颯爽と愛犬と歩く、そうゆう姿をもう朝も早い時間から遠くに見ることもあって、今日などのお天気だと、絶好の山歩き日だななど、ホンの少し思い、思い出したりする。別に山でなくても、平地でもいいし、都会でもビルの林立するところでもいいし、まー歩けるところなら、どこでも歩きたいものだが、現実はどうか。
制約があって、少し昔に話しを持ってゆかないといけない。
一回、もう書いていてやりにくい感じがあるが、立川から青梅線に乗り換えて奥多摩に向かう途中に、御嶽という駅があってそこから御岳山に登ることも出来るし、さらに頑張ると、奥多摩の名山の一つ、大岳山に行くことが出来る。この大岳山に行く道は他にもあって、しかし、私が行ったのはこのコースであって、かなり早い時刻の電車に乗って、それからケーブルも使った。
そこから、えっちらおっちら歩いたが、どうにか大岳山の頂上までゆくことはいったが、その後の帰りの道、下りの道で、これもかなりデコボコの続く道で、そのうちに右のひざが痛くなってきて、最後もう武蔵五日市駅に向かうそのバス停が見えているというのに、ちっとも早く歩けず、そこはもう舗装があった細い道のように記憶しているが、もうバスも来そうで、それこそかなり必死になってようやく間に合ったことを、今でもはっきり思い出すことが出来る。
この原因は、多分腱鞘炎で、もう少し言えば私は、O脚であるということ。よって、右足の外側のほうの筋か擦れて悲鳴をあげたのであろうけれど、いずにしろその後の生活に少し難儀した。一番は階段が歩くのが辛い。痛くて、足を引きずる感じになる。いいお天気なのに、なんだか出鼻をくじかれる感じがして、しかしその後、それはなおっていて、今がある。
これだと、昔に書いたことの繰り返しで、まったく意味もないが、最近は足ではなく、左腕の手首が痛くなってこれも、原因は腱鞘炎であろう。歩くことに関係はないが、また今の自分だとどのくらいの時間歩けるか、まったくわからない。まー1時間くらいなら歩けそうな気もするが、これは途中立ち止まったりして、大して歩いたことにはならない。今もまだまだ健脚でという少しお歳を召した方の書き込みを見ると、うらやましい。まことにうらやましく、逆に自分がなさけなく思える。これも、途中休憩を加えると、ある程度、もう少し歩けるような気がするが、試すときがなくて、いざそのときはどうなるか、これは考えてもしょうがないか。
歩くことが出来て、ヒトは二本の腕を自由に使えるようになり、その後の進歩、進化に大いに役立つことになるのだそうだが、そこのところは本を参照してもらって、それにしてもなぜ左の手首が痛いのか、というと、これは、ちょっと起き上がるのも不自由な父を支えたり、また抱きかかえたりするときに、私の両の腕を使うからで、それも左手の手首を右の手てがっしりつかんでという形でやっていて、最初はなんともなく、しばらくしてもなんともなく、ある日、朝に、というときである。
朝であったのがおかしいが、起き上がろうとして、特に左腕をつかう気もないが、その手首にビリっという痛み、鋭い痛みが走って、いったいに何が起こったかそれがすぐにはわからなかった。この痛みも、少し時間が立つとあまり感じることもなく、まーその内直ると思っていたが、それから、なるべくこのことがわかって、左の手首をつかまない、そうゆう形を考えて、必要なときに、父を抱きかかえるが、その時の痛みこそあまりないが、今は、例えば雨が降ったときの、そうゆうときに差す、傘を左手に持つと、びりびりでなくてかなりに、手首全体が痛むようになって、さてどうしたものか悩みの一つも増えてきた。
すでに雨が降ってという日もあれば、日傘の必要性もある。両の手の手の甲は、明らかにそれより上の部分より、日焼けして黒いことがわかる。日焼けをなんとも思わない方はそれでいいと思うけれど、やはり日焼けはよろしくない、と考える身にとって、日傘はこれからは必要で、さらに雨季が迫っているから、傘を差す時間が増える。
この左の手首の痛みが早くなくならないか、まるで夢のようなことを考えているが、これもそのうち直るかも知れない。そんなことを考えている。でも、結構この手首の痛みというのも、大したもので、歯が痛いまでの憂鬱感はないが、やはり気になって仕方なく、これもこの5月の爽快感を打ち消している原因の一つなのである。これまた、お祈りをして何とか直したい。
5月らしさがありそうな、近くでの風景。
