ぶらぶら人生

心の呟き

冬の雷

2007-01-27 | 身辺雑記
 昨夜の雷は、物凄さの上に「超」をつけたくなるよな凄まじさだった。
 オーバーでなく、人生最大の雷鳴だった。
 <ああ、こんな形で、人生の終わりが来るとは!> と、暫くは落雷による死を覚悟したくらいだった。
 雷光が閃くと、瞬時テレビの画像が乱れ、間髪を容れず、轟音が家を揺るがし、屋根の上を駆け巡るのだった。屋根の上というより天井裏を戦車が走り回っている感じだった。
 どこに逃れようもなく、椅子に座ったまま、時が過ぎるのを待った。
 幾度となく繰り返す、雷様の、執拗なお怒りに震えおののきながら。
 心臓のためにもよくなかった。かなり脈拍数が増えていたはずだ。

 30年ばかり前にも、雷光雷鳴に打ちのめされたことがある。
 当時は、二階に私の居間があり、階段を駆け下りるのさえ怖くて、蒲団入れの押入れに身を潜めた。
 いい大人のすることでない。しかし、あのときの恐怖も尋常ではなかった。それなのに、歳月が過ぎて、雷光雷鳴の程度がどんなものであったかは、すっかり忘れている。

 今回が最大であり、30年ばかり前のそれが、第二ということになりそうだ。
 今回は冬の雷であり、30年前のそれは夏の雷であった。

 普通に「雷」といえば、夏の季語ということになっている。
 が、冬には、「冬の雷」(あるいは「寒雷」)とか、「雪起し」(あるいは「雪雷」「雪の雷」)という季語もあって、寒冷前線の通過によって、雷の発生することは珍しくないようだ。
 
 昨夜のそれは、雪起しの雷だったのだろうか。
 今朝は昨夜の荒れ模様が嘘のようで、いつものように朝の散歩にも出かけられた。昼間も、曇り時々小雨の、まずまずのお天気だった。
 が、昨夜の雷光雷鳴が突然やってきたように、突如どっさりと大雪が降るのだろうか。節分荒れということも言われる。

 妹に会ったので、昨夜の雷の恐怖を語ると、
 「去年のいつだったか、もっと怖い雷鳴があったでしょう?」
 と、言う。昨夜のそれが私の体験とは、少々異なる様子だった。
 10キロ離れていれば、状況はかなり違うのだろうか。
 何しろ、昨夜は、私の家だけが狙い撃ちされている感じだった。
 懲らしめられて当然、などといわれそうな、そんな悪いことはしていないつもりなのだけれど……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い実 26 (湯田温泉駅前)

2007-01-27 | 旅日記
 1月23日の朝、湯田温泉駅のホームで、到着の列車を待っているとき、ふり向いた先に奇妙な赤いものが目に入った。(写真)
 実? 花? それとも葉っぱ?
 ホームと木との間には少々距離もあって、一心に目を凝らしたが、私の視力では、定かな見定めができなかった。
 <何だろう?>という、私の心の呟きを察したかのように、隣に佇んでいた同年ぐらいかと思える女性が、
 「何でしょう? 木肌はクロガネモチみたいだけど、葉がありませんね」
 と、話しかけてきた。
 常緑樹のはずなのに、何らかの異変が起こったのだろうか。
 「赤い実」ということで、カメラに収めた。

 その女性と新山口まで同行した。
 水彩画を趣味にしているとのことだった。ただし、今日は孫の面倒をみに宇部に行くのだとか。
 人が一人存在するということは、そこに一つの異なる人生があるのだと、当たり前のことを、改めて考えた。
 おさな子のお昼寝の時間には、画帳を開いて、可愛い孫の安らかな寝顔をスケッチしている、そんな初老の女性の姿を思い描きながら。
 私の人生には、ついに無縁の光景であることを、別に寂しいこととも思わず。
 人には、一人ずつ、違った人生があっていいのだ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い実 25 (懐古庵の庭 ソヨゴ)

2007-01-27 | 旅日記
 「冬青」と書いて、「そよご」というらしい。
 別名 フクラシバ ソヨギ とも。

 懐古庵で、誕生日祝いの抹茶をいただきながら窓の外を見ていると、前庭の、すぐ目の前に、赤い実をつけた木があった。
 店主に、その名を聞くと、すぐには思い出せぬ様子だったが、やや時間を置いて、
 「思い出しました! ソヨゴです」
 と、教えてくださった。
 艶やかな、可愛らしい赤い実が、少し垂れ下がり気味についている。

 未知の木との出会い! 
 そんなささやかな喜びが、その日のささやかな幸せでもあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

温もり (懐古庵の火鉢)

2007-01-27 | 旅日記
 「どうぞお手を温めてください」
 懐古庵の店主に言われて、そっと手を置く。
 やさしい温もりが伝わってきた。

 だるまストーブならぬだるま火鉢(?)
 火の気は見えない。豆炭が灰の中に埋めてあるらしい。
 一日一個で、ほのかな暖かさが保てるのだとか……。

 形状も愛らしい!
 室内は程よい暖房が施されているのだが、陶器から伝わる、ほんわかした温もりは、心の芯にまで届いた。
 なんだか幸せな気分になった。
 さりげなく置かれた、お店の器物が、旅人の心を慰める。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする