きょうは天候は若干の異変があって、今はかなり涼しい風が吹いている。この風も、お昼ころから吹いていたが、夕刻が迫る今その風は増している。少し肌寒い感じもする。いいような感じだが、しかし雨が降らないと話しにならないようで、期待しているが、どうだろうか。
あまり掃除していないところというと、これはなぜかあまり「埃」もたたないというか、「ない」ような感じがある。そこは使われないところだったりもして、これも勘というしかないが、ものを置かないとそこにはゴミは、塵芥はたまらないと思う。そうゆうところを一つ空けておいて、観察すると、そこに滅多にゴミなどたまらないことがわかるようである。これの一つの理由に窓を開けないこととか、それからまずは出入りがない、などが考えられる。だとするとゴミも出ないし、綿ぼこりも出ないし、そうすると、掃除は結構楽で、このようなところは掃除の必要ないところということにもなる。
そうゆうところを、3日ぶりかに掃除をして、またそのことを、その事実を再確認する。ゴミというのは、大体人のいるところというか、バタバタするところに多いようで、ゴミを呼び込むのは人ということになりそうである。
しかしよく、もしも「うち」をしばらくあるいは長期間留守にするとなると、そのまま鍵をかけてほって置くかというと、人に貸して使ってもらった方がいいという考え方もある。あると思う。すると、そのいえを借りた人は大体丁寧に使うし、毎日掃除は欠かさないし、窓も開けて、空気を入れ電気も使うから、コンセントも状態に問題なく、その他ガスとかも使う。多少は傷んでゆくが2、3年使わないとなるよりいいということにもなりそうである。電気、水道、水回り、それに窓も換気もよく、そうゆう意味でいえの代謝はよろしく、ある程度老化はあるが、氷のように凍った状態ではない。何年も使われていないそうゆう「いえ」、というのに入ったことはないが、お化け屋敷のような感じもしないわけではないような感じである。
どうもどうゆう人がそのうちに住むかというので、いえの状態も変わってくる。それで、ここの場合だと人のいないところ、人の滅多に入らない空間はきれいなままである。それから、自分のいるところもそうだが、台所、居間、みな結構汚れていて、これも相当ひどい。だからいやでも掃除をする、かというとその気もなく、ある程度汚れたという時点でやる。ところどころやる、ときどきやる。それにしても汚れというか、埃、それと普段感じない細かい土など、塵、はひどいと思う。汚れだと、板、フローリングは顕著でたとえば何かをこぼして、あれれとなりティッシュペーパを出してそれも使い古しだが、いざ拭くと汚れの度合いがまったく違って、真っ黒である。よくこうゆうところに住めるな、何事も慣れるとどうにでもなるということか。
いくつかのものが、もうあふれるくらいになると、どこかへやらないといけない。新聞紙は来週というか、10日が回収日となって、重要なものもあるかも知れないが、もう包んでしばってある。まったくすべてを出すのも困るので、いくつかは残す。もう一回紙袋をしばればこれで大丈夫だが、忘れそうだ。
自分の机とか、近くのものだと、ほとんど捨てていいようだが、重要なものが紛れ込む可能性があって、すぐに捨てられない。移動する程度で、いくらかのものを箱に入れた。この箱も使い勝手というものがあって、なんでもいいというわけではない。相変わらず、屁理屈で頭をごまかしている。
ゴミはほとんどもののないところ、まったくの空間だけだとたまらない。人の出入りが激しいところにゴミは集積する。フローリングは真っ黒に近い。これはここの話しだが、ほとんどゴミのようで、しかし重要なものもありそうで、ものは簡単に捨てられないのは変わらない。少しだけ箱に詰めて平行移動はした。大体、こんなことを書いたようである。
何かがどっかへいったようだ、という悪夢が起こりませんように。
地上に露が、瓦にも露が降りた時間がきょうはあった。
タンポポの冠毛にも後からわかったが水滴が付いている。
そういえば、こうゆうものは過去にもあった。思い出したが、引っ込めるわけにもいかない。造形美というか、ミクロの世界に近い出来事。
これは、画像を見るという拡大の作業をやらないとわからないもの。
中央辺りにもちゃんと水滴はある。
一枚目のものよりも大きくしていて、これは水滴の微細さまでわかるという感じで。
上の3枚は、西洋タンポポ。そうゆうものだと思う。これはというと日本のタンポポであると思うもの。ちょっと冠毛の状態というか見え具合も違うようである。
スギナにも水滴。こうゆうものはしばらくの間は眺めていても「いい」と思える。しかしだんだん時間がたって、どれがいいかなどやっているとどうゆうわけか、半分くらい興味はなくなる。
