光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

日曜らしき、日曜

2008-06-22 18:56:58 | 散策
  今日は日曜日で、週の始まりでもあり、また週の終わりと思う方もいて、それは、そのときによりけりだが、やっぱり気分としては、週の始まりがいい。

  答えが出せない、そうゆう難問を出される。これに、この難問に対処するのは初めてなので、これは困ったなという感じである。ただ、相手の方してはそれが仕事だから、書類の形に残さないといけない。その写しをもらって、はてこの問題はどの程度むつかしいか、考える気にもならなかった。これなら、まだ電磁波はどのように伝わるか、というほうが、ましな気がする。無論、
  それに対する答えというのは私が出せるわけではないが、それをモーターボートのたてる波と、それに対応するかのごとく揺れる蘆の、細い茎の振動に例えることは出来そうである。特に、電荷もないという、ちょっと考えられないそうゆう場合は、こうゆう風になりますよ、という、そうゆう方程式は、その設定自体が、シロウトには理解できないが、その解となるとまったく手も足も出ない、そうゆうわけではなくて、それによって、電場と磁場の関係もわかり、その時空を伝わる速度は光速であることも、わかったりもする。なによりも、電磁気のもと、本体というものは波の特性を持つという、かなり抽象的なものが明らかとなり、具体的なイメージも浮ばないが、しかしこれがよく、ものの本に登場する。
  その無理難題というか、難問について違った角度から、それに対する特別解というものが、出てくるものなのか、それに対するものも、まだ漠然としている。しかし、ある特別な設定というか、考え方というのは、いろいろな人がおられるもので、その人の経験によってはその難問のとっかかりが可能であるようで、そちらの方からの接近法というものも少しだけやることが出来た。これで、なにかが解決するわけでないが、気分的にはかなり楽になって、それだから、きのうは特に、頭に不協和音の残像が残ることはなかった。それ以外の何かはあって毎度のことだが、わけわからい、そうゆう夢も見ていた。

  今日は日曜だった。朝にそう思う。いつものように起きたわけだが、その後のことは、たしかにいつもの日曜で、日曜らしく、世の動きを反映していると思う、そうゆうTVも見た。これくらいしか、今の社会の先端?を知る方法はない。
  よく考えたら、朝は今日はいつものように歩くと書いた。そう決めた。だから、歩いて来た。幸い雨でもなく、しかしポツと額に一滴の雨はあった。そうでないとすると、何かよくわからないが、ある動物の排泄物という可能性もある。しかし、その空を見上げると、飛んでいるのは、ツバメくらいだ。そのポツが、ツバメの何かであっても、まーいいだろう。
  歩いてみて、特に変わったことはなかった。後から、アメダスを見ると、最高が、21か22℃なので、これでは歩くのにはちょうどいい気温でもある。だから、懐中にも、忍ばせるものもあってこれで、この寄り道で時間は普段の倍はかかった。だから、シジミチョウにも会えたのである。そのほか、多少の成果というものもあるが、肝心なこと、一人目のワンちゃんの方を眺めるのを忘れてしまった。
  どうしてだろうか、このときはただ歩くことを考えていた。これもあるが、自分の朝に書いたことも忘れるなんて、ってこれは、毎度のことだけど。だから、二人目のワンちゃんに出会ったときに、そのイヌは元気そうで、しかしこっちをチラッとも見なかった。ごもっともである。

  今日は日曜で、ダラダラしていた。なんか普段以上に、だらだらした感じで、それでいつも思うのだが、やっぱり日曜というのは、有効には使えないな、という感想である。ダラダラー、で終わってしまいそう。これこそ日曜である、そう思うことにする。いつもの日曜日を過ごせてまずはよかった。
  
  アジサイの花に、曜日はそういえばない。毎日アジサイでもいい。




  すでに、二回くらい登場したアジサイ。白い装飾花があって、その中にまた花があるが、これはあまりパッとしない。去年は普通の青いアジサイが咲いた、と思ったが。もう一枚。




  中央の花はともかく、外に突き出ている花は、なぜか二重、三重?になっているようで、これは珍しいかどうか。

  よくあるガクアジサイは、




  装飾花は、一重のようである。しかし、このガクアジサイはきれい。

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