ぶらぶら人生

心の呟き

ミゾソバの花

2006-10-25 | 散歩道
 群がって咲くミゾソバ。(写真)
 散歩していて、近くの堤で見つけた。
 山口の後河原を思い出した。
 この季節、一の坂川の川原には、ミゾソバが賑やかに咲き満ちる。

 華やかさはないが、可憐なピンクの集合体は、静かでさわやかだ。
 白や淡緑の花もあるらしい。
 が、私の眼にするミゾソバは、ピンクばかり。
 
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豆の花

2006-10-24 | 旅日記

 松江で妹夫婦に会うときには、よく「清松庵」という喫茶店でコーヒーを飲む。
 宍道湖を遠望できるお店で、和菓子屋さんでもある。

 美術館を出て、昨日も、そのお店に行った。
 窓辺の席に座ると、私の席から見える白壁に、木の枝影がそよいでいた。繊細な風情が気に入った。(写真)
 窓ガラス越しに撮った写真で、決していい出来ではないけれど……。
 木々の隙間に見える宍道湖が波立ち始めていた。天気予報は、かなり高い確率で雨を予報していたが、私が松江にいる間は、雨にならなかった。

 コーヒーを飲みながら、私は、朝の散歩のことを話し、野菜の花もずいぶん見覚えて、カメラに収めたことを話した。
 すると、妹が「相変わらずね」と笑い、私が子供のとき、豆の花を採ってきて、母に叱られたことがあるでしょう、と言うのだ。
 私には、全く記憶にない話だ。
 他家の畑から、きれいな花が咲いていた、と採ってきたというのだ。
 えんどう豆の花だったのだろうか。
 空豆の花より、そちらが子供に好まれそうな感じがする。
 「それはお豆になるのだから、採ってはいけません」
 そう、母はたしなめたのだろうか。
 恐らく叱られるというより、たしなめられたのだろう。

 母に存分叱られた思い出は、二回ある。
 いずれも小学校の低学年のときのことだった。

 一度は、お使いに行って、釣り銭を失くしたとき。
 人から頼まれたことに対して、無責任なことは絶対にいけないのだと、母は叱った。なくしたものは、自分で探してきなさい、と言われ、日暮れ近くなって、ただでも寂しい道を、地面に落としたらしいお金を一心に探しながら、往復したことがある。半泣きしながら。
 母は、失くしたお金が見つかるなどとは思ってもいないのだ。無責任な行為は許されないのだと、私に自覚させるために、探しに行かせたのだった。
 しょんぼりして帰ってきた私を、更に叱ることはしなかった。
 「これからは同じ失敗を繰り返してはだめですよ」と言ったきりだった。

 もう一回は、買ってもらったばかりの三角定規を失くしたときだった。
 登校しようとして、定規のないことに気づいたのだ。前日、教室で落したに違いない。
 「学用品を粗末にする人は、学校に行く必要はありません」と、怒られた。納戸の中に入って、よく反省しなさいとも……。
 学校を休むのは断じていやだった私は、しくしく泣き出した。
 そのとき、助け舟を出してくれたのは、今は亡き二歳上の兄だった。
 「Yちゃんは、今度はもう失くさないから、許してあげて!」と。
 母は、兄の顔を立て、お金を兄に渡した。兄は私の手を引いて、文房具店に行き、黄色い三角定規を買ってくれた。これなら、人との違いがはっきり分かるからと。
 帰宅してみると、母は定規入れの袋を縫ってくれていた。黒い繻子の袋に、赤糸で私のフルネームが刺繍してあった。
 母は、裁縫箱からへらを取り出し、これは子供のときから使っているもの、大事に使えばいつまでも使えるのだと言った。続いて、尺指しを取り出し、これだってずいぶん古いものだと言った。見ると、母の旧姓が書いてあった。
 「三角定規にも、名前を彫ってあげよう」
 母は、そう言って、苗字を入れてくれた。
 高校を卒業する時まで、その三角定規を使った。母の縫ってくれた黒繻子の袋に入れて。

