ぶらぶら人生

心の呟き

土佐水木の蕾 (懐古庵の活花)

2007-01-26 | 旅日記
 水木とあるが、ミズキ科ではなく、マンサク科の植物のようだ。
 穂状の花序はまだ垂れず、つぼんだままである。
 蕾は蕾なりに風情を持つところがいい。命が詰まっている感じだ。

 花開くころ、懐古庵を訪ねることができるかどうか?
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この冬の椿 9 (懐古庵の活花 佗助)

2007-01-26 | 旅日記

 大きな甕に、椿と土佐水木、さらに菜の花を添えて活けてあった。
 懐古庵の片隅に。
 「これは侘助というのだそうです」
 と、お店の女主が、教えてくださった。
 「侘助」は冬の季語。
 歳時記には、
 <中国系の椿の交配種だという侘助は、ツバキ科の常緑高木。花は小ぶりで一重咲き、全開しない。花の数も乏しい。葉も細く、いかにも控え目で茶人好み、茶花として珍重される所以である。色は白、淡紅、赤白の混じりなど。……略……名の由来は諸説あり、これと決めがたいが、人名からの命名とする説よりも、閑寂趣味の「わび」と数奇者の「すき」が結びついたとする説のほうが信頼できる。晩秋からぽつぽつ咲き始め、早春まで咲いている地方もある。[今井千鶴子]>
 と、説明されている。
 広辞苑は、
 <文禄・慶長の役の際、侘助という人が持ち帰ったからという>
 と、その名の由来を人名説の立場から説明している。
 私見としては、花の醸す雰囲気から考えて、「わび」「すき」といった日本的情緒が似合いそうな気がする。

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この冬の椿 8 (懐古庵の庭)

2007-01-26 | 旅日記
 お抹茶をいただきながら、お庭を眺めた。
 狭い前庭だが、窓越しに眺めて余白を感じる佇まいだ。鬱陶しさを感じさせないところがいい。
 左方向に、椿の花を見つけた。
 お茶をいただいた後、お庭に出てみた。
 恥らうように、程よく莟んだ花が、一つだけ咲いていた。(写真)
 
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誕生日の日、まずは「懐古庵」で

2007-01-26 | 旅日記
 今回の小さな旅は、二泊三日。
 自分で自分のバースデーを祝う旅として。
 1月22日は、私の誕生日である。
 今となっては、別に誕生日が嬉しくもない。ただ過去の一年を無事に生きたな、という感慨はある。そして、次の誕生日まで、息災な日々が送れたらいいと念ずる、それが私にとっての誕生日である。

 お正月三箇日のうちに、旅の計を思い立った。
 ゆったりと温泉に入ってこようと。
 小さな旅は、身近にある湯田温泉に一泊すること。早速、<セントコア山口>に電話して予約を済ませた。
 その二、三日後、ただ温泉に入ってくるだけでは物足りなく思えてきた。そこで、九州に足を伸ばし、「若冲と江戸絵画」展を観てこようと、計画を練り直した。
 インターネットで、開催期間を調べると、既にお正月から始まっている。
 九州国立博物館へ行くのは初めてだが、今は、パソコンで予備知識を得られるので、便利である。大宰府のすぐ近くだと分かる。それなら、久しぶりに大宰府天満宮にもお参りしてこようと、楽しみが膨らんだ。
 (昨日のブログに、大宰府に関しては、5つの内容に分けて、一気に投稿した。)

 もう一泊は、<福岡リーセントホテル>に予約。
 準備に関しては、万事、スムーズに事が運んだ。

 22日の3時過ぎ、山口駅に下車。
 まずは「懐古庵」で、抹茶セットをいただくことにした。
 「懐古庵」は、お菓子屋&喫茶室を備えた和風のお店である。(写真)
 和の雰囲気で統一されており、私の気に入っているお店の一つである。テーブルの上には、水仙の蕾が挿してあった。
 (お店の内外の模様については、稿を改めて書くことにする。)

 箒姿の銀杏並木を眺めながら、駅前通を歩いた。
 今までの人生で、最も回数多く歩いた道かもしれない、と思う。
 今は思い出とともに歩くしかない道である。
 誕生日だが、華やぐ思いはなく、人生の晩年は冬景色に似て、少し寂しい。
 ホテルへ直行するには、早すぎたので、文栄堂に寄った。
 前回同様、新井満氏の「千の風になって」の曲が流れている。
   <……朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
     夜は星になって あなたを見守る……>
 新井満氏の語りかけるような、素人っぽい歌声が、心に沁みる。

