朝の散歩を始めた最大の理由は、体調の向上にあった。
わずかずつ体重の増えることが気にはなっていたが、運動が大の苦手なので、進んでスポーツに取り組むことも、健康のために良いと言われるウォーキングをすることもなく、長年を過ごしてきた。
ただ体脂肪測定器の画面で、<体脂肪、やや多め>とあるのを見て、少し考えなくてはまずいだろう、と思い始めたのだった。
その結果、楽しみながらできる方法として思いついたのが、自然観察をかねた朝の散歩であった。カメラつき携帯を携えて、夜の白むのと同時に家を出るという生活は、やり始めてみると意外に楽しいものであった。
朝寝坊の常習犯で、午前中を無為に過ごすことの多かった生活のリズムも、ひとりでに改善された。
最近は、早寝早起きの習慣も身についてきた。
8月の末近くから始めて、一か月が過ぎた。
始めは三日坊主に終わるのではないだろうかと、自信が持てなかったのだが、思いのほか続けることができた。
ブログの項目に、「散歩道」を追加し、道々出遭った風景などを写真入りで書くという作業が、散歩の継続を助けてくれた面もある。小さな発見を書き記す楽しさ、それが日ごとの喜びにもなっているのだ。
風邪を引いたり、体調を崩したりしない限りは、この良い習慣を続けられそうな気になっている。
薄明のころから夜が明けきるまでの、空の変化を眺めるのはなかなか楽しい。
同じ繰り返しのようであって、空も海も、変幻自在に移ろうものであり、それを日ごと眺めるのは心の弾むことである。
植物も一か月の間には、ずいぶん変化した。
私の散歩で出合った草花を、昨日A4の光沢紙に編集し、季節の花々の多さに改めて感心した。家の中に籠っていては、ついに見ることのできない草花である。
そんなことをして、どれだけの意味があるのかと自問すれば、人を納得させ得る答えは何もない。が、自分にとって、それがささやかな喜びであれば、それでいいのではなかろうか、と自答している。
散歩を通しての出会いは、いろいろある。
昨日のブログには、朝の散歩で出合う犬を連れた人や同級生のことを書いた。
が、出合うのは犬ばかりではない。
たまに猫にも出合う。
写真の子猫も、散歩で出合った一匹である。
他家の垣根に咲く白い花(センニンソウ)を見確かめるために、散歩道を変えた日、偶然、この子猫にあった。
実は、この子猫の横には体を摺り寄せるようにして、もう一匹、瓜二つの子猫がいたのだ。これは面白いと思い、二匹仲良く並んだ子猫をカメラに収めようと、私が近寄っていったとたん、近くの草むらにいたバッタが驚いて邪魔をしてしまった。
好奇心の旺盛らしい一匹は、たちどころに飛び上がり、バッタを追いかけたのだ。
写真の子猫だけは泰然自若として、バッタにも、私にも、動ずる気配がなかった。
あまり可愛くない目つきで、私を睨み返していた。
カメラを向けても、平然としていた。
私に注意を向けさせようと、猫の前に腰を落とし、「ニャーオ、ニャーオ」と、猫語で 話しかけてみたが、まったく関心を示してくれなかった。
バッタを追っかけた子猫の行き先を目で追うと、三メートルと離れない、家の軒先に、座って私の様子を見ている。その傍にはもう一匹、そっくりの子猫がおり、さらには、三匹の子猫の母親らしい、似もつかぬ黒猫もいた。
「あんたたち、お父さん似なの?」
通じるはずもないことを猫に語りかけてみたが、一向に擦り寄ってくる気配も見せないので、私は立ち上がり、「バイバイ」と言いつつ、手をふって別れた。
その後、その日の、特別な散歩コースに足を向けたことがない。
子猫たちは、きっと無事に大きくなっていることだろう。家の軒先にいたところから察して、おそらく飼い猫なのだろうから。
