光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ビスタカー、昔の近鉄のノンストップ特急

2006-10-27 19:20:33 | 鉄道
  大阪というと、広すぎる。天王子だとかなり限定される。阪和線は、天王寺から和歌山までの路線であった。昔の話になるので、過去形になる。
  私は、堺市の百舌鳥という所に住んでいたことがあり、時々、この阪和線に乗る機会があった。向こう側には、仁徳天皇陵がある。駅の踏み切りの前で、電気機関車が、貨物列車を引いていくのを見送る。帰りの天王寺駅での楽しみは、直行に乗れるかも知れないと言うことで、その橙と緑で塗装された電車が停まっていたときは、何か買ってもらえなくても、嬉かった。途中、金岡で降りる。今、あるいはずいぶん昔から、この駅名はなくなっている。さすがに、鳳までゆくことはなかった。
  時代が、非連続的に変わる。近畿日本鉄道、近鉄、なんと懐かしい名前であろうか。結構この鉄道の電車に乗る機会は多かった。大阪にいたときも、それから、都道府県のうち、県庁の所在地が一字の漢字で表わされる街に移ったときにも。
  近鉄の普通列車に乗ることは少なく、急行が多かった。学生になって、帰省するとき、それまで何度も走っているビスタカーを見てはいたが、近鉄名古屋駅で停まっているそれを見たとき、何度乗ってみたいと思ったか?。実際のところは、ただ流し目で見ただけで、私は急行の時刻表を見ていた。学校の同級生で、大阪に住んでるのがいて、帰りは途中の名古屋で降りて、ななんと、ノンストップのビスタカーに乗ってるという話を聞いた後は、流し目が、じろじろ目に変わった。
  昔の時刻表を見ている。大阪ー名古屋間のノンストップ特急は1時間に一本くらいあるが、すべてがビスタカーでないことが分かる。私の感としかいえないが、先頭車両の前面が、曲線を描いているタイプである事、さらに、二両目が二階建ての車両、3両目が1両目の反対向き。この3両編成のものだけが、そう呼ばれていたのではないか。ただ、ノンストップでもない大阪ー名古屋を結ぶ特急もあって、これにもビスタカーのマークがある。これらは、もう少し多めに車両をつないでいたように思う。
  残念ながら、私は、ノンストップビスタカーに乗ることはなかった。その後、小田急のロマンスカーなどは乗ったことがあるが。今は、鉄道模型でしか、懐かしのビスタカーを見ることは出来ないようだ。

  午後から天気が回復し、近くをそぞろ歩きする。誰かさんの畑に、きれいなキャベツを見つける。これは、食用でなく、観賞用のもののはず。



  今日一度、園芸店の前で鉢に植えられたこの植物見ている。名前が出てこない。ハナキャベツを辞書で引くと、カリフラワの事とある。あれ、今度はネットで。ホボタン(葉牡丹)が出た。これだ。この植物こそ、今後の変化が楽しみである。

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