 文庫本を一冊求めた。
 蓮見圭一著「水曜日の朝、午前三時」(新潮文庫)
 気取った題名だ。午前三時、そこから何が始まるのだろう? あるいは、そこで何かが終焉するのか?
 私は、作者を知らなかったが、版を重ねているところを見ると、随分読まれているらしい。本の帯には、NHK BS放送の書評番組で活躍中の<児玉清氏が絶賛!!>と印刷されており、ぱらぱらとめくってみたところ、移動の車中やホテルで読むのに適していそうに思え、求めることにした。
 その文庫本の近くに、運勢について書かれた本が山積みされていた。
 気になるわけでもないのに、自分の今年の運勢欄を見ていた。
 良くも悪くもないらしい。どちらかと言えば、良い方?
 そこに書かれている戒めの言葉が面白く、思わずニヤニヤしてしまった。
 <高姿勢を鎮め     尾を振る犬は打たれぬ>
 正確に暗記したわけではないので、表現は違っているかもしれないが、そんな意味のことが書いてあった。
 威張ることは嫌いだから、高姿勢になることはまずない。その点は大丈夫だ。
 後半の意味は、打たれぬためには尾を振る犬になれ、というのだろうが、人に媚びるのは大嫌いなので、ちょっと駄目だなと思って、おかしかったのだ。
 もう少し上手に尾を振れば、生きやすいのかもしれない。でもそんなことをしたら、私が私でなくなってしまいそうだ。
 今年も不器用に生きていくしかない……。

 <セントコア山口>の温泉につかって、ゆったりとした時間を過ごした。あまり長くつかりすぎて、少々湯疲れしてしまった。
 夕食は、河豚のフルコース。
 鰭酒に始まって、ご馳走はすべて美味。
 誕生日を祝うには申し分のない夕食だった。
 ただ口においしい鰭酒を、次々運ばれる料理を味わいながら、時間をかけて飲み干してしまった。日ごろ嗜まぬお酒が体中に回って、心地よい酔いを味わった。
 最後に、食後のコーヒーを注文したところ、
 「お誕生日のお祝いに」
 と言って、過分のサービスをしていただいた。

 湯に酔い、鰭酒にもすっかり酔ってしまった。
 就寝前に、もう一度温泉に入る予定は、取りやめにした。
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茶房 ぎゃらりー「かさの家」で

2007-01-25 | 旅日記

 食いしん坊の私は、旅に出たときには、その土地のおいしいものを食べたいと思う。年齢を重ねるごとに小食になったが、少量でいいから、おいしいものを食べたい。
 大宰府では、梅ヶ枝餅を、と出かける前から考えていた。
 素朴なお餅の味が忘れられず、参道の入り口で車を降りると、心の隅で、おいしい梅ヶ枝餅を売る店を探していた。
 お参りよりも、まずは梅ヶ枝餅。
 私の顔にそう書いてあったのではあるまいか。
 さあ、どうぞどうぞと、呼び止められた。
 馬鹿正直というか、おめでたいというか、精神的修養が足りないというか、私は喜怒哀楽が顔に出やすいタイプだと思う。
 奥にゆっくりとお休みいただける部屋がありますから、と誘い込まれた。
 大人数の客に対応できそうな、それでいて、こぎれいなお店であった。
 セット物のうち、梅ジュースと梅ヶ枝餅を注文した。
 焼きたての香ばしいお餅である。梅ジュースもさっぱりしておいしかった。昆布の佃煮まで添えてある。
 満足して、天満宮のお参りと、博物館の「若冲と江戸絵画」展の鑑賞を済ませた。

 再び参道に引き返し、西鉄電車の駅に向かっているとき、お店の前に行列ができているのに気づいた。何? とすぐに心が動く。
 足が止まった。
 列の一番前にいた人が、梅ヶ枝餅を手にして、こちらを向いた。梅ヶ枝餅を買うための行列だと分かる。
 評判のいいお店らしい。
 「かさの家」とある。風格と趣のあるお店だ。
 時計を見て、さて、と考えた後、列には並ばず、店の横にある通路を入っていった。
 茶房に通じる通路であった。
 靴を脱いで、板の間に上がる。
 勧められた席に落ち着くと、お庭が見えた。(写真)
 茶房のあちこちに置物がある。所を得て、厭味なく置かれている。
 抹茶と梅が枝餅のセットを注文した。
 その日、二つ目の梅が枝餅。
 ここでも、満足した。梅ヶ枝餅は、抹茶にも相性のいいお餅である。

 私の入った二軒のお店では、お餅の味が微妙に違った。
 列のできていたお店の方が、断然おいしいというわけではなかった。
 お店ごと、小豆餡に、少しずつ異なる味があるようだ。
 私にとっては、最初にいただいた、甘みを押さえぎみの梅が枝餅も、捨てがたい味に思えた。結局は、好みの問題のように思う。
 だからこそ、軒を連ねたお店が成り立つわけなのだろう。
 

