光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

再び夏になるが、風がある。思い出すこと、あれこれ。

2016-08-11 14:07:05 | 散策
  毎日が雲の日。(朝は動くと、すぐに汗ばんだ)。


  割といい雲が出ているので、これで画像はなんとか。花は欲しいところだが、どうゆうわけか、あまり目に

  入って来ない。今でもアジサイはがんばって咲いている。サルスベリだけど、これは少し歩かないと。


  熱中症というと、一つはゲームがある。ゲームに熱中。ゲームにもいろいろで、野球盤が夏か誌い。

  懐かしい、は夏か志位、いろいろ出て来る。懐かしいもの、切り方がまずいのかな。

  これ、買ってもらったことを覚えている。よく買ってくれたなと今ごろ、思うが、親のありがたみは

  やはり死んでしまってよくわかる。どこにいったのかねー。


  熱中症というと、仕事もあるが、お勉強もあって、それ以外にマニアックなものもあって、なんとなく心配に

  なるものもある。しかし、熱中できるものがある、というのは幸せなことだ。いまはそれがない。


  ためしに入れた、Windows 10(Win 7を入れていた)。これがうまくない。動かなくはないが、ガタガタである。

  元に戻せるとあるので、戻せるものと思ったが、戻らない。同じではない。戻っても、どこかおかしい。

  なら仕方ない、SSDのデータを消去して、これも実はうまくはなかったかな。それでも、Win 7、のインス

  トールは始まるが、更新ファイルがまったく入らない。結局、1台、お釈迦にしてしまった。

  再挑戦する気力もないので、出来ることは、中身の分解くらいだが、これもボチボチでいいからやって、

  もとあった、箱に戻して、お飾りにしようなど思っていたが、やれない。物置になっている。

  罪深いものだな。お釈迦様は、しかしそうゆうことは言わないだろうが。


  今でも、Win 7をインストールしたPCは製品として売っている。ただ、これをまた買うということも、いまは

  できない。今でも、Win XPでがんばるPCがあるとか聞く。そうなのか。で、いまのところ、Winだと、OSで

  一番多いのは、Win 7だとか、たしか、毎日新聞(ウェブ版)で一回だけだが見た。

  そうだろうなー。もっと古いものも、限られたところでは、使われているようで、世間は広い。地球は大きい。

  人の考えは様々。神様も、いろいろ。


  リオ五輪で、金。さかんに出る。これはめでたい。ものすごく出ると、強い選手が出ていないからかなども思う。

  金は、異国の選手でも、写真で出ないか。よくわからないが。富山の新聞しか、見てない。全部は見てない。

  金の字が大きい。

  「新聞」に他の記事も出ていいはずだが、それが少ない。「TV」はもう言い様がない。


  東京、と聞くといまは五輪だが、オリンピック恐怖症、嫌悪症、イヤーだ、という人はいる。

  悪い夢でも見たのだろうか。でも東京にすんでいると、そうなるかもねー。

  お正月、もそうゆう感じ。大晦日とかも同じ。お盆も同じ。


  そういえば、夏は学生のころは、ここのむかしのいえに遊びに来ていた。TVはあった。しかし、見て

  いないと思う。

  むかしのいえは大きい。大きな畳の部屋に、机を置いてもらって、前の庭(いまの草むら)を見ながら、

  いくらか、文庫本の文字を、そのときは集中して読んでいた。でも1時間くらいか。酒は飲まなかった。

  で、昼寝である。祖父も祖母も昼寝。

  贅沢だな。しかし、楽しいことはごくごく少ないと思った。

  白いご飯を三回食べて、板っ切れ一枚張ってあるだけの、五右衛門風呂に入った。ちょと怖い。

  しかし、早いときは、3日くらいで、親の棲む家に帰った。


  大学で、正月も家に帰らず、過ごしたことは何回あるかな。食べるものもない。惨めだが、しかし、特に

  不自由はなかった。


  雲である。8月9日。



  その一。




  その二。




  その三。ホワイトバランスを変えた。




  その四。




  その五。





  その六。




  その七。きゅっと締まっている雲。




  その八。




  その九。




  その十。しかし、形も変わってゆく。

  
  こんな時代、だれが想像出来たか。



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