私は元来、猫も犬も嫌いだった。
怖かったのだ。人間の私が優位に立てず、犬や猫を見れば、たちまち怖けてしまっていた。
犬は今なお好きになれない。
散歩で出合っても、私の方から早々に道を譲る。今では、飼い主が常に一緒だから、昔、野良犬に出合ったときの怖さはない。
猫を愛らしい動物だと思うようになったのは、平成4年の夏のことだった。
母の葬儀の日に、目を負傷した子猫が、裏口から家に上がりこんできたのだ。食べ物を乞う感じが哀れで、妹が餌を与えた。
それを機に、ここを住処と、いついてしまったのだ。
妹はやがて大阪に帰り、私が子猫の面倒を見ることになってしまった。
猫嫌いだった私なのに、愛らしい子猫を見ているうちに、たちまち愛猫家に変身してしまった。
あまりガツガツとよく食べるので、「チャンマオル」と名づけた。「食いしん坊の猫」という意味である。
そのころ学習していた中国語の教材に登場する、よくもの食う猫が、そう表現されていたので、それにならっての命名で、決して名誉な名前ではなかった。
呼び名としては長すぎるので、食いしん坊を意味する「チャン」を愛称とした。
実に短い期間だったが、私は、「チャン」を親愛なる友として過ごした。それ以来である。猫が嫌いな動物でなくなったのは。
気の優しい、利口な猫だったが、一面ひ弱な猫だったようだ。よく食べるので、小猫はすぐに大猫となり、体重は5キロもあって、私の膝の上で眠ると、その重さに耐えかねるほどだったのだが……。
家にいついて一年半後の三月の初旬、まだ夜の寒い時期だった。
襖の取っ手を見上げて、哀れげな声で、戸を開けてくれと訴えるので、
「早く帰っておいでよ、外は寒いからね」
と、外に出してやったところ、そのまま帰らなかった。
猫も人間同様、性格は様々らしい。
私との相性がよかったのは、「チャン」だけだ。
私の方が親しみをこめて近づいても、大方の猫は私を無視する。
媚びることをしないのが、猫のいいところだとも思いながら、ちょっと寂しい。
私が呼べば、のそのそと近づいてくれるのは、お隣のミーちゃんだけだ。
黙って家出した(多分死を覚悟の家出だったと思える)「チャン」より、ずっとお姉さん猫だったのに、いまだに老いぼれながら生存している。
「チャン」が逃れるように庭の木に駆け登る様子を見て、ミーちゃんも下から追っかけて駆け登っていた日のことなどを思い出す。
「チャン」贔屓の私には、ミーちゃんが、「チャン」をいじめているようにも見えたが、猫同士は遊びを楽しんでいたのかもしれない。
このところ、ミーちゃんは、隣家の裏庭や私の家の玄関先に来て、大方の時間、寝て過ごしている。動くのが億劫らしい。人間で言えば、九十歳を過ぎているのだろう。ふさふさしていた毛並みも細く少なくなり、今では小さな塊になって、陽だまりを選んでは休息している。そんな姿を見るのは、なんだか寂しいことだが、生き物のすべてがたどる運命だから、これも仕方のないことなのかもしれない。
私が、気安く付き合っている猫は、パソコンのワード画面に、ヘルプ役として登場する「ミミーちゃん」だ。
私の仕事中はよく眠っている。何か事あれば、あわてて目を覚まし、私の指示に従ってくれる。「印刷」をクリックすれば、パタパタと印刷の格好をする。「上書き保存」を指示すれば、ファイルを開けてしまってくれる。
子供じみているが、パソコン操作の楽しみの一つとして、ミミーちゃんの存在を否めない。
今朝は、海に向かう道で、器量のいい可愛らしい猫にあったのだが、私が「ニャーン」と呼びかけるや否や、脱兎のごとく(兎に劣らぬ速さで)、崖を駆け下り、菜園の中に身を隠してしまった。
私と遊んでくれる猫には、なかなかめぐり合えない。