 妹から見れば、姉の私が母に叱られていると思うことは、意外に多かったのかもしれない。母は、しつけに厳しかった。長女の私をしつければ、妹たちはひとりでに見習うだろうとの考えだったようだ。
 しかし、そうした厳しさは、私には叱責とは思えなかった。日々の教えと思っていた節がある。
 お箸の持ち方、履物の脱ぎ方、整理整頓の仕方等など、細やかにしつけられた。が、私は生来不器用で、おっとりしていて、母の願いどおりには育たなかったようだ。幾度も、同じ注意を母にさせてしまった。それが妹から見れば、よく叱られているように見えたかもしれない。
 私の記憶の中からはすっかり消え落ちている「豆の花」の話から、母のしつけの厳しさや存分叱られた記憶が蘇った。
 私自身には、兄や妹が母に叱られていた場面の記憶がない。
 どうも私が、兄妹の中で、ひときわ頼りない子であったのかもしれない。
 しかし、母には怒られもしたが、情愛もたっぷりもらって、大人になったような気がする。

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「田園への誘い」展

2006-10-24 | 旅日記
 ふらりと電車に乗って、旅するのが好きである。
 松江まで行ってきた。
 島根県立美術館で開催中の「田園への誘い」展を観に。
 サブタイトルに、<バルビゾン派を中心に>と、ある。その前後の作品も展示されていて、かなり見ごたえがあった。
 ミレーやルソー、今回のポスターにも取り上げられていたトロワイヨンの作品、さらにはコローやクールベ等など。
 自然の風景は、心を和ませてくれる。自然と人間、更には牛、馬、羊、犬、鶏など動物たちとの関わりも、今回の絵ではよく描かれていた。

 第一展示室に入ったところで、一枚の絵に魅了された。
 ムリーニョの「悲しみの聖母」である。引き返しては、また眺めた。
 身近に置きたくて、<マグネット プレート>を求めてきた。(写真)
 ムリーニョは、17世紀のスペインの画家。他の展覧会でも、この作家の作品に心を奪われたことがあった。どこの美術館で、作品名が何であったかは思い出せないけれど。

 今回、展示された作品は、山形の「山寺 後藤美術館」の所蔵作品なのだそうだ。その名を聞いたことはあったが、山寺にあるのだとは知らなかった。
 山寺と知って、「?」と思った。というのは、山寺は曾遊の地だからである。そんな美術館があったかしら? と思ったのだ。
 もらってきたパンフレットを見ると、平成6年に開館した、とある。
 私が旅したのは、昭和40年代の昔だ。そこにあることを知らなくて当たり前だった。
 夏の暑い日だった。それでも、山寺は陽が翳ると、幾分涼しくなった。
 立石寺を真正面に眺められる旅館(当時はホテルと呼べるような宿泊施設はなかった)に、一泊した。
 思い出の中に佇むと、時間がしばらく停止する。
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荒唐無稽な夢

2006-10-23 | 身辺雑記
 おかしな、あり得ぬ夢を見て目が覚めた。
 96歳の私が、老婆らしさもなく、朝の散歩道を風を切るように歩いているのだ。
 背筋が、今よりもぴんと伸びている。
 実に堂々と闊歩している!

 昨日は父の祥月命日で、父を偲びながら、死の日まで病臥することなく生きた父のように、私の余生を生きられたら……、などと夢想したことが、夢の中で、あり得ない姿になったらしい。滑稽至極な夢だった。

 父は、ごく平凡な市井の人であったが、父の亡くなった年齢で、なお芸術活動を続けている陶芸家、三輪壽雪のことなども、昨日は頭の中をよぎった。
 96歳で、あのように生きている人もある!…と。
 山口県立萩美術館・浦上記念館で、「人間国宝三輪壽雪の世界」展を、先日観たばかりだ。
 陶芸作品に対する自分の好みは別にして、つい最近の作品「鬼萩割高台茶碗」などには、96歳という年齢を感じさせない力強さがあった。それは、芸術家の秘められた精神の強さでもあるのだろう。
 私もその年まで、パソコンを開き、ブログに文章を投稿し続ける生き方ができたら…、そんな夢想を昨日は楽しんだ、それが夢の中で実現したらしいのだ。

