時間しか、狭いところでの生活に耐えることは出来なかった。
最初は松戸に住んだ。ここはまだ当時、田舎の感じがあった。国道2号線が通っていて、
そうゆうところから少し離れると、はるか昔にいた大阪の田舎よりもひなびた感じがあって、
ここは今考えてみると非常によかった。これもその当事の話で、今はどうなっているか。
この常磐線とか千代田線が走る辺りはバブルのときにかなり開発、手当たり次第に住宅なり
マンションが建ったはずだが、バブル崩壊でその後にどうなったのかなー。
ということを書きたいのではなく、当事松戸辺りでも、特に冬は大変に空は暗く、よく会社から
の帰り、酔っ払ってもいたときも多いが、流れ星を見た。印象だが、回数は多かったと
思う。
流れ星というと、これは国立天文台の先生の話だと、毎日かなりの量の塵が地球の大気に
衝突してあるものは輝いて見えて、そうして消滅しているという。細かい、非常に細かい塵は、
それくらいにたくさんあるようで、これは驚きだった。結構宇宙といっていいと思うが
ものがふわふわと浮いているものだなー。
これ以外に、よく言われるのがスペース・デブリ。盛んに人工衛星が打ち上げられた。それが
いつまでも地球の周りを回っている。であるものは衝突し、あるものは壊れる。あるものは
落下を始める。他にも打ち上げのときに、すでに地球の軌道を回るゴミになるような
ものもあるのだろう。遠い月とか惑星などに行く人工衛星だと、軌道に乗るまでに
なかなか大変で、ロケットも何段にもなる。そうゆうものが切り離されて地球の周りを
回る。でも最後には落ちてくる。
国際宇宙ステーションが安全に宇宙を飛べるためには、そうゆうスペース・デブリの位置もみな
わかっていないといけない。こう考えると、やっぱりゴミがあっても地上がいいとなるが、
それにしても地球もずいぶんと黙って耐えているものだなー。
どこにも行くところがない。ここにいるしかない。そうゆうことになるが、一体にどうして
まったく考えていないこんな話が出てくるのか不思議だ。
先ほどそういえば今日使う肉を解凍してなかったと、冷凍場所をのぞいたらない。あれ、一昨日
冷蔵庫にいれた。私はマジシャンではない。これはおかしいか。マジックには種がある。
その下も冷凍になるのでそこを見るとあった。結局上にあったのが下に落ちたのだ。
何でも押し込むとこうゆうことになる。
きのうの午後遅くのきりりと引き締まる透明な空。
その一。地上の眺めもいい。
その二。夕日だが、真昼間の明るさ。
その三。
その四。このときは風はもうおさまっていた。たしか午後一度白いものが降ったと思うが
勘違いか。
その五。
その六。
その七。恐竜のミイラのような雲。
その八。圧巻。
その九。
その十。このまま晴れるといいが・・・。
その十一。夜景、すでに空は雲に覆われていた。晴れ渡ったのは夜中かな。それでも
雲が多かったから、夜の空に安寧を求めるのは無理か。
結構身体がきつい。
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