ぶらぶら人生

心の呟き

戴いた花

2006-10-02 | 散歩道
 このところ朝の散歩コースが、ほぼ定まってきた。
 人の、一日の行動パターンは、それぞれの流儀でほぼ決まっているらしく、私が大きく時間を狂わせない限り、歩く道程の、どこで誰に出会うかも、大体決まってきた。
 一番多いのが犬を散歩させる人との出会いである。
 日によって多少の違いはあるが、平均4、5匹の犬に出合う。
 犬の種類についてはまったく無知で、大小の区別ぐらいしかできないのだが、出合う犬はみな、種類の違うもののようだ。
 連れて歩く人も、犬も、それぞれ人柄や性格が異なるのが面白い。
 人でいえば、寡黙で控えめな人もあれば、威勢のよい挨拶を返してくる人もある。いずれも、どこの誰であるかを知らない人ばかりである。
 犬は、私に対して警戒心を丸出しにするのもいれば、こちらが観察されているのではと思えるほど、見返り見返りのそのそと歩くのもいる。周囲にまったく無関心で、寄り道ばかりするのもいる。
 いつも心地よく思うのは、親子で犬を散歩させる人に出会うことだ。若い父親と小学生の高学年らしい男の子である。犬を引き連れているのは子供で、父親は犬の糞の処理係りらしい。手に持たれているのは、小さなスコップとビニール袋だ。
 きっと頼もしい親子なのだろう。男同士なので、格別親密であるわけではないが、その距離感が好ましく思える。この親子には、将来決して悶着や不和などは起きないだろう、そんなふうに思える。

 犬の散歩以外の人といえば、同級生によく会う。
 一人は病気を抱えていて、不安げに海を眺めていることが多い。
 今一人は働き者で、出会うときは、いつでも仕事中である。
 今朝は家の前で、刈り草の処理をするための焚き火中だった。奥さんも一緒だ。見ていると、二人とも、動きに無駄がなく、作業の手際がいい。
 朝の散歩がよく続いているね、とほめてくれた後、火にあたって行けと、友人は勧めてくれた。だが、まだ火の恋しい季節ではない。
 火の粉を避けながら、しばらく立ち話をした。
 その間も、彼の手が休むことはない。
 働き者であるばかりでなく、彼は信心深い。神仏への、敬虔な気持ちが、生きることの支えらしい。ちょっとした言葉の端々にそれが伺える。
 学歴はなくても、人間の生き方に芯が通っている。

 奥さんのヨウちゃんが、花畑からたくさんの花を摘み取って下さった。
 メインはススキ。さらに、白と黄色の曼珠沙華とコスモスを添えて。
 帰宅後、早速、無造作に花瓶に挿した。(写真)
 居ながらにして、しばらく秋の風情が楽しめる。

 パソコンの故障で、しばらく写真の編集もできなかった。
 今日は、A4の光沢紙に10枚、思い出を編集、記録した。
コメント
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