光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

曇り空程度の明るさ

2009-03-25 06:50:24 | 散策
  朝のお天気、曇り。まだ雨はなく、静かな曇り空。日の出の時刻も早く、メモするのにもう電灯はいらない。でもくせで、ボタンを押す。最近のはボタン、昔のはネジ。室温を書いて、朝の最初の用事は終了。朝のお天気は結局のところ、曇りで、風もほとんどない。アメダスの6時の気温、4.2℃、気圧は1011.2hPa、湿度は90%。乾いた感じは、そういえばない。室温は、10℃。眠い温度。

  いつものように、やかんを火にかける。その他、新聞を引っぱり出す。そこに置いておく。外の感触を味わうが、雲が厚く太陽の形もなく、ただ少し灰色の雲が青っぽい。水色に変わりだしている。
  色々同時進行している。今はパンが焼ける時間が問題だけど、しかし黒くなることはまだない。お茶も沸けば、シュポシュポいう、レンジの牛乳もチンという。他、包丁でリンゴを刻みながら、口に入れる。もたつく。噛み砕く力が、ない、か弱い。

  窓ら外を見る。ということは今の時間、あまりないが、しょわしけない行動だと思って、しばらく窓から外を見上げていると、空の色がより明るく、また透明にも近くなって、こうしていると、一瞬の心の安らぎも得られるかも知れない、と思える。空が灰色に見えるか、水色に見えるか、結構主観的だ。
  空が灰色でも、これもなかなかいいものだ。今どきのPCでも、TVでも、目立つことが主になっていて、見ていてどんな感じがするかまで、考えられてはいないようだ。主観的なものの見方だが、TVや、PCの広告としてはデータに基づいた、かなり客観的なものとして作られているのだろう。結果として、それがどう評価されるか、これはまた別物。
  かなり個人的なものの見方、片寄った見方、またなんでも反発する見方をしているが、ものを作る側の人の考えというのも、結構に自信があるようで、大したものだと思う。まーそれくらいの考えがないと、ものは推し進めていけはしない。

  薄い、灰色が水色にも、またそれが透明にも思える時間というのがあった。いつも、びくびくして、あるいは時間に追われて、自分も同じようにガタガタ震えている。
  2007年の3月25日。5年日記によると、この日の午前、9時40分に地震、激しく揺れるとある。能登半島沖の大地震から、まる2年がたったことになる。

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