梅雨ねー、どこさいったかいね、まー「なかった」ということにして、だから暑いこと。土の表面はカチカチに乾いていて、でもこの土が脆弱で流れる。草があれば、多少はその流れてゆく量は少ないだろう。
それで、草の生えているところ、生えていないところ、まだら状態である。
バッタ、何とも懐かしい言葉だが、しかしこうゆうものも、やっぱり今頃になって、それがいないことがなんだか変だと思う、まだ、カマキリはときに見かける。コガネムシもほどほどだが、バッタはときに見るが、なかなか見つけることもない。そういえば、
タネを播いたそうゆうときに、土色の小さいバッタを見つけた。あー、こうゆう虫もいたな、思い出すことしきりである。しかしどうも土と同じ色のバッタというのも、やりにくい相手だ。ここは、面白おかしく、しかも仮面ものを髣髴とさせる、そうゆうものに登場して欲しいが、それがなんともいない。
いる時もあるが、例えばその見え方は、タンマに星空を眺めて、サーッと瞬間に流れる、光の筋に似ている。バッタを見てお願い事はしないが、目をあわした瞬間彼ら、彼女やらはさっとジャンプして他に移動する。ほぼ瞬間に見えなくなって、ただ草が少し揺れる。ぼうっとして、これはもしかしたら忍者といわれる人は、バッタからその行動を習ったのではないか、と思えるくらいだ。
バッタというと、これは同じ、仲間といっていいのかわからないが、キリギリスや、コオロギがいる。コオロギについてはさらに細かい分類があることも思い出されるが、たしかにごく普通のものとやけに小さいものの区別くらいは、わかりそうである。キリギリスも、少し昔に見た気がする。2年の単位で、見た気がする、コオロギだと、秋に鳴く虫の声で観賞しているかも知れない。キリギリスもいいが、
ここは、もう少し小型の、ピリピリしたものにお目にかかりたい。ときどき、花をめざしてゆっくり歩いていると、何かがすっと飛んでゆく、その姿は見えないが、それこそ葉っぱが揺れることもあって、これは間違いなくバッタのたぐい、それも緑の色をして、草と同じような色だし、さらに小型だ。大型だと少しバタバタしそうで、小型だとそれこそ見えないのだ。
今日は日曜日で、あることも忘れて、かなり疲れてきたことも事実だ、いらん考えは、やはり要らないので、ときに回りの草を眺めることもした。少し動くとバッタも反射的に動くようだ、と思われたので、それをやる。しかしバッタのバの字もいないし、葉の揺れもないので、まことに残念な気になった。それでもういい加減飽きたときに、そのバッタは動いた。それを追った。すると葉っぱの裏側というか境目くらいに、その顔をのぞかせている。なんとも憎い演技をする。それでは、と自分もそっちに体を傾けると、まったくもってバッタに遊ばれた。それは、またその次の草むらへ一気に動いて、もはやどこにいるのかわからない。
バッタ遊びというのはあるのかどうか知らないが、それにしてもこの虫の動きはかなりに機敏である。瞬間的に危険を察知しているというしかない。で、昔を思い出すと、まーバッタくらいは、捕まえることが出来た。時代は一気に今に近付いて、この書き込みを始めたときにもバッタは多少のことでは逃げたりせず、おとなしくしてくれたと思う。何も食べたりはしない。そうゆう経験もない。結局、バッタもあくせくした生活を余儀なくされている、そう思わざるを得ない気分になってしまった。あーやっぱりバッタも貴重な生き物となってしまった。
あまり元気のない、夏の花。
去年も咲いていた赤いダリア。後ろに見える花も、息絶え絶えな感じである。
このグラジオラスも水不足気味。
咲きたてのような黄色。これは、少し瑞々しいが、今日だけのような感じもする。
それで、草の生えているところ、生えていないところ、まだら状態である。
バッタ、何とも懐かしい言葉だが、しかしこうゆうものも、やっぱり今頃になって、それがいないことがなんだか変だと思う、まだ、カマキリはときに見かける。コガネムシもほどほどだが、バッタはときに見るが、なかなか見つけることもない。そういえば、
タネを播いたそうゆうときに、土色の小さいバッタを見つけた。あー、こうゆう虫もいたな、思い出すことしきりである。しかしどうも土と同じ色のバッタというのも、やりにくい相手だ。ここは、面白おかしく、しかも仮面ものを髣髴とさせる、そうゆうものに登場して欲しいが、それがなんともいない。
いる時もあるが、例えばその見え方は、タンマに星空を眺めて、サーッと瞬間に流れる、光の筋に似ている。バッタを見てお願い事はしないが、目をあわした瞬間彼ら、彼女やらはさっとジャンプして他に移動する。ほぼ瞬間に見えなくなって、ただ草が少し揺れる。ぼうっとして、これはもしかしたら忍者といわれる人は、バッタからその行動を習ったのではないか、と思えるくらいだ。
バッタというと、これは同じ、仲間といっていいのかわからないが、キリギリスや、コオロギがいる。コオロギについてはさらに細かい分類があることも思い出されるが、たしかにごく普通のものとやけに小さいものの区別くらいは、わかりそうである。キリギリスも、少し昔に見た気がする。2年の単位で、見た気がする、コオロギだと、秋に鳴く虫の声で観賞しているかも知れない。キリギリスもいいが、
ここは、もう少し小型の、ピリピリしたものにお目にかかりたい。ときどき、花をめざしてゆっくり歩いていると、何かがすっと飛んでゆく、その姿は見えないが、それこそ葉っぱが揺れることもあって、これは間違いなくバッタのたぐい、それも緑の色をして、草と同じような色だし、さらに小型だ。大型だと少しバタバタしそうで、小型だとそれこそ見えないのだ。
今日は日曜日で、あることも忘れて、かなり疲れてきたことも事実だ、いらん考えは、やはり要らないので、ときに回りの草を眺めることもした。少し動くとバッタも反射的に動くようだ、と思われたので、それをやる。しかしバッタのバの字もいないし、葉の揺れもないので、まことに残念な気になった。それでもういい加減飽きたときに、そのバッタは動いた。それを追った。すると葉っぱの裏側というか境目くらいに、その顔をのぞかせている。なんとも憎い演技をする。それでは、と自分もそっちに体を傾けると、まったくもってバッタに遊ばれた。それは、またその次の草むらへ一気に動いて、もはやどこにいるのかわからない。
バッタ遊びというのはあるのかどうか知らないが、それにしてもこの虫の動きはかなりに機敏である。瞬間的に危険を察知しているというしかない。で、昔を思い出すと、まーバッタくらいは、捕まえることが出来た。時代は一気に今に近付いて、この書き込みを始めたときにもバッタは多少のことでは逃げたりせず、おとなしくしてくれたと思う。何も食べたりはしない。そうゆう経験もない。結局、バッタもあくせくした生活を余儀なくされている、そう思わざるを得ない気分になってしまった。あーやっぱりバッタも貴重な生き物となってしまった。
あまり元気のない、夏の花。
去年も咲いていた赤いダリア。後ろに見える花も、息絶え絶えな感じである。
このグラジオラスも水不足気味。
咲きたてのような黄色。これは、少し瑞々しいが、今日だけのような感じもする。