 現実には、近未来しか考えられない私だが、夢なればこそ、あり得ぬ世界に遊べたということのようだ。
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石蕗の花、満開

2006-10-22 | 身辺雑記
 静かな秋の一日。
 裏庭に出てみると、石蕗の花が満開だ。
 一本の伸びた茎の上に、放射状に枝分かれした、その頂に、花が咲きそろうと、穏やかな華やぎとなる。
 前庭に回ると、ここも満開。

 12年前、平成6年の今日、やはり石蕗の花が咲いていたのだろうか。
 全く思い出せない。花を眺めるだけの、心のゆとりはなかったのかもしれない。
 すでに居間には電気炬燵を出していた。特別その年が寒かったわけではなく、高齢の父のために、早めに出していたのだろう。
 その朝、顔を洗いに洗面所に立った父が、部屋に帰る途中で廊下にうずくまった。そのまま立てなくなった。30キロに痩せ細ってはいたが、私の力ではどうすることもできず、近所の人の助けを借りて、ベッドに寝かせた。
 かかりつけの医師の往診を受けた。私の目にも、父の衰弱は相当ひどく、お医者様の目には、余命のないことが分かっていたのかと思う。入院をことのほか嫌がる父に、医師はあえてそれを勧めることもされなかった。
 
 数日前から、特に食が細くなっていた。食卓に向かっても、食事が欲しくなそうだった。と同時に、日中も、横臥することが多くなっていた。
 危惧を感じた私は、前夜、兄妹に電話し、最近の容態を知らせた。
 父が立てなくなった日の午後、近くに住む妹が見舞いに来た。炬燵を囲んで、三人で話をした。夕方、帰宅する妹に、父は、「また来てね」と言ったが、父はその日の宵に、息を引き取った。
 私は、数日間、校正の仕事などで、寝不足になっていたので、その夜は早く休もうと、九時過ぎ、「お休み」を言いに父の枕元に行った。
 そのとき、父の命は、すでになかった。あっけないほどの最期だった。

 父は、私に何一つ看病らしいことをさせずに、96歳4か月の生涯を閉じた。
 その父の、今日は祥月命日。
 すでに法要は済ませているが、今日は、亡き父を静かに偲ぶ一日としたい。
 夕方、同じ市内に住む妹夫婦が、お参りに立ち寄ってくれた。

 今日は、詩人、中原中也の命日でもある。
  
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海らしい海

2006-10-21 | 散歩道
 今朝の海は、久しぶりに波立っていた。
 これでこそ日本海!
 しかし、今朝の波立ちは程よいもので、荒れ狂う姿からは遠い。
 いい眺めだ!
 湖水のような海は、本当の海ではない。白波が寄せてこそ、海。
 耳に聞く波音も、子守唄のようでは、海の音とはいえない。
 今朝は、海が海の音を立てていた。

 海へ下る前、箒草のある家の前で、主にまた会った。
 黙って撮影させてもらったことを詫びた。
 互いに知らぬ者同士と思っていたのに、主に、私より二年下だと告げられた。そして、妹の名前を言った。それは、私の下の、更に下の妹の名であった。五つ違いの妹である。この主も五つ違いということらしい。
 先日、家から漏れる幼子の声を聞き、庭先で見かける主が、若いお爺さんらしいと想像した、私の、その品定めは当たっていた。

 話しているうちに、私がブログに書いた「エンジェルス・トランペット」の花を、海の見える丘に植えているのも、同じ人であることが分かった。その側の畑も、同人所有のもなのだそうだ。それとも知らず、ゴーヤーを始め、野菜の花なども撮らせてもらった……。
 その家とトランペットの丘とは、急勾配の坂をはさんで、かなり離れている。私にとっては難所だが、車で往復すれば、分けないことなのだろう。

 話題となったその丘に今朝も佇み、高所から白波の海を眺めて帰ってきた。
 晴れ晴れとした気分だ。
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トラノオ