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大宰府の大楠の根で、爪を磨ぐ猫

2007-01-25 | 旅日記

 旅の楽しさの一つは、全く予期せぬことに出会うことかもしれない。
 白と黒のきれいな猫が、のそりのそりとやってきた。
 「猫ちゃん、ニャオ、ニャオ」
 と、声をかけてみた。
 が、全く無視された。
 人間に無視されるのとは、わけが違う。まあ、いいか、と眺めていると、悠然と爪磨ぎを始めた。
 大楠の地上に出た、大きな板のような根っこを、爪磨ぎの道具に使うとは!
 なかなか賢いね。

 それにしても、大宰府に限らず、博多の町でも、大きな楠に出会う機会が多かった。今まで気づかなかったが、九州には、他の地よりも、年月を重ねた楠が多いのだろうか。
 

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大宰府の猿廻し

2007-01-25 | 旅日記
 人だかりがあるので、参道をそれて、私も行ってみた。
 ああ猿廻しか、と気づけば、さっさと通過するのが、普通の大人の行動かもしれない。が、私には相変わらず稚気の抜けきらないところがある。
 興味津々、集団の輪に加わって、猿の芸を眺め、感心することしきり。

 簡単な一重の輪から三重の輪へと輪くぐりをし、安来節も踊る。(写真)
 あるじの命令にすこぶる忠実である。それでいて、猿のすることだから、滑稽味がある。
 猿廻しは、縁起物として、お正月に家々を回ったものとか。新年の季語となっている。
 <猿は馬の病気を防ぐという俗信から、大名屋敷では厩で舞わせた>(広辞苑)とも記されている。私は単なる見世物興行かと思っていたのだが……。
 
 <猿=去る>という同音で、縁起物かと勝手に思ったのだが、そうではないらしい。
 猿には多分迷惑な話なのだろうが、その為すしぐさを見ていると、知能指数はかなりなもの。猿も楽しんでやっているのなら<メデタシ!メデタシ!>なのだが、猿の心や如何に?

 存分頬を緩ませてもらったお礼に、笊の中に百円入れて立ち去った。
 
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菅原道真の歌碑

2007-01-25 | 旅日記

 数度は太宰府天満宮を訪れているのに、「東風吹かばの歌碑」を意識して眺めた記憶がない。本殿近くの飛梅の木は、いつも眺めてきたのに……。
 そこで、今回は歌碑の位置をあらかじめ確かめておいた。
 それは参道の入り口、総合案内所のすぐ近くにあった。

 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ

 誰でもが知っている有名な歌が、丈高い石に刻まれていた。
 権力争いの実相について詳しくは知らないが、讒言の末、都を追われた道真の、流離の思いは、複雑なものであっただろう。
 歌碑の前に佇む人はなかったが、本殿脇の飛梅の老木の下には、大勢の参詣人がいた。つぼみの多い木を見上げ、二つだけ開いた梅の花に、皆歓喜していた。私も群集の中の一人として、頬を緩めて、ほころびた梅の花を眺めた。
 博物館から引き返す途中で、満開に咲いた紅梅の木を一本だけ見つけた。
 暖冬とはいえ、梅の本格的な季節は、もう少し後らしい。
 
 道真の歌といえば、他に、百人一首中の歌、

 このたびは幣もとりあへず田向山もみぢの錦神のまにまに

 があることを思い出した。
 この歌について、吉原幸子著「百人一首」には、
 <宇多上皇が百人の供を従えて十二日間の奈良旅行をされた折、一行に加わった菅原道真(845~903)の詠んだ歌。道真はこの時五十三歳、学者としても政治家としても絶頂期だった。>と、記されている。
 さらに歌については、
 <この歌は錦織のように技巧をこらし、《この度》に《この旅》を掛けたり《とりあえず》に二重の意味を持たせたり、しかも《神》に所属するはずの自然を改めて神への捧げ物にするなど、いかにも自信満々、余裕綽々という感じである。>と、述べている。
 さっき、改めてこの本を読み、作者の、詩人らしい説明に納得したところだ。
 遠い過去の、菅原道真という人物に、しばし思いを馳せてみたが、結局、確たる人物像は思い描けず、雲をつかむような曖昧さから抜け出すことはできなかった。

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太宰府天満宮 (今日は道真、左遷の日)

