フェーン現象で、気温は上がっている。乾いた風。
気象台の、午前4時の気温、8.7℃。午後1時の気温、25.0℃。
ただ風だから、暖かい感じはあるがそれだけかな。それに比べると、朝も書いたように、きのうちょっと寄ってきた、
あるお宅。寒い朝の、あのストーブはなぜか暖かかった。だいたい長袖のYシャツ姿で、いつも世間話をする、その
人はいる。この格好は冬ではない。
世間話と言っても、だいたい私が話をする。それを聞いてくれるのは、やはり長い間、ご商売をやってきていて、
相手の感情にさほど何か言うことはない、そうゆうものがあるからのようだ。ここは私も見習わないといけない。
もっともほとんど聞き流してくれる。それもありがたいものである。格別、政治の話はしなかった。ただ時間だけ
過ぎていって、10月も終わりになった、なんだか寂しい。そうゆう話をしている。それ以上のことはなかなかない。
その人のことを書いても誰かわからないと思うので、これも作り話ではなく、で、もともとの生まれは、違う。
ずいぶんと、遠いところである。こんなことってあり、それくらい遠い。格別仲がいいとかはない。しょうがなしに
私のほうから、まだ商店をやっていたときに、食料品を扱っているのでなおさらのことだが、買い物にゆく。
重いものは運んでもらう。私自身、ここ富山の生まれではないが、でもその方は、生まれてさほど長い時間その地に
いなくて、生まれていつかは知らないが、この地に来ている。これまた親の仕事の関係ということも。
だから、ほとんど富山人である。この辺だけど。小学校、中学校、話を聞いていると、そうゆう場合もあるが
幼稚園もあそこ。
学年的に同じである。そうゆうことまで話すことにあるときからなる。私は私で、この辺の集落の、昔を
断片的には知っている。もっというと、私の祖父の時代の人も。そこまでゆくと、相手もわからない。
しかしいまは昔の話は通用しない。古くても、昭和の終わりくらいで、あとは平成だが、私の知らない
中学くらいのことは、そのとき同じ年齢か近い人をほとんど知っている。これも学年の違いがあっても、
住んでいるところが近いのが決定的だ。それで、いままで、父からも教えてももらわずに知らないことだらけ
だったが、この同学年の「おやっさん」から、ときどきだが、その時代にいないとわからないことを聞く
ことが出来る。
なんといっても、私自身が60超えて、61になった。こうなると、よっぽど野望でもない限り、むかし話になり
またこれはもちろん私の方が多いが、情けない話もする。これにうまいこと対応できるから、驚くべき能力を
持っているとも。いまの、この列島の国の、男の平均寿命は80くらいだから、というところで、話は終わりに
近づき、でもそこまで果たしてゆくことが出来るか。これも話題にはなる。しかし、相手のオヤッサンは、身体も
丈夫ではあるが、残念なことにある種の薬の副作用で、それこそご自身びっくりしたようだが、人工の骨を入れる、
そうゆう手術を二度も受けている。こうゆうこともあって、運命というのは何ぞやということにもなる。
天命でなく薬禍。むかしは20kgの荷物を平気で運んだ。でもいまは重いものを持つのは、医者からだめだと
言われている。
私とは、全然別の問題だが、やっぱりそれが出来なくなるというのは、語らないが、侘しいものがあるのでは
ないか。
単純に、今日はまったくこうゆうことと関係ないことで、朝からではないが、ある時間からそれに関わっていて
それについては実は、あんまり書くことはない。しかたなしに、たまに話しをするある人について、ここに書いて
いるが、その人はちゃんと家庭がある、お孫さんもいる。正常な人生を送っているのである。この差は大きい。
しかし私も嘆くこと出来ず、何かあるとやっぱり失敗かと思いながらも、こうして字を入力し、また画像を
作って、今日という時間を過ごしている。それにしても、朝から新聞も、TVも、ネット関係もほぼ見ていない。
ただ生暖かい風が吹いている。頭の中に何があるか。
山は失敗した。今日の方が、透明度がある。切ることのない木が伸びて、見えなくなる部分が増えるのは
悲しい。
その一。これはきのうの午後、なんという木かわからないが、30cmくらい伸びたので、どこまでカメラを
持ち上げても、視界を遮る。
その二。もっと見えていたのに。
その三。夕暮れのときの方が、いいような。
その四。雪少ない。
同じ夕方、この雲はよかった。
その五。似たような雲は多かったが、また出てきた。
その六。
その七。
その八。
その九。
その十。
こうゆう画像の中に、あるときは鳥が、あるときは訳わからないものが写っている。ゴミではなく
トンボかも知れない。これまた不思議なものだが、多いといえば多いかな。
