ぶらぶら人生

心の呟き

「藤田嗣治」展と『藤田嗣治「異邦人」の生涯』

2006-10-26 | 身辺雑記

 広島県立美術館で、「藤田嗣治」展を観たのは、九月の半ば過ぎだった。
 そのとき求めた『藤田嗣治「異邦人」の生涯』(近藤史人著・講談社文庫)を読みさしにしたまま、日を重ねた。先日、松江に向かう車中で、やっと読了した。

 世界的な大画家でありながら、藤田嗣治は、生存中、日本画壇においては不人気だったようだ。
 その原因は、何にあるのだろうか。
 この書を読み終えた後にも、なお、この点については疑問符が残った。
 自画像に見られる独特なスタイルや生涯に五度も結婚を繰り返すなど、かなり奔放な人生を送った画家ではあるようだ。そうしたことが嫌われる原因だったのか?
 また戦中には、積極的に戦争を素材とした絵画に取り組み、戦後、画家仲間の顰蹙を買った面もあるようだ。当時、戦争画を描いた画家は藤田嗣治だけではなかったにもかかわらず。

 1949年、藤田嗣治は居心地の悪い日本を後にした。そのとき63歳。まずアメリカに滞在し、翌年フランスに渡っている。
 1955年、フランスの国籍を取得。再び日本に帰ることはなかったらしい。
 日本人でありながら日本に安住を得られず、異邦人さながらに生きた画家。
 フランスにおいても、国籍を取得したとはいえ、本質的には異邦人であり、複雑な思いの中で生きるしかなかった画家。
 近藤史人氏が、表題に<「異邦人」の生涯」>としている意味がよく分かる。その胸中を思うとき、常に満たされぬものがあったのではなかろうか、と思える。
 
 人間は誰も、自ら自分の生きる時期を選ぶことは不可能だが、1886年~1968年を生きたこの画家の生涯は、戦争とのかかわりが深かった。
 画家自身も、1939年9月の日記に、次のように書いている。
<私ほど戦争に縁のある男はいない。1913年パリに来て一年目に欧州大戦争にぶつかり、日本へ帰れば日支事変にあい、5月パリに来て、この9月には又戦争に出くわしてまるで戦争を背負って歩いている男だと、W君に言われて成る程そうだと自分で思った。>(近藤史人著『藤田嗣治「異邦人」の生涯』P245より)
 この後も、1945年の敗戦まで、藤田嗣治は、<戦争を背負って歩く人>であり、更に戦後は強烈な非難さえ浴びなければならなかった。
 この時代をもし生きなかったら、などという仮定でものを考えるのは、無意味なことではあろう。だが、戦争に大いに翻弄され禍された人間の一人であったことは間違いない。

 戦争画という特殊な絵はのぞいても、長い画家人生の中で、画風にかなりの変遷があることを、この度の展覧会で初めて知った。
 多くの作品の中から、好みの一点をということになれば、戦後の代表作「カフェ」(1949年)を選びたい。カフェに座る女性は、かつてエコール・ド・パリの時代、藤田の色として好評を博した「乳白色の肌」で描かれた女性である。ただ、表情は憂いに沈んでいる。目の描き方に特色がある。晩年、多くの子供を描いているが、目はすべて「カフェ」の女性と酷似している。
 自画像の多くも、決して陽性な顔ではない。表紙カバーの自画像は、1929年の作品だが、当時はパリの寵児であった人にしては、どこか暗い影がある。
 藤田嗣治の一枚の絵には、「カフェ」にしても、この「自画像」にしても、背景や近景に様々なものが描かれているのも特色のようだ。テーブルの上を見ても、それぞれに小道具が細やかに描かれてる。

 人は一般的に、他人に対しては結構厳しい。誰も、生きてゆくうえで、毀誉褒貶はまぬかれない。
 それを考慮しても、依然、藤田嗣治の、日本画壇での不人気の原因は、よく分からない。
 結局、藤田嗣治という人物が、体質的にも人間的にも、日本人の枠を大きくはみ出していたということなのだろうか。
 没後の評価については、よく知らないが、展覧会の絵を観る限り、興味のある画家であったし、画才を感じる画家でもあった。
 画家としては成功を納めた人といえるのであろう。
 が、一人の人間としてはどうなのだろう?
 最晩年は、カトリックの洗礼を受け、「一生の終止符を打つ仕事」として、礼拝堂を建設、そこにフラスコ画を完成したといわれる。
 そこで初めて、心の平穏が得られたのかもしれない。
 しかし、華やか生涯にもかかわらず、なんだか寂しげな境涯に思える。
 私は、そこに引かれるのだが……。
 私は昔から、順風満帆の人よりも、どこか翳りのある人に関心があるようだ。

 近藤史人著『藤田嗣治の「異邦人」の生涯』は、実に精細に調べて書かれた本で、画家の生涯を知る上で、大いに参考になった。

 (写真は、近藤史人著『藤田嗣治「異邦人」の生涯』と入場券)

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朝顔の末路

2006-10-26 | 散歩道
 初夏から初秋にかけて、目を楽しませてくれた朝顔も、枯れ姿となった。
 中学校のテニスコートのフェンスに伸び上がり、威勢よく花を咲かせていたのだが……。
 ものには終末があるからいいのかもしれない。
 永劫に続くものが必ずしもすばらしいとは言えない。

 緑の葉も、紫を基調とした花々も、今はすべてなくなった。
 茎だけは枯れ色になりながら、フェンスの金網に絡まったままだ。
 花は実となり、その実も大方は地に帰ってしまったようだ。
 茎も老いてぼろぼろかと、折り取ろうとしてみたが、なかなか折れるものではない。
 強靭さを失わないまま立ち枯れた姿も、また美しい。(写真)

 こんなものに美を感じるのは、神経が少々異常だろうか?
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