2007-01-25 | 旅日記
 朝日新聞の<今日のうんちく>欄に、『菅原道真、大宰府に左遷』という見出しで、901年の1月25日(旧暦)は、菅原道真が大宰府に流された日に当たる、と記されていた。
 二日前の23日に、天満宮にお参りをしてきたばかりの私は、改めて、今日がその日かと、蘊蓄のなさを恥じながら、興味深く記事を読んだ。
 左遷の日から2年後の903年2月25日(旧暦)に、道真公は大宰府で亡くなっている。死後、都には異変が相次ぎ、それを道真のたたりだと恐れおののいた朝廷は、復権させたり、太政大臣を贈ったり、また神として霊を慰めもした。
 道真を祀る天満宮は、時代を経て、今や「学問の神様」として、学問成就、合格祈願の対象になっている。
 菅原道真についての一通りの知識は持っていたが、左遷の日が今日であるとは知らなかった。
 藤原時平の讒言によって大宰府に左遷されるという悲運がなかったら、菅原道真は、現代、どのような評価や扱いを受ける存在なのだろう?

 大宰府に行ってこようと思い立った第一の理由は、九州国立博物館で開催中の「若冲江戸絵画」展を観ることだった。
 初めて訪れる博物館なので、旅立ちの前、インターネットで調べたところ、その在り場所は、太宰府天満宮の裏山のような位置なのだと知った。
 それなら、実に久しぶりに天満宮にお参りをし、好物の梅が枝餅もいただいてこよう、と楽しみを膨らませたのであった。
 天気予報によると、1月23日の福岡地方は曇り日となっていたが、終日日差しのある、暖かな冬日和であった。
 いまさら学問成就を願っても益ないことなので、一日でも長く、パソコンに向かって駄文を弄することができますように、と祈ってきた。

 写真は、楼門の手前から本殿に向かって撮ったもの。 
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新しい水準点

2007-01-22 | 散歩道
 昨年の11月21日のブログに、「水準点 3」の記事を投稿した。
 友人にいただいた地図から割り出して、二つ目の水準点を見つけた日の喜びを記した。
 ところが、昨年の暮れ、友人から、その水準点がなくなっていることを知らされた。そんなことがあるのだろうかと思いながら、その地点に出かけてみると、本当に忽然と消えていた。
 「水準点」と記された標識も、石組みに囲まれた、肝心な水準点そのものも、きれいさっぱりなくなって、1メートル四方にコールタールが塗られ更地になっていた。
 どういうことなのだろう?
 疑問を抱きながら、そのままにしていた。

 一昨日、町からの帰り、バスの車窓からぼんやり外を眺めていたところ、新たな場所に、「水準点」の標識があるのに気づいた。消えた「水準点」が、移されたのだろうか?
 およその位置を確認し、機会を見て出かけてみようと思った。

 昨日の朝、そうだ、散歩道を変更して前日見つけた「水準点」を見てこよう、そう思い立ち、いつもとは逆の方向に向かって歩いた。バスの停留所で数えれば五つ先である。朝の散歩を始めて、多少健脚になっているとはいえ、果たして往復できるだろうかと気になったので、バスカードをポケットに入れて出た。

 平素歩かない道には、それなりの面白さがある。ただ、車の多い九号線沿いなので、歩道を歩いていても、のんびりとはできない。それでも軒先の表札を確かめたり、大樹に出会うと、佇んで眺めたりした。
 目的地には、思いのほか楽に行きつけた。
 10メートルほど行過ぎたところで、目的物を通り過ぎてしまったことに気づき、引き返した。歩道の傍にある溝を隔てた、その向こうにある小さな空き地に、「水準点」の標識が立てられていた。すぐ地面を見渡した。だが、肝心な水準点がない。
 がっかりした。
 私の想像だが、標識だけが先に引っ越して、水準点の設置工事が遅れているのではあるまいか。折角、遠路を歩いてきたのにと残念だったが、平素より、心身が余計に鍛錬できたのだと思うことにした。
 いつも歩く距離より、かなり長かった。
 少し疲れはしたが、バスに乗ることはしなかった。

 歩いてみて分かったが、九号線は、意外に上り下りの勾配がきびしい。やはり散歩道にはふさわしくないと思った。
 が、今日は付録の喜びとして、鶯の初音を聞いた。結構確かな鳴き方をしていた。人里に小鳥がやってくる時期になったのだろうか。
 家に帰り着いて、庭を歩いていると、鳥影が視界をよぎった。羽を休めたのは椿の木だった。何鳥だろう? と、抜き足で近づくと、その枝に二羽のホオジロがいた。敏感に私の気配を感じて、すぐ飛び立ってしまったけれど。
 庭にも、小鳥たちの訪れるシーズンになったようだ。
 早速、リンゴを木の枝にぶら下げてみたが、餌を啄ばみに来てくれるだろうか。
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