2006-10-21 | 散歩道

 丈高く伸びた茎の上に、紫色の小花を集合させ、ひょろんと長く房状に伸びて咲く、この花にあまり好意を持っていなかった。(写真)
 他家の庭先でよく見かける花だ。写真は、いつも通る道の、すぐ側の畑に植えられているものを撮らせてもらった。
 先日、同じ花を、ピンクのシュウメイギクと一緒にもらったので、花瓶に挿してみた。花を中心に眺めると、決して見捨てたものではない。
 そういえば、あの可愛いコスモスだって、花だけを眺めるからいいのであって、茎や葉の部分を含む総体で考えたら、決して高い評価は得られないだろうから。
 
 この花の名は、「トラノオ」だと、教えてもらった。
 虎の尾に似ているところから命名されたのだろう。
 花の構造を仔細に眺めると、なかなか精密にできている。
 近くで見ると、紫の色も高貴だ。

 以前住んでいた家の庭先で、母が育てていた花に、「カクトラノオ」というのがあった。それは、丈ももう少し低く、薄紫の上品な花をつけていたことを、思い出した。
 花の房が、直方体の形をして先の部分が次第にすーと細まっていた。そこで、「トラノオ」の上に「カク(角)」がついたのだろう。全体的に、カクトラノオの方が、トラノオより小ぶりで色もおとなしかった。

 その気で眺めれば、野の花も、園芸用の花も、その種類の多彩さに感心する。
 観察者は、自分の好みで好きだとか嫌いだとか言って適当に眺めているが、生き物としての植物は、人に媚びることもなく、自らの命をただひたすら生きているだけなのだろう。特に野生の花のたくましさには感動する。

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どんぐり ころころ

2006-10-20 | 散歩道

 散歩のとき、足元を見ながら歩くことは少ない。
 道の両脇の草花や樹木、あるいは空を眺めて歩くことが多い。
 珍しく、今朝は地上に目がいった。
 団栗を見つけたのだ。ここにも、あそこにも、転がっている。

  「どんぐりころころ どんぐりこ」(正しくは、どんぶりこ

 うろ覚えの童謡を口ずさみながら、団栗を拾った。殻を着たのもある。上を見上げて、どの木が実を落とすのかを確かめたが、よく分からない。
 桑の実の熟するころ、友達と幼い日を懐かしみ、桑の実を食べに、ここに来たことがある。しかし、その桑の木さえ、どの木なのか葉だけで判別するのは難しい。
 道を覆うように、様々な老木が、崖の上に生えているのだ。
 私は、拾った団栗をズボンのポケットに入れて持ち帰った。

 友人に見せたら、「これ、太鼓団栗」と言った。子供のころ、そう言っていたと。
 私自身は、太鼓団栗という呼称についての記憶はない。確かに、この団栗は、太めで太鼓型をしている。子供同士が勝手に名づけた名前かもしれない。
 実を拾いながら、団栗は、こんなに丸かったかしら、と思った。もう少し細長い実のような気がしていたのだ。私がイメージしているのは、椎の実かもしれない、とも思った。幼い日、小暗い神社の杜で、拾って食べたのは、あれは確か椎の実だった。それと混同しているのかもしれないと。

 帰宅後、童謡「どんぐりころころ」を調べてみた。
 初めて知る知識がいろいろあった。
 作詞 青木存義(あおきながよし)<1879~1935>
 作曲 梁田貞(やなだただし)<1885~1959>「城ヶ島の雨」なども作曲した人。
 歌歴については、大正10年、「かわいい唱歌」に紹介され、昭和22年、「2年生のおんがく」(文部省発行)に採用されて、広く歌われるようになった、ということを知った。
 私自身は、どういう経緯で、この歌を覚えたのか知らない。いい加減な歌詞を歌っていたところからすると、聞き覚えだったのだろう。

 正しい歌詞は、

 どんぐりころころ どんぶりこ     どんぐりころころ よろこんで
 お池にはまって さあ大変      しばらく一緒に  遊んだが
 どじょうが出て来て 今日は     やっぱりお山が 恋しくて
 坊ちゃん一緒に 遊びましょう    泣いてどじょうを 困らせた

