光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

鉄道の魅力

2006-10-18 19:19:17 | 鉄道
  昔の話になるけど、子供のときですね、大阪にいたので、田舎に帰るときは、大阪駅から急行”立山”に乗った。ものすごく昔でもないが、結構昔でもあると、まずどのクラスの車両に乗るか、という問題があった。さらに、急行だと急行券を買わないといけない。その他、色々なややこしい問題もあって、今思うと母親が切符の買い方を知っていたのか、という所までゆきそうである。やはり、そこまでは書けません。
  大阪から米原までは、直流の電気機関車が客車を牽引する。つまり、そこまでは、東海道線を走るわけである。ただ、子供だったので、どんな直流機関車が、引っ張っていたか、そこまでは分からない。非常に、心地よく感じられる。おしっこの心配なども子供だからないし。
  米原でかなり長い間停車した。ここで、ディーゼル機関車にバトンタッチするわけである。その米原駅の広いが少し煤けている、そうゆう感じが、なんとなく記憶の隅に残っているようだ。ここから、北陸本線に入る。それからも、急行”立山”は快調に走る。北陸トンネルの工事をしていたかどうか、この辺は曖昧である。
  往きは、小松で降りた。叔母が小松に住んでいたのである。
  話を少し細かくしないと。このころ、北陸本線の電化工事というのをやっていて、しばらくして金沢まで電化が完了した。大阪から金沢行きの急行は、電車のスタイルになった。多少とも成長した私は、子供ながら、確か、金沢行きの急行”ゆのくに”(曖昧である、ひらがな表記にします)に乗れば、その手前の小松には問題なく行く事が出来る、と考えた。しかし、実際のところその電車急行に乗る事はなかった。何故だろう、乗らなかった事は確かだ。
  それで、今書きながら、ふと気付いたのは、当時急行”立山”は、小松に停まったが、電車急行”ゆのくに”は、停まらなかったのではないか。そうゆう事のようである。
  鉄道の魅力は、もっと子供のときからあったが、これは何か書き表わせるものではない気もする。

  現実、今に戻ってと。気象協会の方が、ラジオの週間予報で、サザンカ(山茶花)の花を見たと言っておられた。サザンカといわれても、すぐにこれだと思い浮かばなかったが、なぜかその二日後くらいに、サザンカではないかという植物を見た。不思議なものである。



  多分、サザンカだと思う。ちょうど、南南西に、植物が太陽にほぼ真正面に向いている時に、この花を見かけた。距離も少しある。蕾がたくさんあって、咲き始めたところである。光が強すぎるし、ピントもあまいが、これはしょうがない。他のところでも、サザンカが咲いているのを見た。

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