気象台の、午前4時の気温、8.7℃。午後1時の気温、25.0℃。
ただ風だから、暖かい感じはあるがそれだけかな。それに比べると、朝も書いたように、きのうちょっと寄ってきた、
あるお宅。寒い朝の、あのストーブはなぜか暖かかった。だいたい長袖のYシャツ姿で、いつも世間話をする、その
人はいる。この格好は冬ではない。
世間話と言っても、だいたい私が話をする。それを聞いてくれるのは、やはり長い間、ご商売をやってきていて、
相手の感情にさほど何か言うことはない、そうゆうものがあるからのようだ。ここは私も見習わないといけない。
もっともほとんど聞き流してくれる。それもありがたいものである。格別、政治の話はしなかった。ただ時間だけ
過ぎていって、10月も終わりになった、なんだか寂しい。そうゆう話をしている。それ以上のことはなかなかない。
その人のことを書いても誰かわからないと思うので、これも作り話ではなく、で、もともとの生まれは、違う。
ずいぶんと、遠いところである。こんなことってあり、それくらい遠い。格別仲がいいとかはない。しょうがなしに
私のほうから、まだ商店をやっていたときに、食料品を扱っているのでなおさらのことだが、買い物にゆく。
重いものは運んでもらう。私自身、ここ富山の生まれではないが、でもその方は、生まれてさほど長い時間その地に
いなくて、生まれていつかは知らないが、この地に来ている。これまた親の仕事の関係ということも。
だから、ほとんど富山人である。この辺だけど。小学校、中学校、話を聞いていると、そうゆう場合もあるが
幼稚園もあそこ。
学年的に同じである。そうゆうことまで話すことにあるときからなる。私は私で、この辺の集落の、昔を
断片的には知っている。もっというと、私の祖父の時代の人も。そこまでゆくと、相手もわからない。
しかしいまは昔の話は通用しない。古くても、昭和の終わりくらいで、あとは平成だが、私の知らない
中学くらいのことは、そのとき同じ年齢か近い人をほとんど知っている。これも学年の違いがあっても、
住んでいるところが近いのが決定的だ。それで、いままで、父からも教えてももらわずに知らないことだらけ
だったが、この同学年の「おやっさん」から、ときどきだが、その時代にいないとわからないことを聞く
ことが出来る。
なんといっても、私自身が60超えて、61になった。こうなると、よっぽど野望でもない限り、むかし話になり
またこれはもちろん私の方が多いが、情けない話もする。これにうまいこと対応できるから、驚くべき能力を
持っているとも。いまの、この列島の国の、男の平均寿命は80くらいだから、というところで、話は終わりに
近づき、でもそこまで果たしてゆくことが出来るか。これも話題にはなる。しかし、相手のオヤッサンは、身体も
丈夫ではあるが、残念なことにある種の薬の副作用で、それこそご自身びっくりしたようだが、人工の骨を入れる、
そうゆう手術を二度も受けている。こうゆうこともあって、運命というのは何ぞやということにもなる。
天命でなく薬禍。むかしは20kgの荷物を平気で運んだ。でもいまは重いものを持つのは、医者からだめだと
言われている。
私とは、全然別の問題だが、やっぱりそれが出来なくなるというのは、語らないが、侘しいものがあるのでは
ないか。
単純に、今日はまったくこうゆうことと関係ないことで、朝からではないが、ある時間からそれに関わっていて
それについては実は、あんまり書くことはない。しかたなしに、たまに話しをするある人について、ここに書いて
いるが、その人はちゃんと家庭がある、お孫さんもいる。正常な人生を送っているのである。この差は大きい。
しかし私も嘆くこと出来ず、何かあるとやっぱり失敗かと思いながらも、こうして字を入力し、また画像を
作って、今日という時間を過ごしている。それにしても、朝から新聞も、TVも、ネット関係もほぼ見ていない。
ただ生暖かい風が吹いている。頭の中に何があるか。
山は失敗した。今日の方が、透明度がある。切ることのない木が伸びて、見えなくなる部分が増えるのは
悲しい。
その一。これはきのうの午後、なんという木かわからないが、30cmくらい伸びたので、どこまでカメラを
持ち上げても、視界を遮る。
その二。もっと見えていたのに。
その三。夕暮れのときの方が、いいような。
その四。雪少ない。
同じ夕方、この雲はよかった。
その五。似たような雲は多かったが、また出てきた。
その六。
その七。
その八。
その九。
その十。
こうゆう画像の中に、あるときは鳥が、あるときは訳わからないものが写っている。ゴミではなく
トンボかも知れない。これまた不思議なものだが、多いといえば多いかな。
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