散歩のとき、足元を見ながら歩くことは少ない。
道の両脇の草花や樹木、あるいは空を眺めて歩くことが多い。
珍しく、今朝は地上に目がいった。
団栗を見つけたのだ。ここにも、あそこにも、転がっている。
「どんぐりころころ どんぐりこ」(正しくは、どんぶりこ)
うろ覚えの童謡を口ずさみながら、団栗を拾った。殻を着たのもある。上を見上げて、どの木が実を落とすのかを確かめたが、よく分からない。
桑の実の熟するころ、友達と幼い日を懐かしみ、桑の実を食べに、ここに来たことがある。しかし、その桑の木さえ、どの木なのか葉だけで判別するのは難しい。
道を覆うように、様々な老木が、崖の上に生えているのだ。
私は、拾った団栗をズボンのポケットに入れて持ち帰った。
友人に見せたら、「これ、太鼓団栗」と言った。子供のころ、そう言っていたと。
私自身は、太鼓団栗という呼称についての記憶はない。確かに、この団栗は、太めで太鼓型をしている。子供同士が勝手に名づけた名前かもしれない。
実を拾いながら、団栗は、こんなに丸かったかしら、と思った。もう少し細長い実のような気がしていたのだ。私がイメージしているのは、椎の実かもしれない、とも思った。幼い日、小暗い神社の杜で、拾って食べたのは、あれは確か椎の実だった。それと混同しているのかもしれないと。
帰宅後、童謡の「どんぐりころころ」を調べてみた。
初めて知る知識がいろいろあった。
作詞 青木存義(あおきながよし)<1879~1935>
作曲 梁田貞(やなだただし)<1885~1959>「城ヶ島の雨」なども作曲した人。
歌歴については、大正10年、「かわいい唱歌」に紹介され、昭和22年、「2年生のおんがく」(文部省発行)に採用されて、広く歌われるようになった、ということを知った。
私自身は、どういう経緯で、この歌を覚えたのか知らない。いい加減な歌詞を歌っていたところからすると、聞き覚えだったのだろう。
正しい歌詞は、
どんぐりころころ どんぶりこ どんぐりころころ よろこんで
お池にはまって さあ大変 しばらく一緒に 遊んだが
どじょうが出て来て 今日は やっぱりお山が 恋しくて
坊ちゃん一緒に 遊びましょう 泣いてどじょうを 困らせた
元来、歌詞はここまでだったのに、3番を作った人があるのだそうだ。その人の名は不詳とする人もあれば、固有名詞をあげている人もある。曖昧模糊のようだから、不詳説に従っておく。3番は、今歌われているのかどうかも知らないが、
どんぐりころころ ないてたら
なかよしりすが とんできて
おちばにくるんで おんぶして
いそいでおやまに つれてった
というのだそうだ。
3番は、リスの友情で、めでたく終結してはいる。が、2番まででも十分ではないだろうか。ずいぶん含蓄のある内容だと思う。これを歌う子供も大人も、その歌詞からそれぞれの思いを温めることができるのだから。
「お池にはまって さお大変」と2行目にある。「どんぶりこ」という表現は、その歌詞に掛かるのだと知れば、「どんぐりこ」ではまずい。団栗が浮いたり沈んだりしながら流れている、その様を表そうとしているのだから。
「どんぐり」を「どんぐりこ」と言い換えた、愛らしい表現もあるために、私のように間違って歌う人もあるのだろう。
作詞 北原白秋 作曲 弘田龍太郎による童謡に、「どんぐりこ」という歌のあることも知った。こちらは多くの人に歌われているのかどうかは知らない。
「どんぐりこ」「どんぐりこッこ」「どんぶりこ」「どんぶりこッこ」などの語句を組み合わせた、言葉遊びのような歌で、「どんぐりころころ」のような中身の濃さはない。
私の拾った団栗が、植物としては、どの木の実なのか、これについも調べてみたが、はっきりとは判別できない。クヌギではないだろうか? と、思っているのだけれど……。
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