 元来、歌詞はここまでだったのに、3番を作った人があるのだそうだ。その人の名は不詳とする人もあれば、固有名詞をあげている人もある。曖昧模糊のようだから、不詳説に従っておく。3番は、今歌われているのかどうかも知らないが、

 どんぐりころころ ないてたら
 なかよしりすが とんできて
 おちばにくるんで おんぶして
 いそいでおやまに つれてった

 というのだそうだ。
 3番は、リスの友情で、めでたく終結してはいる。が、2番まででも十分ではないだろうか。ずいぶん含蓄のある内容だと思う。これを歌う子供も大人も、その歌詞からそれぞれの思いを温めることができるのだから。
 「お池にはまって さお大変」と2行目にある。「どんぶりこ」という表現は、その歌詞に掛かるのだと知れば、「どんぐりこ」ではまずい。団栗が浮いたり沈んだりしながら流れている、その様を表そうとしているのだから。
 「どんぐり」を「どんぐりこ」と言い換えた、愛らしい表現もあるために、私のように間違って歌う人もあるのだろう。
 作詞 北原白秋 作曲 弘田龍太郎による童謡に、「どんぐりこ」という歌のあることも知った。こちらは多くの人に歌われているのかどうかは知らない。
 「どんぐりこ」「どんぐりこッこ」「どんぶりこ」「どんぶりこッこ」などの語句を組み合わせた、言葉遊びのような歌で、「どんぐりころころ」のような中身の濃さはない。

 私の拾った団栗が、植物としては、どの木の実なのか、これについも調べてみたが、はっきりとは判別できない。クヌギではないだろうか? と、思っているのだけれど……。
 
 

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朝の船出

2006-10-20 | 散歩道
 海辺に着いたとき、ちょうど一艘の小船が小さな湾を出てゆくところだった。
 何をとりに、どこまで行くのだろう?
 船にはひとりの漁師が乗っているだけ。
 船出には、いつも期待があるに違いない!
 見送る私の内部にも、希望のようなものがぼんやりと膨らむ。

 連日、波の静かな海だ。
 今朝は干潮時に訪れたらしく、汀線(干潮線)が、いつもより遠い位置にあった。
 「もっとこちらへ!」へと、招きたいのに、波は遠い位置から沖の方へ引き返す。
 さやさやと静かな波音を残しては後退し、また次の波が押し寄せる。

 ※ 「干潮線」とか「汀線」とかいう言い方のあることを辞書で知った。
    「海岸線」を定めるときには、この「汀線」が関係することも。


 近所に住む友人が、烏賊がとれたからと、昼前、持参してくれた。
 昨夜、息子がとってきたのだと。
 今は闇夜だから、漁火に烏賊が寄ってきやすいのだろう 。

 今朝の船は、真昼間の海で、何を釣って帰ったのだろう? 
 
 
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ピンクのシュウメイギク

2006-10-19 | 散歩道
 視界にあっても気づかなかったのかどうか、花弁がピンクで一重のシュウメイギクに、この秋、初めて気づいた。
 散歩の帰り道、同級生の家の庭に、たくさん咲いているのを眺め、その淡いピンクが気に入った。
 花瓶に挿せと、バラやトラノオなどと一緒にもらってきた。
 やさしい色の花だ。白はちょっと寂しすぎるが、ピンクの方には、恥じらいに似た心ばえがあって、そっと目をかけてやりたくなる。

 私の庭には、数年前、妹からもらった白のシュウメイギクガ一本ある。植え場所を失敗し、今年は車のタイヤに踏まれて花を咲かせることがなかった。時機を見て、移植した方がいいようだ。
 妹に、ピンクのシュウメイギクの話をすると、妹宅には、ピンクも白もあるとのことだ。足しげく訪問すれば、そこでも眺められたのだろう。
 姉妹とはいえ、生活の場をことにすると、往来はそう頻繁にはできなくて、電話で用を済ませることが多い。 
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