画像の一部を上のものと同じく切り出している。あっさりとした感じにしたが、それゆえかもう一つ魅力に欠けるな、とも思えてくる。
あまり掃除していないところというと、これはなぜかあまり「埃」もたたないというか、「ない」ような感じがある。そこは使われないところだったりもして、これも勘というしかないが、ものを置かないとそこにはゴミは、塵芥はたまらないと思う。そうゆうところを一つ空けておいて、観察すると、そこに滅多にゴミなどたまらないことがわかるようである。これの一つの理由に窓を開けないこととか、それからまずは出入りがない、などが考えられる。だとするとゴミも出ないし、綿ぼこりも出ないし、そうすると、掃除は結構楽で、このようなところは掃除の必要ないところということにもなる。
そうゆうところを、3日ぶりかに掃除をして、またそのことを、その事実を再確認する。ゴミというのは、大体人のいるところというか、バタバタするところに多いようで、ゴミを呼び込むのは人ということになりそうである。
しかしよく、もしも「うち」をしばらくあるいは長期間留守にするとなると、そのまま鍵をかけてほって置くかというと、人に貸して使ってもらった方がいいという考え方もある。あると思う。すると、そのいえを借りた人は大体丁寧に使うし、毎日掃除は欠かさないし、窓も開けて、空気を入れ電気も使うから、コンセントも状態に問題なく、その他ガスとかも使う。多少は傷んでゆくが2、3年使わないとなるよりいいということにもなりそうである。電気、水道、水回り、それに窓も換気もよく、そうゆう意味でいえの代謝はよろしく、ある程度老化はあるが、氷のように凍った状態ではない。何年も使われていないそうゆう「いえ」、というのに入ったことはないが、お化け屋敷のような感じもしないわけではないような感じである。
どうもどうゆう人がそのうちに住むかというので、いえの状態も変わってくる。それで、ここの場合だと人のいないところ、人の滅多に入らない空間はきれいなままである。それから、自分のいるところもそうだが、台所、居間、みな結構汚れていて、これも相当ひどい。だからいやでも掃除をする、かというとその気もなく、ある程度汚れたという時点でやる。ところどころやる、ときどきやる。それにしても汚れというか、埃、それと普段感じない細かい土など、塵、はひどいと思う。汚れだと、板、フローリングは顕著でたとえば何かをこぼして、あれれとなりティッシュペーパを出してそれも使い古しだが、いざ拭くと汚れの度合いがまったく違って、真っ黒である。よくこうゆうところに住めるな、何事も慣れるとどうにでもなるということか。
いくつかのものが、もうあふれるくらいになると、どこかへやらないといけない。新聞紙は来週というか、10日が回収日となって、重要なものもあるかも知れないが、もう包んでしばってある。まったくすべてを出すのも困るので、いくつかは残す。もう一回紙袋をしばればこれで大丈夫だが、忘れそうだ。
自分の机とか、近くのものだと、ほとんど捨てていいようだが、重要なものが紛れ込む可能性があって、すぐに捨てられない。移動する程度で、いくらかのものを箱に入れた。この箱も使い勝手というものがあって、なんでもいいというわけではない。相変わらず、屁理屈で頭をごまかしている。
ゴミはほとんどもののないところ、まったくの空間だけだとたまらない。人の出入りが激しいところにゴミは集積する。フローリングは真っ黒に近い。これはここの話しだが、ほとんどゴミのようで、しかし重要なものもありそうで、ものは簡単に捨てられないのは変わらない。少しだけ箱に詰めて平行移動はした。大体、こんなことを書いたようである。
何かがどっかへいったようだ、という悪夢が起こりませんように。
地上に露が、瓦にも露が降りた時間がきょうはあった。
タンポポの冠毛にも後からわかったが水滴が付いている。
そういえば、こうゆうものは過去にもあった。思い出したが、引っ込めるわけにもいかない。造形美というか、ミクロの世界に近い出来事。
これは、画像を見るという拡大の作業をやらないとわからないもの。
中央辺りにもちゃんと水滴はある。
一枚目のものよりも大きくしていて、これは水滴の微細さまでわかるという感じで。
上の3枚は、西洋タンポポ。そうゆうものだと思う。これはというと日本のタンポポであると思うもの。ちょっと冠毛の状態というか見え具合も違うようである。
スギナにも水滴。こうゆうものはしばらくの間は眺めていても「いい」と思える。しかしだんだん時間がたって、どれがいいかなどやっているとどうゆうわけか、半分くらい興味はなくなる。
画像の一部を上のものと同じく切り出している。あっさりとした感じにしたが、それゆえかもう一つ魅力に欠けるな、とも思えてくる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます