光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雨回帰とヤマブキ

2008-04-11 18:53:05 | 散策
  今は雨は止んでいるようであるが、こんな天気になる予定だったかどうか、朝のTV映像を思い出してみる。
  3チャンである。新年度の、お天気担当の方は、女性であった。ここの局のお天気コーナは、女性気象予報士と決めているのだろうか。そんなことまで、口を挟むことはない。そんなことに疑問を感じるのもおかしい。自分で今そう思った。それから、映像だけれど、時間を遡ると、どうもお天気は回復というところだけが残っていて、あるいはここだけ見て聴いていたのかも知れない。
  お天気とは、こうゆうものであって、当たらない、そうゆうことは何度も書いてきたっけ。これから1年間か、さらに先まで、天気予報を伝えることが出来るよう、からだに気を付けてなどふと思ったりもする。何しろ、生番組。朝早くから、生。

  なんか、お天気になる、そうゆうところだけ聴いていたのかも知れない。はっきりしない。しかし、午後になっていいお天気と思ったが、その後にまた雨が降って来た。これも春だ、なんだかそう思った。

  ヤマブキの花も、もう珍しくなくなった。大体、ここの一画にそのヤマブキの花が咲く。
  が、これはなかなか気が付かないもので、それもかなり草やら木が密に生えているところだから、わからないのも当然ともいえる。
  昔の建物は、カヤ、茅の屋根であった。回りにケヤキや、杉やその他たくさんの木々があったと思うが、それを見たのは祖父母の時代の、遊びに来ているときのものであるから、木のこと、草のこと、そんなことに興味があるわけがない。ただ、漠然と時間を過ごしていて、ときに、祖母から、杉をどうゆう風にして、薪にするか、教わった。祖母は痩身で、しかし軽々と斧を持ち上げて、それを杉の木の真ん中に振り落とした。力など入れてないようで、見事にその杉の木は半分に割れた。
  
  そんなことを思い出させてくれるヤマブキの花が咲いているが、それにしても今年は少し早くないか、そんな気がする。大きな木をかなり切ったから、日がよく当たる、その影響もある。
  で、そこに近付けるかというと、答えはノーで、なんだか花だけ、ヤマブキ色の、橙色の、が目立ってそこまで近付くには、藪こぎの技を必要とする。なんとも恨めしい。ところが、

  時間がたって、雨も上がって外に出てみると、なんだかよそのところにも、ヤマブキの色がある。あれれ、こうゆう風になっていたのか、こんなことになっているとは、これもわからんかった。ぼやけた。それで、かなり接近して、よその、まだそれほどたくさんではない、ヤマブキの花を撮ることが出来た。もう少し、辺りを探してみると、もう「シャガ」の花も、小さいながら咲いているのを見つけた。シャガの花は、大きくなるのが、他のところにあるのを知っているが、そちらはまだ変化はない。



 
  若干暗めの、朝のカエデ。雨が水滴になって、それがときにポツポツ落ちるのがわかる。




  新鮮というか、これが目に入らなかった不思議というか。どこを見ているのだろう。気が付かなかった、ぼんやりで不思議。




  もう一つの枝。この下は用水。なんだか、こちらを向いて咲いてくれている。ありがたき存在である。雨のヤマブキになって、なんだか悪くない気持ちである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