ぶらぶら人生

心の呟き

赤い実 19 (旧国道にて)

2007-01-15 | 身辺雑記
 M 小学校の赤い実のなる木を見た後、再びタクシーに乗り込み、国道 9 号線に向かってもらった。
 旧道と新国道の交わる手前に、私が気にしている木はある。
 運転手が行き過ぎそうになるのを慌てて制し、木の近くの道路脇に止めてもらった。

 木の下に佇んでみると、車窓から見ていたのより、さらに立派である。
 運転手も、「これは見事ですね」と感心の様子。
 枝ぶりがいい。しなだれた枝の形が美しい。
 実は、房のように集まりながら、そのつき方には、秩序が感じられる。
 葉の大きさも、ピラカンサスとは比較にならないくらい大きい。

 「赤い実」について書き始めて以来、色々な実のなる木を眺めてきたが、木の大きさといい、実のつき方といい、一番見事である。王様然としている。
 
 クロガネモチだろうか。
 植物の見分けは、大変難しい。
 
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赤い実 18 (M小学校前)

2007-01-15 | 身辺雑記
 今日のような好天に恵まれると、この後にひどい嵐の日が訪れるのではなかろうか、そんな危惧を抱きながら、冬日和の日は外に出るべし! と、用事もあって町に出かけた。
 が、肝心な仕事は、お店が閉まっていて果たせなかったが、食料品を買い求めたり、外食したりした。
 食事を終え、コーヒーを飲んだところ、予定のバスには間に合わなくなった。次のバスまでには、一時間ある。
 買い物を先に済ませてしまったので、荷物を持って、図書館やグラントワに出かけるのは、気が重い。
 そこで、思いついたのが、タクシーで帰り、途中で二箇所、寄り道をしてもらうことだった。車を持たない者は、タクシーを存分利用しても、車の所有者の必要経費には遠く及ばない、と聞いている。不必要な贅沢をする気はないが、こんなときこそタクシーに乗ろう、そう思って実行。
 運転手に寄り道先を告げ、車を走らせてもらった。

 バスの車窓から眺めると、赤い実を沢山つけて一際目立つ木が二本あるのだ。昨年末から気になりながら、途中下車して確かめる機会を逸してきた。
 運転手はまず、M 小学校の入り口に車を止めてくれた。旧国道側の校門左側に、その赤い実をつけた木はある。
 縦横無尽に枝をはびこらせ、無造作に赤い実をつけている。
 ピラカンサス? 実はそれによく似ている。
 棘があるのだろうか? 手の届く範囲では、それを確認することはできなかった。
 M 小学校は、運転手の母校とのこと、「昔からあったような、ないような」など言いつつ、懐かしそうに赤い実の木を眺め、私の執心に対しては、いささか不思議そうであった。
 結局、その木の名前は分からないまま、次の木に向かった。学校へ電話して聞けば分かるだろう、と話しながら。

 帰宅後、M 小学校には、知人のいることを思い出した。そうだ、彼に電話してみよう、そう思い立ち、早速、受話器をとった。
 折よく、私の由無し事を聞いてもらえる状態だったので、木の名前を尋ねてみた。棘のある木、という答えは返ってきたが、名前は分からないとのこと。間違いなく棘があるのなら、やはりピラカンサスだろうか、私の心は半信半疑だ。
 調べて見て、改めて電話するからとのことだった。

 小一時間経って、彼から電話があった。
 小枝を折って、学校前の公民館へ聞きに行ったところ、公民館の人も一緒になって調べてくれた結果、「ピラカンサス」(ピラカンサともいう)に間違いなかろうという結論になったとのこと。
 別名「常盤山樝子(ときわさんざし)」とも言うそうですよ、と、説明が付け加えられた。そのことは、私もパソコンで調べて知っていた。橙色の実のなるものは「橘擬(たちばなもどき)」ということも。(註・2006年12月28日参照)

 やはりピラカンサスなのだった。木の高さは、大小様々らしい。成長するままに放置すれば、3メートルから5メートルにも達するらしい。これも彼に教えてもらった。
 この木の見分けは大丈夫、と思っていた(1月7日にも、ピラカンサスのことを書いている)が、まだまだ怪しい。高さが違えば、ほかの木だろうと思ってしまうようでは……。

 M 小学校の知人には、迷惑をかけてしまった。
 が、彼はすこぶる気のいい人で、「僕の方こそ、勉強になりました。構内にある木の名前も分からないようではねェ……」と、むしろ恐縮気味でさえあった。
 
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小さなコンサート

2007-01-15 | 身辺雑記
 13日(土)、グラントワで、小さなコンサートを聴くことになった。
 予定せずに、こんな至福のときを持てるのは、最高だ。
 実は、館長の講演を聞くつもりで出かけたところ、今から演奏会が始まるという。
 講演会場の席を取ってから、30分の演奏を聴くことにした。

 プログラムの表題には、「吉川二郎 コンサートフラメンコギターの調べ ギターで描くスペインの情景」とあった。
 「扉を開ければ」(西川二郎作曲)は、本人による独奏。
 後の3曲「幻想曲”アランフェス”」「カディスからハバナへ」「セビーリャ」とアンコール曲は、弟子である野口久子さんとの共演。(写真 二人の演奏)

 フラメンコギターによる演奏を聴くのは初めてで、静もりの中に繊細で美しい高音の音色が響き、ひと時、長閑さに浸ることができた。
 その演奏者についても、全く知らなかったが、既に9枚のCDが発売されているようだ。創作や演奏活動を盛んに行う傍ら、弟子の育成にも努め、フラメンコギターリストして著名な方のようである。
 最も新しいCD『扉を開ければ』は、昨年12月に発売されたもの。その前の10月には、CD『高村光太郎「智恵子抄」より』が発売されているようだ。こちらは、ぜひ購入し、聴いてみたいと思っている。私の好きな詩集「智恵子抄」が、吉川二郎氏によってどのように解釈、作曲され、フラメンコギターによって、どんなふうに演奏されるのか、今から楽しみだ。

 いいものに出会うためには、億劫がらずに出歩くこと!(私自身への戒め)
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