光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

秋空の街街道

2008-09-24 18:51:38 | 散策
  ときどき、ここは街だと思いながら、その車道の広さをまず感じて、それから歩道があって、その、ときにここの街路樹もかなりくたびれて、というか一部黄色くなっているのを見て、秋もそこまで来ているような気になる。
  長く渋滞する、その交差点をようやく曲がった。馬鹿馬鹿しい話しだが、この交差点の時間の比は変わらない。向こうががら空きでも、赤は赤。その先にまた信号があって連動していない。何を考えているのだろう。これではダメだ、自分と大して変わらない。でも、相手は信号だし、それに対して腹をたてにするのもどうかなと思う。

  自分の通っている病院。どうだったか忘れるくらいだ。一ヶ月前に来た。そのときはどうだったか、忘れた。でも、8月の最後で、そこを出てからしばらく歩いたことを思い出した。そうゆうことを考えると、なんだかまだ「尽き」に見離されていない、など思ったりもする。個人的な思いでそれで閉じている。たまに話しに出るが、偶然というか、変化のなさに面白みを感じないという方もおられるだろう。
  幸いか偶然か、意外とあっさりと順番が回ってきた。話しも今は落ち着いているから、特に険しくはない。処方が出る時間、それから会計での待ち時間もない。すぐに薬局にいって、そこにも他のお客さんもおらず、一人でいた。これも、考えようによっては、単調であって、平凡で、もう少し何かがあったほうがいいような、そうゆう考え方も成り立つ。

  あっさりとし過ぎていた。朝は寒い感じもあったが、ちょうどいい具合に日も出てきた。ちょうどいい。あっさりとして、単調で、単純な状況の中、街の道を歩いた。日が当たる。ちょうど向こうのビルの上から日が出ている。その辺りまでいくと、そこのあるところは影になる。
  ときに後を振り返る。こうゆうときもあったということ、この記憶を脳に刻み込むこと。秋晴れの、街道。
  TV局の建物がある。この建物の中に、スタジオがあって、ときにこの辺りから生中継が入る。そうゆうところ。先ほどまで見ていたTVの、そのスタジオがこの建物の中にある。なんだかちょっと変な感じだ。この辺りを歩いていると、TVでしか見ていないから、TVの中でしか会えない人でもあるが、その方が出て来ることがあるのだろう。そんなことも考えてしまう。

  現実に戻って事務的なことをまずは済ませて、それから本屋さんにいった。まったく何が読みたいか頭にない。雑誌も今は特に見たいというものはないが。最初に、新書のコーナにいった。そこが、まずは真正面だった。手に取ったのは、売れている本。後で奥付を見てそれが確認できた。3刷り、7刷り、なるほどこれは売れている本だ。それを取って他に必要なものもこれも買って、それで、レジに。丁寧にブックカバをかけてくれる。断ることもしなかった。本を買うときは昔はずいぶんと迷ったが、今はそうゆうことはない。買わないときは買わない。
  日曜日の新聞の書評を見ていなかった。それを今頃見たが、ざっと紹介を見ていて、ランキングは見なかった。だから、今日買った新書がベストセラかどうか、それはわからない。恐らくそうゆうものではないだろう。
  ここの本屋さんは朝早くからやっていて、便利でありがたい。でも、こうゆう本はないですか、というとまずない。本店で、という話しになる。うまく出来ている、と思う。


  まずは、秋の街街道。




  この絵の中央にある、高い建物に向かって歩いている。高々、10分で着く。今頃思い出したが、汗の一つもかかなかった。

  街から離れて、



  白黒のものに、薄っすら色を付けたコスモス。街の色合いというのもあるが、一枚目のものからの流れだとこのコスモスが出る。




  花に寄ると、花の色が出て、これでちょうどいい感じがする。今日は快晴の天気になって、空は晴れ渡った。コスモスをチラリ見る時間があった。でも、明るすぎた。




  例えばこれが、シルエットに近いコスモスを撮ったのと同じ日の、日が当たっている方向を見たものだが、風で雨で倒れているものもあって気の毒なくらいだ。花にも似合う光がある。これも人によりけりで、今はシルエットのコスモスがいい。

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