丸く膨らむように、咲いている小さな白い花、花、花。
その横に、よく見かける、茎に特徴のある花。花火を思い出す。
蕾がみな開いて、しかも少し涼しげにも見える、いつもの花。
制約があって、少し昔に話しを持ってゆかないといけない。
一回、もう書いていてやりにくい感じがあるが、立川から青梅線に乗り換えて奥多摩に向かう途中に、御嶽という駅があってそこから御岳山に登ることも出来るし、さらに頑張ると、奥多摩の名山の一つ、大岳山に行くことが出来る。この大岳山に行く道は他にもあって、しかし、私が行ったのはこのコースであって、かなり早い時刻の電車に乗って、それからケーブルも使った。
そこから、えっちらおっちら歩いたが、どうにか大岳山の頂上までゆくことはいったが、その後の帰りの道、下りの道で、これもかなりデコボコの続く道で、そのうちに右のひざが痛くなってきて、最後もう武蔵五日市駅に向かうそのバス停が見えているというのに、ちっとも早く歩けず、そこはもう舗装があった細い道のように記憶しているが、もうバスも来そうで、それこそかなり必死になってようやく間に合ったことを、今でもはっきり思い出すことが出来る。
この原因は、多分腱鞘炎で、もう少し言えば私は、O脚であるということ。よって、右足の外側のほうの筋か擦れて悲鳴をあげたのであろうけれど、いずにしろその後の生活に少し難儀した。一番は階段が歩くのが辛い。痛くて、足を引きずる感じになる。いいお天気なのに、なんだか出鼻をくじかれる感じがして、しかしその後、それはなおっていて、今がある。
これだと、昔に書いたことの繰り返しで、まったく意味もないが、最近は足ではなく、左腕の手首が痛くなってこれも、原因は腱鞘炎であろう。歩くことに関係はないが、また今の自分だとどのくらいの時間歩けるか、まったくわからない。まー1時間くらいなら歩けそうな気もするが、これは途中立ち止まったりして、大して歩いたことにはならない。今もまだまだ健脚でという少しお歳を召した方の書き込みを見ると、うらやましい。まことにうらやましく、逆に自分がなさけなく思える。これも、途中休憩を加えると、ある程度、もう少し歩けるような気がするが、試すときがなくて、いざそのときはどうなるか、これは考えてもしょうがないか。
歩くことが出来て、ヒトは二本の腕を自由に使えるようになり、その後の進歩、進化に大いに役立つことになるのだそうだが、そこのところは本を参照してもらって、それにしてもなぜ左の手首が痛いのか、というと、これは、ちょっと起き上がるのも不自由な父を支えたり、また抱きかかえたりするときに、私の両の腕を使うからで、それも左手の手首を右の手てがっしりつかんでという形でやっていて、最初はなんともなく、しばらくしてもなんともなく、ある日、朝に、というときである。
朝であったのがおかしいが、起き上がろうとして、特に左腕をつかう気もないが、その手首にビリっという痛み、鋭い痛みが走って、いったいに何が起こったかそれがすぐにはわからなかった。この痛みも、少し時間が立つとあまり感じることもなく、まーその内直ると思っていたが、それから、なるべくこのことがわかって、左の手首をつかまない、そうゆう形を考えて、必要なときに、父を抱きかかえるが、その時の痛みこそあまりないが、今は、例えば雨が降ったときの、そうゆうときに差す、傘を左手に持つと、びりびりでなくてかなりに、手首全体が痛むようになって、さてどうしたものか悩みの一つも増えてきた。
すでに雨が降ってという日もあれば、日傘の必要性もある。両の手の手の甲は、明らかにそれより上の部分より、日焼けして黒いことがわかる。日焼けをなんとも思わない方はそれでいいと思うけれど、やはり日焼けはよろしくない、と考える身にとって、日傘はこれからは必要で、さらに雨季が迫っているから、傘を差す時間が増える。
この左の手首の痛みが早くなくならないか、まるで夢のようなことを考えているが、これもそのうち直るかも知れない。そんなことを考えている。でも、結構この手首の痛みというのも、大したもので、歯が痛いまでの憂鬱感はないが、やはり気になって仕方なく、これもこの5月の爽快感を打ち消している原因の一つなのである。これまた、お祈りをして何とか直したい。
5月らしさがありそうな、近くでの風景。
丸く膨らむように、咲いている小さな白い花、花、花。
その横に、よく見かける、茎に特徴のある花。花火を思い出す。
蕾がみな開いて、しかも少し涼しげにも見える、いつもの花。