ぶらぶら人生

心の呟き

ハウス栽培

2006-10-30 | 身辺雑記

 連日、好天が続く。
 昨日のオペラ観賞の余韻に浸りながら、ぼんやりと午前の時間を過ごしていたら、若い知人から電話がかかってきた。
 「お天気がいいので、海を眺めながらのお食事は如何でしょう?」と。
 暫時思案の末、せっかくのお誘いに従った。
 私が、朝食をさっき終えたばかりと告げたところ、お店の昼食タイムは二時までなので、できるだけ遅い時間に参りましょう、とのこと。

 車での迎えが一時、それから海の見える丘に向かって出かけた。
 行き先は、レストラン ボンヌママン“ノブ”。
 日本海を180度見渡せる丘に、このレストランはある。
 平日だが、海側の席は、お客でいっぱいだ。今日は、ほとんどが女性客である。
 ここのシェフは、よく知っている。物腰柔らかな、好人物である。
 生まれて四か月になるという可愛い女児のパパでもある。
 フランス料理の腕もいい。
 よく外食をする習慣のある私は、時折食事に出かけたいお店なのだが、私の住まいからはいささか遠い。車を使わないと無理なので、車を持たない私は、今日のように人のお誘いに乗じて出かけるしかない。
 したがって、今年になって二度目の来店である。

 食事の後、せっかくの機会だから、少しドライブしましょうと、知人に誘われた。
 行き先の一つが、<開パイ>。
 「国営農地開発パイロット事業」の略語だろうと、教えてもらった。
 知人の従兄弟が営んでいるトマトハウスがあり、見せてもらった。(写真)
 農業については、全く無知な私なので、ハウスの中に入って驚いた。食品売り場に、年中並んでいるトマトが、こうして作られるのかと。温度や水の管理など、すべて機械操作で行われている。農場というより、工場といった方がよさそうだ。
 私は昔、農業は楽しいだろうなと思っていた時期がある。そこには物を生み出す創造の喜びがあるに違いないと。心を注ぎさえすれば、きっと報われもするだろうと。
 しかし、農業も容易なことではないようだ。小さな畑に、家族が食するだけのものを作るだけでは、生きてゆけない。それを金銭に換え、生活費を得るとなれば、私の夢想していたような楽しみ方では、どうにもならないだろう。
 お化けのようなトマトの木がハウスの中に列を成して栽培され、知人の従兄弟は、広いテントの中を収穫中だった。知人が呼びかけても、なかなか声が届かぬほどの広さ! 
 一日が、トマトと共に暮れてゆく生活らしい。
 その他の野菜ハウスも見せてもらった。
 バラなど、花作りのハウスもあるようだった。
 見学によって、未知の世界に触れ、大いに楽しんだうえ、新鮮なトマトや野菜をたくさんいただいた。
 開拓された広い農地は、みなうまく生かされているのだろうか。知人の次男は、農地を買って、十年ほどメロンなどを作っていたが、今はサラリーマンに転向したとの話。土地さえあれば、何とかなるといった生易しいものではなさそうだ。

 開パイを後にして、パンジーやビオラなど、季節の花を栽培している人の家にも案内してもらった。
 家の花壇の、貧相な草花を思い出し、寒い季節に彩を添えてくれるビオラを買い求めることにした。幾色か選んで。種類が多くて、これと決めるのに時間がかかった。
 花選びは、暮色の中での作業になってしまった。
 海を眺めながら帰途に着くと、沖には漁火が賑わっていた。

コメント
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